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『俺?俺は・・・士官学校へ入るよ』
『士官学校?』
『おっと、陸軍じゃないぜ。兄貴達のいる陸軍に誰がはいるかっつーの!』
『え、じゃあ・・・』



『ああ、俺は海軍に入るんだ。』

『兄貴達の階級なんて、あっという間に追い越して偉くなってやる』

『見直させてやるんだ、あいつらに。認めさせてやる、俺の方が上なんだってな!』








『―――そっか。』

『アンタは?』
『え・・・?』
『アンタはこの戦いに決着がついたら、どうするんだ?』



『・・・わたし、は―――』












 一回目の汽笛が鳴った。あと二回、この汽笛が鳴れば船は出航する。
(・・・すごい人)
 同じくこの船に乗り込んであろう人の見送りだろうか。笑顔で手を振る者もあれば、寂しさのあまり泣いてしまっている人も見る。自分には、いない。半ば逃げ出すようにしてあの場を去った。どうせすぐ会えるからサヨナラはなしだと言わんばかりに先の二人は去って行ったが、自分もそのように振る舞えていただろうか。実際は、自分が一番遠くに旅立つ。しかも、つい最近までこの王都レグヌムの敵国であったテノスへ、だ。
 現在は両国の間に停戦協定が結ばれこうして行き来出来るようにはなったものの、再びいつ戦乱が訪れてもおかしくはない状態。
(戦争がはじまったら、またあなたと戦わなければいけないのかな・・・)

 だって、あなたは軍へ行ってしまう。


『まだ・・・はっきり決めてはないけれど、とりあえずナーオスの聖堂を直さなくちゃ。わたしが壊しちゃったわけだしね』
『でも、それは仕方なくだろ?アンタが背負う必要はねーだろ』
『そういうわけにも、いかないよ。ちゃんと力を制御出来ていれば壊すことなんてなかったんだもの』



 今もあの夜を、あの会話を、あなたの表情を思い出すと胸が締め付けられる思いがするよ。


『まぁ、なんにせよしばらくはナーオスにいるってことだろ?』



 これからもいつだって会いたい時に会えるんだなんて、そんな嬉しそうに言わないで―――

 本当は、皆と別れてナーオスへ戻った後、何も告げず人知れず旅立つつもりでいた。彼の前から姿を消して、そこで資金集めをしようと思っていた。それがこうなってしまったのは、ただアルベールが自分を迎えに来てくれたから。そのほうが皆を心配させずに済むし、ここを離れて資金集めをする理由が出来る。
(わたし、酷い女だわ)
 罪深いのは自分だ。こんな自分が聖女だなんて、笑ってしまう。昔からそうだった。神様なんて、信じたい人が信じればいい。だって、いないもの。人に優しい神様なんて、いないもの。だって本当にいるのなら、あの時わたし達を助けてくださったでしょう?牧師としてずっと神様に仕えてきた両親を、その神様は助けてくださらなかったでしょう?


(・・・?)

 混雑しているドッグで、群衆を必死にかき分けながら船に近付いてくる者がいた。そんな光景はどこにでも見られるのだけれど、なんだかその人だけがやけに目についた。麻色の帽子、緑の髪、意外に高い背と・・・

「―――っ!」

 人で溢れた港。それは本当にたくさんの人が入り混じっていて、もちろんそんな動作をする人なんて後を絶たない。なのに、どうしてその人だけ目に入ってしまったのか―――
(どう、して・・・)
 ただただぼんやりと眺めていただけなのに。その先に、見つけてしまった。目に、入ってしまった。麻色の帽子、緑の髪、意外に高い背と少年らしいあどけなさの残る顔。視線を外さなければいけないのに・・・どうしても、逸らすことができなかった。
(でも、ここはデッキだし・・・)
 地上から数メートルの距離があり、また彼のいる場所からここまで数百メートルの距離があった。おまけに、ここもあそこも酷い人混み。その証拠に、先ほどから彼は頻繁にあたりを見回している。そう簡単に見つかるわけないではないか。そう、簡単に見つかるわけ―――


 不意に彼が顔を上げた。完璧に、こちらから彼の表情が見えるくらいに。

(あ・・・)

 視線が、かちあった?

(こ、こっちを、見てる・・・?)

 まさか、そんな。だって、あそこからここはとても距離が離れていて―――

 だが、確かに彼はじっとこちらを凝視していた。そして自分もその視線を逸らすことができず、ただただ見つめていた。逸らさなければ、逸らさなければ・・・けれど、それを許してくれない強制力が、そこにはあった。
 そのうち、彼が何かを叫び出す。
(え、何・・・?)
 其処からは遠すぎて、声が届かない。必死に耳を澄ます。けれど、聞こえてくるのは周囲の雑音ばかりで、一番聞きたい音が聞こえない。

 そのことに彼も気がついたのか、今度はゆっくりと、そして大げさに口を動かしだす。三回口を動かして、小休止。それを何度も何度も繰り返している。

(え、ええと・・・)
 慌ててその動きを追った。急がなければ、汽笛が鳴ってしまう。

(「あ」、「ん」―――)


 それは、最もわたしがよく知る三文字の言葉。



(あ)


(ん)



(じゅ)





("アンジュ")



「―――っ!!」
 もう、いてもたってもいられなくなった。必死に身振り手振りでドック近くにあるこちらから見て人気のない場所を指し、(この行為を見て彼はその方を見たから、きっとわかってくれただろう、)急いでその場を離れデッキ口の階段を駆け降りる。そしてもう船自体の出入り口まであと一寸というところで、この旅に同行する彼にこの腕を捕まえられた。

「アルベールさっ・・・!」
 よほど周囲が見えていなかったのだろう、すぐそこに彼がいたことが分からなかった。その勢いを突如止められた為か、すこし身体がよろめく。
「アンジュ、どこへいくんだ。もうすぐ船が出る、ここにいないと・・・」
 わかっている、わかっている。もうまもなく二つ目の汽笛がなる。そうして三つ目が鳴ったその時に、船は出る。けれど、けれども、

「お願い、行かせて・・・」

 会ってはダメ。そう、自分で自分に言い聞かせてきたけれど。
 ここで会わなくては、一生後悔しそうで・・・もう二度と、本当に彼と向き合うことが出来なくなってしまいそうで

「行かせてください!出航までには戻りますから、だから―――」

 わたしが初めて欲しいと願ったもの。それを、この手から容易く手放そうとしてしまうだなんて、本当どうかしているけれど。願っておいて、それでも繋ぎ止めることができたならと祈ってしまうわたしは、なんてズルイんだろう。

「お願い・・・!」

 圧倒されたのか、または驚いたのか・・・腕を掴む彼の手の力が緩んだ。それを逃さず振り払い、一気に駆けだす。
「アンジュ!」
 すでに遠くから聞こえる彼の声に『ごめんなさい』と心の中で謝罪し、そのまま振り返らず待ってくれているであろう彼の元へ向かった。











「スパーダくん・・・!」


 やはり、其処で彼は待っていてくれていた。顔は下を向いたまま中腰で、肩で息をして・・・あの後、短い言葉で残る二人に別れを告げ、急いで追いかけて来てくれたのだろうか。
「スパーダ、くん・・・」
 少しずつ呼吸は整いつつあるも、今だ顔を上げようとしない。怒っているのだろうか・・・表情を、知りたかった。恐る恐るもう一度名前を呼び、その肩に手をかけた。あわよくばそのまま覗き込んで、知ろうと思ったのだ。けれど、逆にこの手の上から手をかけぎゅうを握りしめられ、そのまま胸の前へと移動させられる。そして自ら彼は顔を上げた。

「行くな―――っつっても、アンタは行くんだろ?」

 瞳に浮かぶ涙を悟られないよう、ただ首を縦に振る。今度はわたしが顔を上げられない番だった。動揺、したのだ。
(どうして、そんな顔をしているの・・・!?)
 怒っていてくれた方がよかった。それならば、こちらだって感情の返しようがあるのだから。けれど彼の表情に宿っていた感情はそれではなく、悲しそうではあるけれど何かしらの静かな決意をまとっているようで―――

 中腰であった姿勢を正し、わたしを見下ろす。何を、思っているだろう。確認することが怖くて下を向いたまま、黙ったまま。先ほどと立場が逆転していた。
「アンジュ」
 ほら、彼がわたしの名前を呼ぶ。わたしはただかぶりを振る。
「アンジュ!」
 呼ばないで、お願い呼ばないで。もうわたしを呼ばないで。引き返せなくなる、帰れなくなる。もう、あなたの傍にはいられないの。

 あなたがどんなに望んでも、もう抱きしめてあげられないのよ―――


 いくら呼びかけても応えないわたしにしびれを切らしたのか、掴まれたままでいる右手をぐいと引き寄せられ―――そのままきつく、彼から抱きすくめられた。


 強い、強い抱擁だった。苦しいと訴えても緩めてもらえず(むしろどんどん力がこもる一方で)、息をするのがやっとで。


 彼の口が動きだす。
 駄目、言わないで。何も言わないで、ただ背中だけ押して。


「―――俺、アンタが好きだ」



 二度目の汽笛が鳴った。
「どうして、わたし女の子に転生しちゃったのかなぁ・・・」
 男性のままだったら、こんなにも苦しい想いを抱えることはなかっただろうに。ただ笑顔で、『また今度』と笑顔で旅立って行けたのだろう。

 だから、顔を合わせては駄目だと思っていたのよ。何も告げず、さよならも言わず去るべきだと思ったのよ。

 駄目なのよ、あなたじゃ駄目なの。あなたじゃ、わたしの夢を叶えることなんてできない。わたしの夢は、教会を立て直して、おいしいワインや食べ物がある優しい町で過ごすこと。荒事に巻き込まれることもなく、浮き沈みもなく、常に平穏に穏やかな心で過ごすこと。

 だってあなた、わたしの心に波風ばかり立てるじゃない。あなたと一緒にいると、落ちつかないの。胸の中がざわついて、ちっとも静まりやしない。嬉しくなったり悲しくなったり、苛立ったり寂しくなったり。このところ、心穏やかでいられた覚えが全くないのよ。

「―――アンジュがもし男に転生してたら、きっと俺、女に転生してた」

 体を離し、気がつけばボロボロと零れおちている涙をそっと人差し指でぬぐって

「んで、やっぱり俺は男のアンジュを好きになってるぜ」

 それでも止まない涙に苦笑して、自身が被る帽子を取りそのまま目深にぐいと無理やりわたしへ被せた。思わず小さな悲鳴を上げてしまい、それを聞いて彼は笑った。

「・・・アンジュは?」

 あんまりに深く被せられたものだから、今度はその表情を見たくてもなかなか見ることが出来なくて―――けれど、彼のものとは失礼ながら思えないくらい、すごくすごく優しい声で、

 心がくすぐられるような思いで、やっぱりこんなに波風を立てる人なんてあなた以外に思い浮かばなくて



『そんな人生さ、面白味なくない?』



 イリアの言葉が木霊する。
(そう・・・そう、ね)
 あなた達といて―――あなたといることで、どうしてこんなにも楽しくて、またどうして世界が平和になった暁にはこの幸せな時間が失われてしまうということにこんなにも悲しくなったのか―――今、思い出したよ。

「わ、たし・・・」

 あなたの帽子を少し上にあげてようやく見えた表情は、ほら、やっぱりとても優しい

「わたし、(も)、きっとあなたを―――」




「アンジュ!」
 続く言葉を遮るように、咎めるように声が響いた。
「こんなところにいたのか、もう三度目の汽笛がなる。戻らなければ、船がいってしまうよ。」
 彼に短い会釈をし、向き直る。
「アルベール、さん・・」
「ほら、行こう」
 腕を引っ張られる。先程まで彼と繋いでいた手。まだ、熱が残っている。その熱を奪われて上書きされたくなくて・・・思わず、振りほどいてしまった。
「アンジュ?」
「ご、ごめんなさいっ!でも、わたし・・・」
 ここまで来て、どうして迷うのだろう。わたしは旅立つのよ。守る為とはいえ犯してしまった自分の過ちを正す為に。二つの手が、わたしの前に差し出されている。両方をとるわけにはいかない。両方を、とることができない。選択できるのは片方だけ。心と体はそれぞれ別の手を欲している。

 悩んで悩んで、それでも駄目、決められなくて・・・そうこうしていると再び彼に、今度は後ろからぎゅっと抱きしめられて

「・・・行けよ」

 耳元で囁かれ、腕が離れた。
 とん、と背中を押される。

 その勢いで、思いきりアルベールにぶつかってしまった。「手ひっぱんじゃねーよ、アンジュは一人で歩けるんだ」とアルベールへ言い放つ彼の声が聞こえる。やれやれ、と苦笑いしながらバランスを崩しているわたしを立ち直らせてくれた。そういえばと未だ頭に乗っている柔らかい存在を思い出す。外して少しはたいてから「ありがとう」、と言って差し出した。差し出されたそれを彼はしばらくながめて、受取って―――再びわたしの頭へ押し付けた。また小さな悲鳴をあげてしまう。
「・・・やる」
 ぱちぱち、と瞬きを繰り返した。ハルトマンさんから頂いたという、大切な帽子。わたしがもらって良いはずがない。駄目よともう一度外そうとすると、更に帽子のつばを持って押しつけられた。
「スパーダく・・・」
 ようやくつばを持ち上げて見た彼は、そっぽを向いていて

「早く行け。―――これ以上アンタを見てると、何が何でも行かせたくなくなっちまう」

 その背中がとても寂しそうで、今にも泣きだしそうで・・・愛しくてたまらなくて、

「スパーダくん・・・」

 胸の振動に合わせて揺れる首飾りをそっと外し、それを持ったまま
 そっと、その背中に触れる。

「スパーダくん、」

 あなたの背に耳をあてる。
 あなたの鼓動がリズムとなって、鳴り響く。



 今、あなたに

 ずっと、ずっと胸の奥にしまってきた言葉を、想いを




「スパーダくんが、」




 あげる





「好き・・・」





THE LITTLE THINGS
GIVE YOU AWAY


(それは他の誰でもない、"あなた"でした)








 しゃらん、と石とチェーンがこすれる音がする。離れる体温。急速に背中の温度が失われていく。音がした方へ手をやれば、鞘に収まる剣の柄に彼女がいつもしていた首飾りがかかっていて


 振り向いたそこには、彼女はもういなくて



「―――アンジュっ!」

 すこし先を見やれば船に向って走っている二人が目に入り、その背中を追いかけるように言葉を投げかけた。

「五年・・・五年だ、五年待っていてくれ!」

 どうか、君の耳に追いついてくれ

「その時に帽子を返してもらうぜ・・・アンタを、迎えにいくからな!!」



 お願い風よ、涙を浚わないで

 彼にこの涙の雨を、降らせないで





 そして、三度目の汽笛が鳴り響いた。
meg (2011年6月 2日 16:45)
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