schema
http://monica.noor.jp/schema


 There was a wall of one piece of glass which was very thin and strong among me and her. My voice and hand were blocked by a wall. But I was very happy. I could match eyes with her, and the reason is because it was always satisfied in hearts by a feeling of happiness.
 However, God appeared to there and crushed a wall. A hand and the voice that did not reach her came to be possible to reach. It came to be possible to come in contact with my talking with her. I who felt happiness under environment of before got happiness more. And I believed that the happiness continued eternally.
 But my world was corrupted by having come in contact with her world. The glass which discriminated against the world and the world was, so to speak, a lifeline. The wish of God is Extinction. You must put her and her world out at this hand to evade it.



FINAL DISTANCE






「・・・あら、あんたも来るの?」
「悪いか」
「悪かないわよ、邪魔さえしてくれなければね」
 あんたがいるってことは、試運転をわたしがしなくて済むってことだしね~と独特のメロディーを口ずさみながら軽い足取りで歩いて行く。その後ろを一定の距離を保ちながら、ついていく。俯いたまま、顔を上げないようにして。

 こう見えて、人一倍人の感情に敏感な彼女のことだ。メンテナンスと言っておいて、本当は二人に気を使ったのだろう。(もちろん、メンテナンスをしたいというのは本当の話なんだろうが)遅かれ早かれ、カイルは恐らくそう決意する。その時にはもうこういった平和な時間は訪れないかもしれない。だったら、この平和のうちに決意させ、せめてその最後の瞬間までの時間を長く与えてやりたい。そう願うのはとても自然なことだ。とくに、彼女の場合は。

(・・・結局、僕たちは皆)

 こうやって、大事な人を失っていくんだ。

 ロニは両親、そして新たな父親を
 ナナリーは弟を
 ハロルドは双子の兄を
 カイルは、最愛の少女を

 直接的に、あるいは間接的に自ら手を下した。下さなければならない。


(いや、僕は・・・)


 失うことを、拒んだ。
 人が聞けば、それは今の状況と似ているかもしれない。世界を選ぶか、その一人を選ぶか。だが大きく違うことが一つだけ、あった。それこそが、カイルの父と母であるスタンとルーティ、そしてウッドロウとフィリアという存在。確実に世界を救ってくれるだろうと信じることのできる、仲間と呼ぶことのできた存在。だからこそ、彼らを裏切り彼らの前に立ちはだかった。こうして彼らが自分の元へ到達するまでの間、命を守ることができる。その後、自分を下しさらに彼を下し世界を救った暁には・・・その後の彼女の命までも守ることができるのだ。
 これ以上に最上の策などあろうものか。この対価として自分の命を差し出すことに、何の悔いが、戸惑いがあろうものか。そうしたことに対し、何一つ後悔などしていない。あるのは喜びだけだ。・・・否、あるとするならば、彼らに対する懺悔の念くらいだろうか。けれど彼らのこと、きっと理解してくれているに違いない。
 もうこれ以上何かを失くすことも、悲しみにくれることもないだろうと思っていた。そう信じて疑わなかった。にもかかわらず、
(皮肉なことに、人はどうあがいても結局は何か大事なものを失くさなければならないらしい)
 ここへきて、まさか今になってこんな感情にかられてしまうだなんて。

「・・・前は、彼女の為ならば世界を敵に回そうが自分が死のうが構わなかったはずなんだがな」

 心の内が思いがけず口から漏れ出てしまい、慌てて口を噤んだ。
「なんか言ったー?」
 幸いなことによく聞こえなかったのか、イクシフォスラーの中からハロルドの声が響く。彼女は今その小柄で華奢な体を機体のエンジン部に滑り込ませ、数ある工具をそこらじゅうに散らかしながら何かをいじりまわしている。最初手伝おうと声をかけたものの、彼女曰く「素人が下手に手を出して壊されちゃあたまったもんじゃないわ」とのこと。完了次第試運転をお願いするので、それまでそのへんで英気を養っておけと丁重に断られた。
「・・・何でもない、ただの空耳だろう」
「ま、そういうことにしといてあげなくもないんだけど」
 それまで響いていた金属のこすれあう音が止み、かわりに彼女の唸り声が聞こえてくる。
「あんたの右斜め45度3歩手前の位置にスパナが落ちてるだから、それを持ってきて。あ、あとその位置から今度は左斜め60度5歩進んだとこに金槌あるから、それもよろしく!」
 もはや、何故そこにあると断言出来るんだと聞く気も起らない。むしろすぐに必要になるのであれば、所々に放置せず一回一回きちんと工具にしまえと苦言を呈したい。そう言ったところで、いちいちうるさいわねと一言返されるだけに決まっているのだが。
「手伝いは必要ないのではなかったのか」
 ただ言うことをきいてやるだけというもの癪だったので、心にもない皮肉を言ってみる。
「そーれとこれとは話が別。事は急を要するのよ、早くして頂戴!」

 やれやれ、とゆっくり立ち上がる。前方右斜めを見やれば銀色に輝くスパナ、少し左へ視線を動かせば鈍色の金槌が落ちている。一つ、また一つそれらをそれぞれの手で拾い上げ、イクシフォスラーへと近づいていく。腹部にある外装が一部開け放たれており、そこから臨めるのは複雑に絡み合った無数のパーツと派手なブーツのつま先。相当深く身体を沈ませているのだろう。
「あ、持って来てくれたのね。ちょい待ち、今出るから」
 ずるり、と足が伸び、腰辺りまで一気に現れた。そこからは少しずつ足を動かしながら下へ下へと移動させる。ようやく現れた顔はすすだらけ、派手なピンクの髪の毛も多少輝きが薄れている。うっかり「ひどい顔だな」と口を滑らせてしまい、「レディーに向って失礼しちゃうわ!」と憤慨させてしまった。
「はい、スパナと金槌ありがとね」
 そういう意味で言ったわけではないのだがと一応フォローを入れるが、不機嫌そうな表情のまま、それでも丁寧にそれらを受け取る。そのまま回れ右をし、今さっき出たばかりのその中へと再び身体を潜り込ませていく。やれやれ、取りつく島もないなと自分も元いた場所へと戻り、腰を降ろす。金属の擦れ合う音が再び聞こえ始めた。けれど特に不快に感じることはなく、むしろ何故かそれが心地よく思えた。その心地よさに身を任せ、瞼を閉じる。
 そんな時だった。音は鳴りやまないまま、「ああ、そうそう」と言い忘れていたと言わんばかりに彼女が声を出したのは。それは自分と彼女の中では普段通りのやり取りであった。他愛もない会話を始める合図といったところだ。少なくとも自分はそのつもりであったし、彼女にとってもそれはそのつもりだったのだろう。けれど、その後に続いた内容はというと、


「歴史が修正されたら、あんたと一緒でわたしも多分消えてなくなるわ」


 ・・・到底、"他愛もない会話"では済まされないものであった。


「何を・・・」
 先ほど閉じたばかりの瞼を開ける。あんまりにも自然に声色一つ変えずさらりとそう言ったものだから、ついこちらもいつもの戯言と聞き流してしまいそうになった。「ああ、でもあんたは消えないかもしれないわよ。なんせ魂があるんだからね」とわけのわからないことを次々言い放つ。遮らなければ、何故かと問わなければどんどん当たり前のようにそのまま彼女は口走って行きそうで、つい強い調子で断ってしまう。いつもの戯言だと聞き流してしまえなかったのは、こんな状況だからか。「気が付かなかったってことは、あんたもまだまだ凡人ね。私には遠く及ばないわ」と得意げな声がした。
「考えてもみなさいよ、あんたがシャルティエを使えたのは何故?」
「それは、僕にそーディアンマスターとしての資質があったからだろう」
「65点の解答ね。資質を持っていたのはもちろんだけど、それ以上にあんた達が同調<シンクロ>したからよ。」
 一瞬音が鳴りやむ。一呼吸置いて、今度は鎚を振るう音が鳴り始めた。
「ハイデルベルグの図書館にあった書物、全部読破したわ。天地戦争のこと、あんたたちの騒乱のこと・・・」
 さすがに鎚を振るいながらの会話は厳しいようで、ところどころで拍がはいる。
「私、ずっと、不思議に思ってたのよ。どうして、ソーディアン・ベリセリオスをミクトランが手にすることが出来たのか」
「・・・それは、レンズの核が傷ついたせいでお前の人格がミクトランのものに」


「「上書きされた」」


 ガツンッとそれまで鳴っていた中でも一際大きな音がなった。目標のものが上手く接合したのだろう、ガチャリと何かと何かが組み合わさる音がする。
「って、言いたいんでしょ?」
 それを確認してか、ゴトリと金槌が床に置かれエンジンルームから彼女が這い出て来た。スカートについた埃を軽くはらい、こちらに向かって近づいてくる。
「あんたが今使ってる剣、見てみなさい。特に、刃の付け根にある宝石。」
 言われた通り、鞘から剣を抜く。指摘された位置にある宝石は光を受けて乱反射しキラキラと光りを放つ。これだけの光は丸く艶やかに磨かれたこの面だけからはとても発生し得ないものだろう。
「それは柘榴石ね。モース硬度は15段懐中10の位置にあるわ。つまりこんなナイフで叩いたり引っ掻いたりしたら、すーぐにこれ刃こぼれしちゃって使い物にならなくなるレベルの硬さを持ってるってわけ。」
 すぐ目の前までくるとその場で座り込み、自身の持つカルラを取り出し指でくるくると回す。そして刃先が剣の宝石に向かったところでピタリと止めた。
「でも、この宝石は傷ついている。これがどういうことか、あんたならわかるわよね?」
 赤紫の瞳がキラリと光る。それはまるで宝石だ。それ以上の輝きを持つ、信念のこもった強い強い決して傷のつかない宝石。
 改めて自身の手に持つ剣を見やった。その刀身、柄、束、そして宝石には無数の細かい切れ込みが入っており、それらが更に反射面を増す結果となり通常以上に光を生み出す。それはこれまでに幾つもの戦闘を勝ち抜いてきた証。大切な者を守り抜いてきたその印だった。
「そう、それはもともと『傷がつくこと』前提でその部分に取り付けられているの。」
 ただのコレクターにとってはそれ相応にいい値の張ったそれなりのコレクションになるし、実際に使う人にとっては良い要になるわよね、と言ってカルラの切っ先をつうっと指先でなぞる。確かに自分も、迫りくるモンスターの刃先から幾度となく助けられた記憶がある。
「コアクリスタルをわたしはそういうものとほぼ同じ位置に取り付けたのは、その場所が使用者と最も近い位置でコンタクトを取れる場所だったからよ。戦闘中の擦れ合いで破損する危険性があるってことくらいもちろん分かってたわ。だからこそ、相応の硬度と、ある程度のヒビじゃびくともしないよう設計したつもりだし、何よりも・・・」

 手に持って眺めていたその風変わりな短剣を、突如話題の渦中にあった宝石にガツリと音を立てて叩きつけた。カルラが持つ二つの刃のうち、直接擦れ合った一方の刃が折れ、落下し地面に突き刺さる。そして一呼吸を置いて、

「コアクリスタルは、どんなに深い亀裂が入って会話が不可能な状態になろうと、それ以上その人格を消去することも上書きすることもできないの」

 亀裂が入り、柘榴石が真っ二つに割れた。

「なんだと、それじゃあ・・・」
「そうよ」

 使い物にならなくなった彼女の短剣と、見栄えが少々落ちたもののこれからも何ら支障なく扱うことのできる自分の剣。

「だから、この世界で定説になってる『傷ついたコアクリスタルに入り込んでソーディアン・ベルセリオスの人格を上書きした』なんてことは有り得ないのよ」

 あり得るとすれば、開発に協力を申し出たベルクラントチームが何らかの工作をベリセリオス一本のみに施したとも考えられるかもしれないが、結局のところ最終チェックを行ったのは彼女でありその後すぐに起動を行ったためそんな時間もなかっただろうと推測できる。大体、その剣は本人ではなく彼女の兄が使用するものだ。遠くに気を使い製作されたことだろう。それともこの私の頭脳と腕が信じられないとでも言うわけ?とたたみ掛けられる。信じるも信じないも、そもそも彼女は6本あるソーディアンの考案者であり製作者であり、誰よりも、実際にソーディアンを振るった四英雄と自分、そしてミクトランとは比べ物にならないほどあれらの性能について詳しいといっても過言ではない。(彼女曰く、あの戦争以降に彼らの中で芽生えた性能(感情)についてはわからないとのことだが、この際それらは関係なかった。)

「だが、お前はさっきソーディアンはその使用者と同調しなければ用いることができないと・・・」
「ええ、確かにそう言ったわ」
「わかっているのか!?それはつまり、お前とミクトランが―――」
 その先を言葉にすることが出来ず、息となって空気に溶けた。そもそも、これまで一緒にいて彼女の人となりを見てきて、どうしてもそのようなことを考える人間には見えなかった。少なくとも、彼女は決してないと思っていた。思って、いたかった。
 すっと彼女の手が伸び、この仮面を捕らえる。抵抗するまもなくするりと外され、瞳を見据え、

「・・・そうね、私が天上世界の再生更には地上世界の掌握を望まない限り、ミクトランとソーディアン・ベリセリオスが結びつきをもつはずがないわよね。」

 コトリ、と地面に置いた。目が、離せなかった。それは今まで見てきたどんな表情にもない、とてもとても冷たく、
「お前・・・」
 とても、寂しそうな瞳だった。
「天地戦争を語る書籍に、こうあったわ。『軍使カーレル・ベリセリオスが死に至った原因は、彼が用いたソーディアン・ベリセリオスが制作者である双子の弟、ハロルド・ベリセリオスにより故意的にその性能を他ソーディアンに比べ落していたからであると考えられる。』」
「それは作者の単なる憶測にすぎないだろう。事実、お前はカーレルに頼まれてお前自身の人格を投影した。その時点で他のマスター達と同人格を持つソーディアンに比べ同調率が低下するのは・・・」
「そう、致し方のないこと。いくら双子だからって、さすがに本人ほど思考を理解できるものではないわ。それに、もともとこの計画は六人が六人共自身と同人格のソーディアンを持ってして勝利を得ることができるものだった。そこで生じた異分子だったから・・・」
 それを承知の上で彼は彼女に頼みこんだ。だからこそ、自分の身を顧みることなく勝利を確実なものとするため突き進んだし、勝利を手にすることができた。結果的に彼自身の死と引き換えにだった、としても。
「でも、あの場にはそれ以外にも二つの異分子があったわ」

 もし、あの時エルレインが介入しミクトランが更なる力を手にしていなかったら?
 もし、あの時カイル達がその介入を防ぐべく時空を超えていなかったら?

 前者の場合、自分たちの暮らしてきた日々は失われることなく続いているだろう。いわば、正史ということになる。後者の場合、エルレインの介入により天地戦争は天上軍の勝利で集結し、あの日この目にした光景が千年後繰り広げられることとなる。神による統治、代り映えのない日々、意志のない人々。幸せも不幸せも手にするの出来ない世界。

「あんた達がこの世界に来た時、既に異分子は一つ存在していたわ。あの女・・・エルレインという異分子ね。その異分子が現れた時点で、既に歴史の改変は起きている。そして、更にあんた達が現れたことで、また一つ改変が起きたことになるの。」
 どうしてかわかる?と問われる。黙ったまま首を横に振った。わからない、というよりもわかりたくない、考えたくもないが本音だった。
「じゃ、ヒント」
 それでもなお彼女は続ける。どうせ、自分の思いなどお見通しなのだろう。それでも止めないのは、単なる気まぐれなのか、それとも

「オリジナルのシャルティエ、覚えてるっしょ。アイツの日課、何か知ってる?」

 冷汗が頬を流れ、喉はカラカラに乾く。口の中が、ザラザラする。
 訪れたことのある彼の部屋。机の上にあったハードカバーのついたノートに目が留まり、カイルが好奇心に駆られて手に取り開いたことを覚えている。1、2ページめくり、書かれていた内容に居た堪れなくなりそのまま閉じ元の通りに置き読まなかった振りを決め込んだ。後々、あの時はまだこの背にいた彼に文句を言われることとなってしまったのだが。

「日記・・・」

 ああ、書いているだろう。書かれているだろう、自分たちのこと。突然現れた自分たち五人。日記の話題に上がらないはずはないではないか。
 もし、もしもだ。彼の日記帳は彼の身内を伝わり後世まで残されているとしたならば。どこか、名も知れぬ誰かの家で奥深く眠っていいたとしても、それが日の目を見ない保証はどこにもない。事実、こうしてソーディアンが自分たちの手の内にあったということがそれを証明している。それは、つまり
「・・・兄貴のさ、遺品を整理してたら日記帳が出て来たわけ。私に隠れてコソコソつけてたのね。・・・本当、もう随分と小さい頃から一日たりとも欠かさずつけてるんだから―――」



 ―――兵士達は疲弊し、食料も徐々に尽きてきた。早く戦争を終わらさなければ。この戦争を、なんとしても勝利のうちに終わらさなければならない。現在極めて戦局は不利。これを有利に覆すには、結局のところ僕らはハロルドに頼らざるを得ない。
 まったく、あんな能力のある武器を考案、実装してしまうだなんて、本当に彼女の能力には脱帽する。僕と同じ血を有し、更には双子の妹だとは思えない博識さだ。けれど彼女もそろそろ年頃だ、研究開発はほどほどに一人の女性として愛する人を見つけ、軍などに所属せず幸せになって欲しい。・・・と、願うと同時に、そう思う度に計りようのない寂しさが胸にこみあげてくることも事実だ。
 ああ、そうだ。今日彼女の部下として五人の少年、少女がやってきた。ハロルドが自ら部下を持つだなんてめずらしい。何か事情でもあるのだろうか。たしか、カイル君、ロニ君、ナナリー君、リアラ君、そしてジューダス君といったか。これまで民間にいただろうか。何度か見回り、様々な少年、少女に声をかけてきたが、今までに彼らのような格好、武器を持った者には出会ったことがない。・・・まぁ、考えたところで答えなどでないだろう。話をしたところ、彼らは非常に人となりがよく、悪い印象はなかった。特にカイル君は、目を輝かせていたな。

 信じよう、彼らを。きっと彼らが現れたことでこの状況は打開できよう、何故かそう確信が持てる。僕はなんとしても、この世界と、彼らと、ハロルドを守ってみせる。



「それと、もうひとつ」

 ゆっくりと立ちあがり、この背後へと歩みよる。人差し指で、とん、と背中を押された。

「あんたの背中にいたシャルティエ。わたしがいたあの時代が正史なら、アイツあんたのこと知ってたってことになるわよね。少なくともソーディアン・ディムロスはあんた達のこと、覚えていたもの。」

 そういえば、聞いたことがなかった。ディムロス、アトワイト、クレメンテにイクティノス、そしてカーレルといった五人のことはよく話に聴いていた。自分が幼かった頃、それに自分を加え六人のソーディアンチーム英雄伝を(多少自分を誇張した形で)聞かされていたものだ。けれども、自分たちのことは。肝心なハロルド博士については。そもそも、ソーディアン・ベリセリオスについては、なにも―――

 問うよりも先に、「まぁ、あたしのことは聞かされてなくてもしょうがないわよね。だって、ソーディアン・ベリセリオスに宿っているのは私の人格だってこと、他のメンバーには伝えていないんだもの。」とそれはまるで問題ないとでも言うように回答が返ってくる。今更何故と問うつもりはない。

「何が・・・言いたい」

 振り返らなかった。振り返れなかった。今の自分には、彼女の顔を直視できる自信がなかった。

「歴史にも、自己修正作用が生じるってことよ」

 今度はゆっくりと背中全体に僅かな重みが伸しかかる。その場で座りこみ、もたれかかってきたのだろう。心地よい、胸の痛む暖かさだった。

「私が思うに、兄貴は結果的に死ななければならなかったんだわ。正史の通りに歴史を進めるには、他が少し違おうと、兄貴が死に、地上軍が勝利を得なければならなかった。」

 歴史を変えてしまうほどの影響を与えるのは、人の生死。記憶は、さして問題ではない。問題なのは、死ぬはずだった人間が生きていることにより生じるその後の生命の営み。

「でもエルレインが現れたことで、地上軍の勝利はほぼ絶望的になった。だから、歴史は足掻いた。なんとしても、正史通りに事を進めなければならない、そう思った歴史は―――ハロルド・ベリセリオスを女にすることで兄妹の仲を保ち、ただ純粋に勝利を追い求めソーディアンチーム六人が六人共それぞれの人格を伴うことで地上軍へ勝利をもたらすしかない、と思った。」
 ほら、あたしって天地戦争後に消息不明になるんでしょ?それって、ハロルド・ベリセリオスが男か女かどっちにせよその後の歴史に関係ないわよね、と顔を膝にうずめる。考えられるのは、自由気ままな彼女のことだ、興味に身を委ねて気の赴くまま旅に出たのか、はたまた実験に失敗してそのまま・・・。けれど「そう考えるだけナンセンスね、私に失敗はありえないもの」と彼女は笑った。

 カーレルは真面目な人間だ。ソーディアンが六本揃おうと、形勢が不利であることには変わらない。けれども、これ以上の犠牲を払いたくない。ならば、自ら進んで犠牲となろう、彼ならば。そうして歴史の流れを保つことが出来よう。

「だがそこへ、僕たちが現れた・・・」
「そう」
 エルレインを追う精鋭が現れたことにより、彼女の注意はそちらへ向かう。ソーディアンチームへ回す精鋭は弱体化し、カーレルが生き残る可能性が倍以上に膨れ上がる。
「このままでは、兄貴は生存したまま勝利を迎えてしまう。それではだめ、自ら歴史を歪めてしまうことになる。ならば、やはり史実通りにするしかない。兄貴に・・・自分でない、片割れの人格が宿るソーディアンを持たせる必要がある。」
 けれど当のハロルドは大事な兄を自ら危険な目にあわせる提案をするはずがない。
「そこで・・・カーレル自ら、ソーディアン・ベルセリオスに妹であるお前の人格を入れるよう提言した、と・・・」
「つまりは、そゆこと」

 お前にしては、非科学的な発想だなとなじる。そうね、そう思うわと彼女が応える。けれども、この世界が抱える矛盾<パラドックス>を説明するには結局そういった発想を用いらざるを得ないのだと。でなければ、そもそもこの旅は成り立つはずがないのだから、と。神が生まれエルレインとリアラが生まれた。その時から、すでに世界は超非科学的な力によって歴史を捻じ曲げられてしまったのだから。
「ほんで、ミクトラン復活の話に戻るけど・・・あんたたちに時空転移の為ソーディアンを貸し出す前に、それぞれメンテナンスしてたのよ。そこで一回、私はソーディアン・ベリセリオスと会話してるの」
 そしてそれが最後の会話だったという。ミクトランと刺し違えたことにより生じたコアクリスタルの傷は、かつてのイクティノスと同様会話機能を失うほどの大きなものであり修復は不可能であった(厳密には修復は可能だが、その代り莫大な量のレンズが必要となった)。ソーディアン自身も(さすがは彼女自身といったところか)そのことは悟っており、修復はせずともよい、その代わりにとある場所へ自分へ封じて欲しいと彼女に願い出た。その場所は天上世界の残骸がとりわけ多く残る場所であり、父によって彼(彼女)が発掘された遺跡。ここからは彼女の推測だが、恐らく彼の思念もまたその場所に留まっていたのだろう。それをコアクリスタルに用いられたレンズの力で抑制すべくそう進言したのだ。もっとも、正史では男性であり悪しき思念をもったソーディアン・ベリセリオスがそこで自身が消える前にミクトランの思念と同調<シンクロ>すべく進言した可能性が高い。(つまり、定説となっているミクトランがコアクリスタルを上書きしたのではなく、実質上ハロルド・ベリセリオスが自らミクトランを自身の使い手にミクトランを選んだという形になる。)女性であり自身そのままのソーディアン・ベリセリオスが封じられたこの世界では、1000年という長い時間のどこかで恐らく風化により彼女の人格自身は永遠の眠りにつき、しかしミクトランの思念は生き続け、結果的にヒューゴがベリセリオスを手にした際に彼の封印が解けそのまま侵されたというところか。

「この戦いに私達が勝ったら、歴史は元々の正史に戻るよう大規模な修復作用が起きるわ。神が消え、エルレインとリアラが消え、この旅の記憶は消え、カイルの父親は蘇りアンタは蘇らなかったことになり・・・もちろん天地戦争においてのエルレインの存在もあんたたちの存在も消え、バルバトスも蘇らなかったことになる。そして・・・」

 ハロルド・ベリセリオスは、カーレル・ベリセリオスの双子の弟として生まれる。

「肉体が滅びても魂は消えないって言うけれど・・・じゃあ、元々存在しなかった私の魂はどうなのかしら」
 いい研究テーマになりそうなのに研究するための時間がないのが心残りなとこかしらね、と呟いた。

「・・・ぜだ」
「ん?」
 それまで膝に埋めていた顔を持ち上げる。
「なぜ、それを僕に話す・・・しかも、このタイミングで・・・っ」

 知りたくなかった。聞きたくなかった。
 彼女の推測に、外れる期待など持てはしない。聞けば聞くほど、その言葉に反論する言葉など失われ、為す術を失う。僅かな期待も持たせようとしない。

 知らなければよかった、聞かなければよかった。

「僕、は・・・」
 心の準備はできていた。ただ、少し寂しいだけで。本来存在しなかった時間を与えられ、普通の人間ならば到底体験し得ない経験をし、時代を超えて仲間と出会い、そして―――


「あんた、私のこと好きでしょ」


 ゆっくりと振り返れば、すでに彼女はまっすぐこちらを見つめている。

 名前だけは知っていた。一時期尊敬もしていた。1000年もの時を遡り、果たした出会い。あの薄暗い雪原の中で、疲弊しきった兵士達の中で、ただ一人だけ眩い程の輝きを放っていた。かつて愛した人と似ても似つかない破天荒で理解し難い立ち振る舞いに。正直彼女を愛する者の気がしれないとさえ思っていた。
 けれども、あの時・・・最愛の兄の死を突き付けられたにも関わらず、1mmたりとも揺るがなかった彼女の姿勢。彼の死を知っていた事実を打ち明けても尚責め立てたりすることは決してなく、むしろ笑顔で称えるその行為。

 彼女は、これまで出会った女性の中で、誰よりも芯の強い女性だった。そして、誰よりも脆い女性だった。

「だからこそ、あんたには知って欲しかったのよ。あんたがその手で打ち砕こうとしているこの歴史は何者なのかを。―――この歴史に生きる、私のことを。」






 彼女と僕の間には、薄くだが非常に強固な一枚のガラスの壁が存在した。手を伸ばしても声をかけても、その壁に阻まれ決して届くことはなかった。けれど、それでも十分幸せだった。彼女と視線と視線を通わせられる、ただそれだけで、心の中はいつでも言いようのない幸福感に満たされていた。
 しかし、いつしかそこへ神が現れ僕らの間の壁を打ち砕いた。それまで決して届くことのなかった手が、声が、彼女の元へ届く。それまで聴くことも、触れることも決して叶わなかった彼女の声が、手が、こちらへ届く。かつての環境下で幸せを感じていた僕は信じられないほどの多幸感を手に入れ、それは永遠に続くものだと信じて疑わなかった。
 けれども僕の世界は、彼女の世界と触れ合ったことにより滅亡の道へと歩み始める。世界と世界を分け隔てたガラスの壁は、云わば生命線であったのだ。打ち砕いた神の望みは、全ての消滅。回避するためには、彼女の世界を―――彼女ごとこの手で殺さなければならない。





「怖く、ないのか?」
 怖かった。怖かったんだ。自分が消えてしまうことが、ではない。彼女とこうしたゆったりと流れる時間を共有できなくなることが。あの時と同じ命題を突きつけられたら、正直同じ選択を出来るとは思えなかった。生き延びた彼女の隣りに自分が立っていないことに、我慢できない。彼女のみが生き延びられる確実な道よりも、多少危なくとも彼女と共に生きる道を探したいと、そう思う。
 けれど今回の時間旅行はその望み自体が絶望的で、神を倒せば化身であるリアラは消え、既に鬼籍の存在である自分は消え、理論が正しいとするならばハロルドの人格が消え、他の者はそれぞれの時代へ帰り全ての記憶が末梢される。いや、帰る場所のないリアラと自分にはその記憶を持ったまま彷徨うことを許されるかもしれない。だが、君は・・・その記憶を持つことさえ許されないのだろうか。記憶を消され、性別も、その魂さえも上書きされ歴史上にその存在自体がなかったことになってしまう君は、時限の狭間を彷徨うことすら許されないのだろうか。

「怖くなんてないわ」

 変わらぬ口調、変わらぬ姿勢。戸惑い一つ見せず言い放つ。
 こういう時は揺るがない強さよりも、怖いと、消えたくないと弱さを見せてくれた方がどんなに良いことか。消えゆく側の身でありながらこんな思いをするだなんて、カイル、お前の気持ちが今初めて分かった気がする。

「ただ・・・」

 彼女の小さく華奢な指が、すぅとこちらへ伸びる。決して甘くない薔薇の香りが鼻先をくすぐった。頬に触れ、優しくこの輪郭をなぞる。それまで常に凛と前を見据えていた表情が、崩れた。

「もうこの先あんたとこんな時間を過ごせないのが・・・寂しいかしら、ね」

 その手を取り、華奢な身体を引き寄せ、そのまま抱きすくめる。彼女はというと、特に驚いた様子も抵抗する様子も見せず、むしろ自ら腕をこの首にまわしてきた。


 好き、じゃない。
 愛している、でもない。

 ただ、必要としているんだ。彼女を。


「僕、は」

 けれど、

「僕は、神を砕く。・・・カイルが出来ないならば、僕がやる。」

 彼女を抱く腕に力を込める。謝罪と懺悔と、限りない愛情を込めて。
「そう、それでいいのよ」
 と彼女は応え、同じように腕に力を込めた。その表情を窺い知ることは出来なかったが、微笑んでいるように思えた。

 かつての親友が守った世界を守ることと、彼女を天秤にかけることなど出来ない。そもそも、この旅は贖罪の旅でもあり、最後の最後で再び同じ罪を犯すことなど出来はしなかった。それも、罪を犯したところで救われようのない結末。自分はもちろん、彼女が救われることは有り得ない。だからこそ当初の目的を果たさねばならない。神を砕き、元通りの歴史へ、元通りの世界へ戻さなければ。

 出会わなければよかったなどと思わない。出会えてよかった。もう一度、誰かを愛すること、守りたいと思うことの素晴らしさを再確認出来たと共に、ひどく幸せな時間を手に入れることが出来た。一度死んだ男が手に入れるには、手に有り余る程大きすぎる幸せだ。

 けれど、どうしたら・・・どうしたら彼女を救うことができるのだろうか。抗うことのできない運命が決定づけられた今、どうしたら彼女の心だけでもせめて救いあげることができるのだろうか。

「ね、信じてみない?」

 不意に、彼女が耳元で囁いた。
「・・・何をだ」
 彼女の表情がわかるくらい、少し身体を離す。小柄である自分よりも更に小柄な彼女は下から自分を見上げ、

「パラレルワールド・・・」

 と、呟いた。

 二者択一の命題を突きつけられた時、その応え方によって世界に分岐が生じる。大昔から続いてきた分岐の連鎖。その連鎖の果てに、この世界がある。たとえば、この先のカイルが神を殺さなかった世界と殺した世界。バルバトスがカイルの父親を殺さなかった世界と殺した世界。そして、天地戦争で地上軍が勝利した世界と敗北した世界。さらに言えば・・・XとYの染色体が結びつき男性としてのハロルド・ベリセリオスが生まれた世界と、XとXの染色体が結びつき女性としてのハロルド・ベリセリオスが生まれた世界。

「"私"が"私"として生まれる為には、もう一つ世界を用意してもらわなくちゃ。」

 自身の右耳についた大ぶりのイヤリングへ手を伸ばす。

「もちろん、あんたも」

 大ぶりな本体の割には小さく施された留め具を伸ばした爪先でくるくる回し、

「どうせこの時代にいられないんだったら、あんたの存在が知られてない"こっち"にこれた方が、ちょうどいいでしょ?」

 容易く外れたそれを、今度はジューダスの右手を取り、その手のひらにコトリと乗せて握りしめさせた。

「・・・そうね、天地戦争が終わったあたりで来れば、丁度いいんじゃないかしら。」
 だってそうしたら、ハロルド・ベリセリオスが戦争終結後に所在不明となった理由がつくってもんでしょ?と。
「ハロルド・・・」
「もちろん返してもらうわよ、再会した時に。だから、絶対なくさないで持っときなさいよ。」
 金色に輝き大ぶりであるその二つのイヤリングは、彼女の両耳元で非常に存在感を放っていた。けれど、そのうちの一つが失われると非常にアンバランスで、何か物足りない。二つ、揃っていなければ駄目なのだ。もともとペアとして生まれた物は、どんなに遠く離されようと呼び合うものなのよと彼女は言う。それは有機物も無機物も同じなのだと。だから、これさえ持っていれば必ず巡り逢える。
 なくすものか、と握る手に更に力を込めた。その瞬間、ふと自身のその指に光る輪が目に入る。天地戦争時代、ソーディアン誕生の折に手に入れたもの。ただ立っていられず、忙しそうに手を動かす彼女に「手伝おうか」と申し入れたところ、「コレあげるから邪魔しないで頂戴」と邪険にあしらわれながら渡された。

「こんなもので悪いが、我慢してくれ」

 鳥の模様が彫られたそれを右手小指から抜き、彼女の右手を拾い上げる。と、そこでふと思案を巡らし、その右手を降ろす。「なんなの?」と文句を言いたげな彼女の表情を意にも介さず、改めて今度は左手を拾い上げた。

 ハロルドは、目を見開いた。彼のその動作を、一つ残らず見逃さぬよう見つめ続ける。彼の手にあった指輪が、ゆっくりと、彼女の左手薬指に吸い込まれていく様を。

「・・・あきれた。」

 色気も、何もあったもんじゃないわと自身の指にはめられた"ピヨハン"をまじまじと見つめた。子供が描いたかのような鳥の模様。確かにこれは、あの日あの時自分が彼に"あげた"ものだ。正直に言うと、彼に渡した記憶はなかった。あの時は起動に夢中で、キーボードを打つ指にあの指輪が乗っていることに少し煩わしさを感じており、更にそこへ「手伝うことはないか」と聞かれたので恐らく両方とも厄介払いするつもりで渡してしまったのだろう。後に何故それを持っているのかと聞いたところ、苦虫を噛み潰したような顔をされたのもまたいい思い出だ。

(ああ、でもあれからずっと持っててくれたのね)

 言っておくが、それは僕のだからなと前置きが入る。確かに、私が彼に"あげる"と言った時点でそれは私の物ではない。だがしかし、それにしても一度もらったものをこうして渡すのは、普通この状況で相手が普通の乙女ならば、ここで突き返されても致し方ないことなのだけれども。

「次会う時に、もっとちゃんとした奴をくれてやる。・・・だから、今はそれで我慢していろ。」




―――"次、会う時に"―――




「・・・期待してる。」

 もっともっと指輪がよく見えるように、その手を天にかざす。どこ店でも売られており、ありふれた装飾品であるこの"ピヨハン"も、今この瞬間、確かに世界でただ一つしかない2人の大切な絆の一部へと様変わりしたように思えた。

「あ」
 指輪が、キラリと大きく光った。いや、指輪ではなかった。指と指の間を縫うように、夕闇の中を大きな光が走り抜けていく。ひどく眩しくて、思わず目を細める。
「流れ星・・・?」
 それにしては、やけに大きく輝きが大きい。それも、動きが変則的で目で追うのがやっと。いや、目で追えること自体がおかしいのだ。
(まさか、あれは・・・)
 ラグナ遺跡にある頂上の木より出で、その上空を一周し、どこか虚空の彼方へ消えていった。

「見た?」
「ああ。」
「流れ星・・・よね。」
「そういうことに、しておくか。」


「なんか願いごと、した?」


 突然の来訪も終わり、再び周囲は薄暗い夕闇で埋め尽くされる。少しずつ、空には星が瞬き始め、月がその姿を現し始めた。

 もうすぐ闇が舞い降りる。けれども、僕らの間は


「・・・お前と同じことを、願ったさ」


 真昼の太陽すら及ばない、目には見えない眩い位の光で溢れている。





















 ―――耳元で、やけに甲高い子供の声がする。それも、複数の。


「起きないね、お兄ちゃん。」
「変な格好~、真っ黒くろすけだな。なぁ、いたずら書きしちゃおうぜ!」
「だめだよ、お姉ちゃんに怒られるよ~」



「あ、目ぇ開いた!」

 頭がやけに重い。目が回り、なかなか焦点が定まらない。

「お姉ちゃ~ん、このお兄ちゃん目ぇ覚ましたよーー!」

 ここは、一体何処だろうか。揺れる白いカーテンの隙間から、眩しい日の光が自分を包み込む。清潔感の漂う白い壁と、白いシーツ。やけに視界がはっきりしていると思ったら、仮面がなくなっていた。腰に、剣も見当たらない。

「こーらあなたたち、そんなにうるさくしたら駄目でしょう。ちゃんと静かにしていなさいと言ったのに・・・。」
 ガチャリとドアの開く音がし、コツコツとヒールの音が響く。どこかで聞いたことのある、艶やかで落ち着いたアルトの声。部屋を仕切っていると思われる白いアコーディオンカーテンが音をたてて開かれ、声の主が現れた。その姿がこの網膜に映った瞬間、一気に頭の重みも体の気だるさも消え失せる。

 薄紫の長い髪に白い大きな帽子。また、白を基調とした衣服に腰にはあの剣が。

「体調は、どう?どこか痛むところはあるかしら?一応、特に外傷などはなかったようだけれど」
「・・・アトワイト」



「――え?」
 怪訝な表情でこちらを見る。無理もない、彼女にとって自分は初対面であるはずなのだ。そっと子供らに退室を促す。もうイクティノスとの勉強の時間だと、自分は彼と話があるからもう行きなさいと。子どもたちは口々に文句を言うものの、渋々と大人しく引き下がる。それぞれに「また後で」だったり、「あとで遊ぼう」だったり、声をかけられる。一人ひとりの表情は明るく、それほどこの世界がひどく安定した証であるのだと安堵した。
「天地戦争は、終わったのか」
「ええ、ひと月ほど前にね・・・」
「そうか―――」
 どうりで、地上に温かい日差しが射しているわけだと納得した。天地戦争時代、気候は雪か吹雪以外存在せず、雪が降り止むことなど皆無に等しかったというのに。
「あなたは、天上人・・・ではないようね。一体何者なのかしら。何処から来たの?」
 自分を見て天上人ではと思うのは、至極当たり前のことだと思う。今や彼らは地上に住む者を熟知していると言っても過言ではない。戦争中はさておき、戦後直ちに地上人と天上人それぞれの名簿を作り、それぞれに土地を与え住みよい世界とするよう尽力を尽くしたのは言うまでもない彼らなのだから。天上人のリストに漏れはあろうと、地上人のリストにあることはまず有り得ない。けれど自分の態度を見て、また姿勢を見て天上人でもないと判断してくれたことは有難かった。既に彼らはカルバレイス地方へ流刑となっており、自分もそこへ送られる可能性が十分にあったからだ。
「人を探している」
 そして、手をポケットへやる。だが、この手は空気しか掴み取ることができなかった。
「・・・どうしたの?」
 声に出さずとも表情はひどく狼狽していたのだろう。確かに、そこに入れていたはずのものがない。非常に、大切な大切な絆。確かにあの戦闘の後も確認したのに。

 彼女と再び巡りあう奇跡を誓い合った、あの絆が

「イヤリングが・・・」

 二つ揃って生み出された物は、有機物であれ無機物であれお互いを呼び合う。



「イヤリング?」



 いやに聞き覚えのある声が部屋中に響いた。



 キィ、と奥から椅子の軋む音がする。
 カツン、カツンと一際高い特徴的なヒールの音がこちらに向かって歩み出す。

 ふわりと漂う、決して甘くない薔薇の香り。




 この靴の音を、この香りを知っている。





 シャッと音を立てて、勢いよくカーテンが開かれる。
 派手なピンク色の頭、小さな背丈、華奢な体、揺るがない姿勢。

 真っ直ぐな視線がこの身を貫いてくる。

「ハロルド・・・」

 耳たぶには、金の大ぶりなイヤリングが二つ。

「戦争が終わって、リトラー総司令官の宣言がなされ、兄貴を弔う時・・・これを一緒に棺へ納めたの。」

 そのうち右耳にあるそれへと手を伸ばす。
 呆けている彼女に悪いが席を外してくれるかと言うと、戸惑いながらも了承しその場を離れていった。

「確かにそのまま棺を閉じて、兄貴と一緒に灰にして海へ撒いたわ。だってあれは私と兄貴の"絆"そのもの。双子の片割れは死んだのよ。それ、なのに・・・」

 左手を拳にしてこちらへ突き出してくる。ある"モノ"が、よく見えるように。その左手薬指には、子供が描いたような鳥の文様の描かれた金の指輪。

「私は、きっとあんたを待ってた。」

 初対面で、名前も知らない。それなのに、この胸の中で溢れだして止まらないこの気持ちは何だろう。

「あんたが、これを持って現れること・・・きっとずっと待ってた。」

 無くしたはずのイヤリング。こんな場所につけたことなどなかった指輪。
 だけど覚えている、この空気感。一つ一つの動作も、眼差しも、彼の声が持つ艶も、全部。

「あんた、私のこと好きでしょ」




"あんた、私のこと好きでしょ"




「―――ああ、お前が好きだ。」

 きっと僕は、もう一度君と巡り会う為に"生まれた"。

 君、も

 もう一度僕と巡り会う為に、生まれて来てくれたんだろう?


 すると、彼女は満足げに、嬉しそうに微笑んで

「私、ハロルドじゃないわ。・・・エストって、いうのよ。」




 そうして僕に、"おかえりなさい"、とキスをした。
meg (2011年6月 2日 15:15)
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