「お早う御座います!・・・あら。」
扉を開けた途端足元に、見慣れない小さなブウサギがじゃれついてきた。部屋の中を見回せば、ジェイド、ゲルダ、アスラン、サフィール、そしてネフリーにルークと揃っている。じゃあこの子は新入りかしら、と手に持っていた書類を脇に挟み、抱き上げて撫でてやった。すると嬉しそうに頬を摺り寄せてきて、思わずこちらにまで嬉しい気持ちが伝染する。
「ふふ、いい子ね。あなたのお名前は何ていうの?」
と、何やら奥の部屋からバタバタと、騒々しい音が聞こえだす。たしか、そこには現在彼女がここにいる理由である人物が居るはず。どうしたのかしら、と胸にその子を抱いたままそちらの方へ体を向ければ
「―――ッ!!」
バタン、と勢いよく扉が開かれ、その部屋の主でありまたこの国の王が、その名を大声で呼びつつ現れた。心なしか、彼女と目が合った途端ぎょっとしたような表情を浮かべたような気がするのは、そのまま気のせいか。その名を持つ彼女が、にこりと微笑んだ。
「お早う御座います、陛下。どうかなさいましたか?」
「あ・・・ああ・・・」
自分の名が呼ばれた、ということはここに自分が到着したことを悟り、何か用事を言いつけようとしているのではないかと。だが、歯切れの悪い彼の言葉に首を傾げた。
「陛下?何か御用があるのでは?」
「え・・・あ、いや・・・そうなんだ!その、今お前が抱いているブウサギがちょっと目を離した隙にいなくなってだな・・・一緒に探してはもらえないかと思ったんだが、その必要もなくなった。」
我ながら、取って付けたような即席の"彼女の名を呼んだ理由"に苦笑いが零れる。聡明な彼女のことだ、それが本当の理由でないことくらいわかっているに違いない。しかし、「ああ、そうだったのですか」と微笑みを零し、「もう勝手に出て行ってはダメよ」と優しく小さなブウサギの頭を撫で、どうぞとこちらへ寄越してくる。
(気がついていないのか?)
呆然と立ち尽くし受け取る気配のない彼に、またも彼女は首を傾げる。慌てて受け取り、「ありがとうな」とやっとの思いで喉の奥から搾り出した。
手の中のコレは、飼い主の気も知らずとぼけた顔をして「プギィ」と鳴く。
「あ、それで、お前は?朝からお前がここに来るのは珍しいな。」
「お前こそなにか用事があるんじゃないのか?」と平静を取り繕って質問をする。「ああ、そうでした」と今初めて思い出したというような顔をして、脇に挟んだ書類を両手に移し、そのままこちらへ寄越してきた。
「カーティス大佐より書類をお預かりいたしました。早急に返事を頂きたいとのことです。」
「ああ、そう・・・。」
目をやればびっしりと敷き詰められた文字群。こうくると、見る気すら失せるというものだ。だが相手が鬼畜眼鏡ともなると、適当な返事を返すというわけにもいかない。どうにもあの親友には書類に目を通していないことすら見抜かれてしまう。どうしたものか、と頭を抱えていると、前でクスリと笑みを漏らすその人。
「つまりですね、今年の国家予算の振り分けについてですが、大まかにいうと二枚目に御座います図の通りでよろしいでしょうか、よろしければサインを頂けませんかとのことです。」
慌てて書類をめくる。なるほど、彼女の言うとおり其処には予算の振り分け先とその割合が円グラフにて示されている。ご丁寧に、前年度やそれ以前のデータと共に。
(去年に比べ、軍事費の割合が増しているな・・・)
「・・・やはり、今年中にも戦争が始まってしまうのかしら・・・。」
ポツリと不安げにもらす言葉。託された書類を盗み見するような真似を、彼女が絶対にするはずがない。となると、つい浮かべてしまった表情から読み取られてしまったか。
「。」
「あ、申し訳ありません!大丈夫です、何があろうと陛下はわたくしが御守りいたしますから、どうぞご安心ください!」
違う、そうじゃない。そうじゃないんだ。
彼女の頬にかかる、彼女の瞳と同じ色をしたその髪を、指で絡み取る。
「・・・陛下?」
それは思った以上に柔らかく、指と指の隙間からふわりと流れ落ちた。
「ちょっと持っててくれるか」、と返事を待たずにもう一度ブウサギを彼女に託し、机に向かう。羽ペンの先にインクをつけ、サラサラと文字を連ねる。最後に自身のサインを加え、三つ折にし、また席を立つ。言われたとおりに抱いたままその場で待つ彼女に、手渡した。
「再考の余地ありだ。まだそう断定するには早い。」
「はい?」
「―――戦争になど、させんさ。」
目を見開いて瞬きを数回するも、途端に輝いて
「・・・はい!」
それはそれはとても嬉しそうに、心底嬉しそうに笑うものだから。
そう、その笑顔を見ること叶うならばいくらだって―――
「そうでした!」
「おお!?」
うっかりその頬に触れるべく手を差し伸べようとしたところ、急に彼女が顔をあげるものだから慌てて引っ込める。「どうしました?」とキョトンと問うてくるが、素直に答えられるはずがない。
「あの、この子の名前はなんというのですか?わたくし、今日初めてこの子とお会いしたもので、お名前を伺っておりません。」
彼女の腕に抱かれた小さなブウサギ。君が知らないというのも、そりゃあそうさ、昨日からこの部屋に仲間入りしたのだから。
「・・・知りたいか?」
いたづらっぽく微笑んでそう問うと、「もちろんです!」と期待に胸を膨らませて答える。ずいっと互いの鼻の先が触れるか触れないかの距離まで接近し、その瞳をじっと見つめる。彼女の両の瞳には、自分以外の誰も映さない。すこしだけ、驚いたかのような表情を浮かべる彼女に
「じゃあ教えてやろう。聞いて驚くなよ、こいつの名はな・・・」
彼女の頬に、今度こそ触れようと手を――――――
「お話中のところ申し訳ありません陛下、少佐。ですが朝会のお時間でございます。」
・・・タイムリミット、またも阻まれ近づけた顔を離す。どうしてこうも我が国の重鎮どもは・・・
「お前な、もう少し気をきかせるとか・・・」
「陛下?」
「え、もうそんなお時間なのですか!?」
途端に慌て出す彼女。ああそうか、朝会には少佐である彼女も出席しなければならない。頼まれ、また預かった書類と書状を上司に渡さねばならない。そしてもちろん、国王である彼よりも先にその場にいなければならない。
「・・・ゆっくり行け、。お前のことだから慌てて走って転びかねんからな。」
「で、ですが・・・」
「安心しろ、俺もゆっくり行く。」
やれやれと横で溜め息をつく大臣に一礼し、小さなブウサギを「ありがとうございます」と寄越して走っていった。慌ただしく鳴り響くブーツ特有の音と、少しして予想通りというか、なんとも痛そうな音。
「・・・お前はなんだかんだで素早いくせに、あいつはどうしてああもドジなんだかなぁ。」
しばらくその痛みにうずくまったのか、数秒してようやく再び響き出す。完全に音が聞こえなくなったことを確認し、「待たせたな」と大臣を伴い場に顔を出すべく移動を始めた。ゆっくりと歩いて。
(・・・そういえばわたし、あの子の名前結局知らないままだわ)
目の前にようやく大きな扉が現れた。さきほど大理石の床に打ち付けた膝が、じんわりと痛む。
(後でまた会うことがあったら、もう一度伺ってみましょう)
「―――あっ、こら。」
行くなとばかりに足にまとわりつく小さなそれ。まだまだ子供だからか、他の奴らよりも存分寂しがり屋に思える。しゃがみこみひっぺ剥がして
「帰ってきたらまた遊んでやるから、ちょっと辛抱しろ、な?」
それだけ彼を慕ってくれているのだろう、寂しそうに小さく鳴く。それがどうしようもなく、可愛い奴め。
「・・・その十分の一でも、あいつにそんなところがあればなぁ・・・。なー?」
(結局、また誰かのお名前なんでしょうけど)
「なー、" "?」
どうして本人は
気づかないんだろうね
気づかないんだろうね
meg (2011年6月 5日 14:13)
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Cherish