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微熱の紋章





「なんか・・・ずるいのよねぇ~」
「はぁ?」


 「女の子がそんな口のきき方するもんじゃないわよ!」と、たしなめられる。いや、あなたに言われても全く説得力がないのだけれど、と言いたいところをぐっとこらえた。というよりも、わたしの何が一体ずるいというのか。


「だってセンセったら、口を開けばアナタの話ばっかりなんだもの。あたしもそれくらい、のろけられてみたいわよ~~」


 人聞きの悪いこと言わないで頂戴と一応言ってみるものの、まるで聞こえていないフリを決め込んでいる。


 ・・・まぁ、確かに。確かに、はたからみると(特に彼女へ想いを寄せる男共にとっては)わたしは羨ましいポジションにいると思う。彼女は毎日のようにはるばるラトリクスへ会いに来てくれるし、戦闘中に敵が近付こうものなら、慌てて駆けつけてくる。そして、極めつけは夜の恒例となった逢引。「なんだか眠れないから」、と同じくわたしが夜になかなか寝付くことが出来ないことを知っていて訪ねてくるのだ。


 そうして今日も、彼女はやってきた。「失礼します、」とまずクノンがわたしの元へ来て、「お通ししてもよろしいでしょうか」と伺いを立てる。彼女にはもうそんなことをしなくてもいいと何度か断ったが、そういうわけにもいかないと今も律儀に行っている。


「いつも突然でごめんね、アルディラ。お邪魔ではありませんでしたか?」
「あなたの場合、突然でない時のほうが驚くわ。まぁ、今日は珍しく先客がいるのよね。」
「えっ、そうなんですか」


 ほら、おいでなさいなと部屋の中へ促す。勧められるがままに部屋へ足を踏み入れた彼女は、その途端目を丸くして、そして嬉しそうに微笑んだ。


「スカーレル!」
「お邪魔しちゃって悪いわね」
「いいえ、とんでもない!・・・今日はどうされたんですか?」


 船の図面はもうすでに完成し、着工に入ってますよね・・・首を傾げる。


「いやぁねぇ、センセったら。男と女が逢引っていったら、ひとつしか・・・」
「クノンが借りてるっていう本をね、受け取りに来たのよ。」


 そんなにピシャリと否定しなくても・・・と後ろで苦笑する彼。まぁ、もっとも彼女が彼のそんな戯言を信じるなんて思ってはいないけれど。それでもやっぱり、「クノンもがんばっていますね」と微笑む彼女のその表情は、どこか安堵したもののように思えた。


 アティは、スカーレルが気になるという。それは「恋」という甘く、切ない感情とは違う。どんなに笑顔でごまかしても、あの瞳が全てを見透かしているようで・・・恐い。だが安心するのだとか。何を言わずとも知っている。けれど手を差し伸べることはしない。ただ、少しだけヒントを与えて背中を押す。それが、心地よいのだという。


 とにかくも、この事実が広まった瞬間、他の男共は卒倒すること間違いないだろうに。


「ちょっと座って待っていて。紅茶でも用意するから――」
「そのようなことはわたしが致します。」


 いつのまにか帰ってきていたのか・・・突然の出現に、一瞬肩を強張らせてしまった。「どうか致しましたか」と表情の見えない問いかけに、「何でもないわよ」と返すのが精一杯だった。


「い、いいのよクノン・・・たまにはわたしにやらせて頂戴」
「いいえ、アルディラ様はそのまま皆様とご歓談をお楽しみください」
「いえ、だからね・・・」


 まだまだ勉強中の彼女には、色恋沙汰を理解出来るほどの敏感力は備わっていない。そう、気を利かせて二人きりにさせてやりたいのだ。だが、そのことを今ここで言うわけにもいかない。さて、どうしたものか・・・


「それに、失礼ですがアルディラ様のお淹れになる紅茶はお客様向けではございません」


 ・・・そうであった。つい、茶葉を煮出している間に考え事をしてしまい、味を殺してしまうのだ。一度演算を始めたら容易にそれを止めることが出来ない、それが融機人(すべてがそうというわけではないけれど、わたしは特にそうだった)。そのせいで、幾度となく彼の人を困らせてきた(もっとも、彼はいつだって「おいしいよ」と言ってくれたが・・・少し困ったような笑顔からは、それがそうでないことくらい容易に想像がついた)。


「わかったわ、クノン。お願いできる?」


 気を利かせたところで、不味いお茶を出しては雰囲気も壊れるというもの。ここは大人しく、引き下がっておくことにしよう。二人きりにさせるチャンスは幾度でもあろう。


 だが、この直後に全く予想していなかった展開となった。


 すぐにお持ちします、とキッチンへ下がろうとしたクノンを見て、「あ、」とアティが声をあげた。


「どうしたの?」
「いえ、そういえばわたし、お土産を持ってきていたことすっかり忘れていたんですよ」
「おみやげ?」
「ええ、ほらこれです」


 彼女が取り出したのは、大きく実ったナウパの実。


「こちらに来る途中、果樹園へ寄ったらマルルゥに頂いたんです。それで、みんなで食べようかと・・・」


 ほら、こんなにも早くそのチャンスが回ってきたではないか。


「丁度お茶の時間だし、紅茶と一緒に食べましょう。私が切ってきてあげる。」


 むしろ、この時がベストタイミング。あのまま紅茶を淹れにいってもクノンが帰ってきていた。私とクノンがキッチンへ行くことにより、二人きりに・・・


「いいえ、私にやらせてください!すっごくお勧めな食べ方があるんですよー!」


 二人きりに・・・


「あ、キッチンはこちらでしたよね?お借りしますね!」


 二人・・・


 言い終わるや否や、キッチンのある方向へと足取り軽く向かっていった。
 (今日は、厄日なのかしら・・・)
 上手くいかないものね、と頭を抱えていると、後ろからプッと笑みが漏れる音がした。


「何・・・?」
「いやぁ、ね・・・アナタもついてない人ねぇ」


 ドサリと音をたててソファに腰掛ける。「肩を揉んで差し上げましょうか?」と(思ってもいないくせに)声を掛けてきたので、「ラトリクスにはプロがいますから、結構よ」と速攻で返してやった。彼はそれをさして気にも留めず、傍に置いてあった返却済みの本へと手を伸ばし、ページをパラパラとめくり始めた。


「慣れないことは、するもんじゃないわよ」
「・・・・・」


 この顔は、自分が何を企んでいたかを見透かしている顔だ。


「・・・ねぇ」
「なぁに?」


 ふと浮かんだ、疑問。


「貴方は、どうしたいの?」


 ページをめくる指が、止まった。


「なんのこと?」


 しらを切るつもりか。残念だけれど、この私に対してしらを切りとおした人は、これまでに・・・一人しかいない。


「気が付いていないわけでは、ないのよね?彼女の気持ち・・・ちゃんと考えてあげてる?」


 ゆるやかに流れる沈黙の時間。気まずいものではなかった。むしろ、それは無言の肯定のように思えたのだ。再び、彼の指先がページを弄び始めた。気持のよい風が凪ぐ。


「お日さまと蛇・・・」
「え?」

 ぼおっとしてると、聞き逃してしまいそうなくらい空気に溶けかかった声で彼は言葉を発した。


「アタシとセンセを人間以外のものに例えたらどうなるかってね」


 近づきたいけれど近づいてはいけない。お日さまにとっては、生き物は皆優劣なく同じだからさして気には留めないのに、蛇は自分は暗がりで生きていかなければならないと思い込んでいるから、相容ぬ存在だと思ってしまう。


 そんなことは、決してないのに。


「・・・じゃあ、さしずめわたしはロボットってとこかしらね」


 決して表舞台に立つことはなく、意思を持たず、ただただ人間たちの為に働き続ける。


「うーん、そうねぇ・・・アナタはちょっとロボットとは違うと思うけど・・・」
「あら、それなら私だって貴方は蛇とは違うと思うわ」


 だから、見た目や過去なんて当てにならないのよ。そういうと、鳩が豆鉄砲にくらったような顔をした後に、これまで見たことのないくらい穏やかな笑みを浮かべて


「・・・ありがとう」

 と、呟いた。









「それにしても、あの二人遅いわねぇ・・・」
「アティが苦戦していて、その手助けをクノンがしているっていうところかしら」


 あの人、意外とあれで不器用なのよね、と二人して笑う。


「悪いけど、ちょっと待ってて。様子見てくるから」


 そう言ってソファから立ち上がる。いつもの足取りで、彼の前を通り過ぎる。


 通り過ぎようと、した。


「・・・?」


 何かに留められて、先に進めない。
 留められているのは・・・右手?


「なに?」


 こちらの顔は見ずに、ただ彼の右手だけが、私の右手首を捕まえている。男性のものにしては細い、骨ばった指の長い綺麗な手が私を離さない。


 振りほどこうと思えば、それは容易に振り解けただろう、だがしかし・・・それをさせてくれない、何らかの魔力が私の胸を突き刺して、放せない。目が、離せない。


「アタシのものになりなさい・・・って言ったら、どうする?」


 相変わらず体はこちらへ向かず、ただ視線だけ私へ寄越した。かつて見たこともない表情を宿したその目は、本気なのか冗談なのか、全く読むことが出来ない。


 口の中がやけに渇く。たった数秒のこの時間が、永遠のもののようにすら思えてしまう。
 こういう時、なんて返せばいい?


 こんな口説き文句、冗談に決まっているでしょう。いつものように、撥ね返して見せなさいよ―――






「・・・親友の恋敵にはなりたくないので、丁重にお断りするわ」


 やっとのことで、そう紡いでみせた。


「・・・フッ」


 一度瞼が閉じられまた開いたと思えば、その奥にあるものはいつものおどけたような彼の瞳だった。捕らえた手はそのままに、ソファからすくりと立ち上がった。立ち上がった、と思ったその直後、一瞬何が起こったのかよくわからない出来事が起きたのだ。


 ようやく手を離したと思った瞬間、今度は軽々と抱き上げられ・・・そして、彼がつい先ほどまで腰かけていたソファに落とされた。


「センセ達のところへは、アタシが行くわ」


 いまいち状況を把握しきれていない私に向って、彼はいつもの声色と口調で話しかけてきた。


「センセはきっと、自分のお勧めっていうのをここへ持ってきて初めてアナタに見せたいんだと思うのよね。だから、もうしばらく、ついてないついでに待ってて」


 そう言い終わると、未だに混乱している自分に向ってウインクし、キッチンに向って歩き出した。この部屋をキッチンへと繋ぐ扉に差し掛かったところで、「あ、そうそう、」と振り返る。


「さっき、アナタにずるいってアタシ言ったじゃない?」
「え?ええ・・・」
「あれね、『アナタがずるい』っていう意味じゃないのよ?」
「え・・・」


 いつもの不敵な笑みを浮かべて、放たれた一言。


「いっつもアナタを独り占めするセンセがずるいって、言ったのよ」




 そして、彼は扉から姿を消した。
 あとに残ったのは、今だ戸惑いを払拭することのできない自分と、右手首に残ったままの微熱。あのような力を持つ彼は、やはり紛れもなく"男性"なのだということ。


 ようやく脳が働き出したのは、とても嬉しそうな顔をして果肉が大盛りの皿を手にした彼女が現れてからだった。
meg (2011年6月 3日 23:56)

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