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「あ、あのさ・・・サンキュ、な」








「―――え?」
 不意にそう言われたことで思わず立ち止まり、まじまじと彼の顔を眺めてしまった。


 空へ飛び立つ前に、きっとこれが最後かもしれないからと分かれて買出しに分かれた。スパーダお得意のコイントスを行った結果、ルカとイリア、リカルドとエルマーナ、そしてアンジュとスパーダの三組。二人は彼女の希望により雑貨屋へと足を運んでいた。欲しいものがあるからと、ならば別にそれを断る理由はない。
(まぁ、寒いしな)
 仲間内では厚着のほうとはいえ、基本的に女性は冷え性が多いと聞く。彼女も、そうなのだろうか。
(あの白いファーの手袋とか、似合いそうだけど・・・)
 チャリ・・・とポケットに突っ込んである小銭を調べる。だめだ、如何せん手持ちがなさすぎる。
(あーあ・・・最後かもしれねってのに・・・)
 心の中で溜息。そうだ、最後かもしれないのだ。何か彼女へ贈り物の一つくらい、出来ればいいのに。彼女が喜ぶようなこと、一つくらいしてあげられたらいいのに。ただでさえ、あんな出来事の後なのだ。それを証拠に、思えば二人になってからはぎくしゃくしてしまい、会話らしい会話一つしていない。
(俺は別に、もう気にしてないんだけどな)
 むしろ、嬉しいくらいだ。彼女が自分の・・・自分達のもとに戻ってきてくれた、それだけで嬉しくて。

「ごめんね、お待たせ」

 そうこうしているうちに、彼女が戻ってきた。戻ってきてくれて、よかった。

「なんだ、やけに嵩張ってんのな。・・・やっぱ防寒具系?」
「ええ、そうよ」
 手には麻色の紙袋。大きさの割には軽そうに持っているので、さてはストールといったところか。カランカラン、と音がする扉を開ける。相変わらず雪が降りしきっており、時折吹く風がひどく冷たい。
「もうここで開けてつけちゃえば?外、寒くね?」
「うーん、そうね・・・」

 ちら、とこちらを見る。何?と聞けば、ううん、と返され

「まだ、いいかな」

 行きましょ、と歩き始めた。そしてまた、会話がなくなった。





「いや、えー・・・っと」
 これまで口を開かずずっと歩いてきた。彼のことだ、普段ではただ黙っているのは落ち着かないと今頃ルカにいじわるを言ったりイリアをからかいだす。それにエルマーナが乗じ、ルカは泣きべそ、イリアは憤慨、リカルドは呆れ顔で余計なことを言い―――自分がそれを治めようとする。
(昨日までのことなのに、なんだか大昔のことみたい・・・)
 束の間とはいえ、こんな時間が自分にまた再び戻ってこようとは、夢にも思わなかった。いや、夢見ていた。祈っていたけれど、それは到底叶わぬものと思っていた。

 アルベールのもとへ下った時から、"わたし"としての時間は止まったのだと


「・・・あの時、助けてくれただろ?すぐ言えばよかったのに、タイミング逃しちまって言えなかったからさ」


 そう、思っていたのに。


 心よりも先に、体が動いてしまった。















 ルカとイリア、そして彼が自分達に向かってきた際、真っ先に彼の相手は自分が務めようと決めた。彼に殺されるならば本望であったし、なによりも当然の制裁だと思ったから。(だってあの時にわたしをもう一度奮い立たせてくれたのは、他の誰でもない、彼だったから。)


 それなのに、彼は防戦一方で全く攻撃をしてこない。戦意すら感じられなかった。


「スパーダくん、どうしたの?防戦一方だなんて、スパーダくんらしくないよ」
「・・・・・」
「このままじゃ、私に殺されちゃうよ?早く攻撃を・・・」


「―――できるわけ、ねぇだろがっ!!」


 双剣を交差させ衝撃波を編み出し、私を吹き飛ばす。といっても、私でも容易に受け身を取れる程度のもの。肩で、息をしている。知ってるよ、あなたにとって剣技を繰り出すよりも、防戦は辛いものだということ。それほどまでにして、あなたは私をどうしたい?


「そう、そうだよね・・・スパーダくん、優しいもの。―――でもね、」


 一瞬で間合いを詰め、一撃。もちろん、これは完璧に防御される。その後間を置かず六連撃、そしてまた六連撃へつなぐ。こうも連撃が続くと誰だって隙が生じるもの。特に、防戦一方で反撃する隙をまるで考えていない彼にとっては致命傷だろう。だって、ほら


「―――飛翔刃っ!!」


 私が彼にこんな一撃を与えることができるだなんて、普段ならば絶対に在り得ないことなのだから。


「なんでよぉ、アンジュ・・・なんでなのよぉ!!」
 イリアが叫ぶ。見ると、彼女ももうすでにボロボロだった。彼女を必死に守ろうと、ルカがその剣を振るう。回復が間に合わないのだろう、それほどまでにアルベールからの攻撃が激しいから。私が彼達の側にいて、かつアルベールのみを相手にしたならばそれほど難しくもないのだ。それほどまでに私達は強くなったのだから。致命傷なのは、彼らがとてもとても優しい人間なのだということ。―――唯一人、私を除いて。
「オリフィエル、最後は僕が代わろう」
 君にそこまでは無理だろう?彼に向う。傷だらけの彼を見て、くすりと笑った。なにがおかしい、と彼は睨みつける。いやね、と彼が微笑んで私を見た。
「よくやったね。正直、君にここまでは無理かと思っていたんだ。出来ないと泣き出すとかね。・・・でも、やっぱり君はオリフィエルだ。だってほら、ここでも君は」



「裏切り者だから」



「―――てめぇ・・・っ!!!」
 頭が真っ白になりかけた、が、それを彼が許さなかった。それまで防戦一方だった彼が、途端に息巻いて技を繰り出していくのだ。ボロボロの体を引きずって、それでもその剣に怒りを滲ませて。
「なんだい、彼女が僕にそう言われて怒っているのかい?おかしな話だね、君は彼女に傷つけられたんだよ?」
「うるせぇよ!!!そんなん、てめぇがアンジュを罵る筋合いは、ねぇだろっ!!」
 もういくばくかも残っていない力を振り絞って、立ち向かっていく。それをあざ笑うかのように、アルベールは受け流していく。
「だい、たい、てめぇは、さっきから何様なんだよ・・・オリフィエルじゃねえ、コイツはアンジュだ!てめぇだって、ヒンメルじゃなくアルベールだろ!」
(どう、して・・・)
 けれど、回を増すごとに狙いはどんどん的確になっていく。確かにその一撃には普段以上の力がこもり、少しずつ、少しずつ押されていく。
(どうして、あなたはいつも・・・)
 どうして彼はいつも自分が一番欲しい言葉を与えてくれるのだろうか。
「いつまで、も、ひきずってんじゃ・・・ねぇっ!!」
 渾身の力をもって、衝撃波を放ち吹き飛ばす。先ほど自分が受けたものとは比べ物にならない、大きな力だった。彼もそれには予想していなかったようで、辛うじて受け身を取りつつも構えは崩れてた。

「くっ・・・オリフィエル、援護を要請する!」


 彼がわたしを呼ぶ。彼がわたしに請う。わたしのものではない、名前を呼んで。


「オリフィエル!!」
「させないわよ!」
 同じくつい先ほどまで肩で息をしていた二人が、立ち塞がる。傷だらけで、泥だらけ・・・でも瞳には眩しいくらいの輝きを持っている。
「アンジュ、あんた本当は分かってるんでしょう?」

 分かっている?何を?

「前に言ってくれたじゃない。アスラは僕だけど、僕はアスラじゃない。」

 分かっている、本当は。

「オリフィエルはアンジュだけど、アンジュはオリフィエルじゃないんだ。」
 前世の罪は、見て見ぬふりをしてはいけないけれど、罪悪感を感じる必要はない。今生きている自分を犠牲にする必要は何一つない。前世の罪を償う為に、転生したのではないのだから―――。
「それ、でも―――」

 ヒンメル、ヒンメル・・・

 可哀想なヒンメル、あなたを思い出そうとすると、牢獄に入れられて一人佇む姿しか描かれないの。その名を呼んで、信じているとうわ言のように繰り返し呟くあなたの姿しか、思いだせないの。

「それでも、わたしは・・・」

 あなたの笑顔を思い浮かべると、胸が苦しい。その小さな体全部を使って、彼を・・・私を信じてくれていたの。なのに、わたしは

「守れなかった・・・守れなかったのよ!」

 あの小さな手に込めた誓いを。

「あなた達にわかる!?誰からも優しい言葉をかけられず、ただ一人あの独房へ居続けたあの子の気持ちが・・・一人処刑台の露と消えたあの子の気持ちを、あなた達はどう救ってあげられるというの!?」
 天上界が崩壊する間際まで、オリフィエルは後悔という名の闇に包まれていた。光などない、そこにあるものは闇だけだった。与えられる死を只ひたすら待ち望んだ。(自分から命を立てば転生の輪から外れ、永遠に魂だけが彷徨うこととなりあの子に会えなくなるから。)
「アンジュ・・・」
「約束、したのよ―――」
 天術の印を組みだす。体から光が溢れ、わたしに向って集中する。光を刃に変えて、降らせる天術。
「それを果たすためなら、わたしはあなた達をわたしの手で殺してしまうことに、迷いなんて―――!」




 突如、ガシャンと金属が擦れる音が大きく響き渡った。いや、正しくは金属と金属がぶつかり合う音、だ。数秒して、すぐに今度は双剣が床に叩きつけられる音が響いた。
「スパーダ!!」
(スパーダ、くん・・・?)
 光が収束し、足元から印が消えていく。
 麻色のキャスケット、薄緑の綺麗な髪、信念を貫き通す強い瞳・・・ああ、思いだされるのは強く輝かしい笑顔の君ばかりだ。たくさんたくさん傷つけてしまったであろう、君、だ。
「く、そ・・・」
「勝負がついたようだね」
 ヒンメル、あなたはなんという目をしているの?そんな人を蔑むような真似をしてはいけないと、あれほど教えたじゃない・・・。
「君はね、邪魔なんだよ」
 剣の切っ先を彼の鼻先三寸まで掲げ、ピタリと止める。
「君が生きているとね、彼女は迷う。彼女はオリフィエルになれないんだ」
「てめぇ、は・・・!」

 ああそうか、そうだったんだ。これで合点がいった。どうしてわざわざ、彼らが追い付くまで待っていたのだろうと、疑問だった。飛空艇はすでに出立の準備が整っていた。すぐに乗り込んで出ていたなら、邪魔など入らずさっさと目的を達成することができたはずなのに。彼らと戦う手間など省けたはずなのに。
(わたしを、待っていたんだ・・・)
 わたしが完全に覚醒して、オリフィエルそのものになることを。
(そうすれば、迷いなくあの子を選んで、愛して、望を叶えてあげられるから)
 ヒンメルの望みを叶えるには、オリフィエルが必要。オリフィエルとなるには・・・わたしが培ってきた全ての理を断ち切らなければならない。"アンジュ"のままでは駄目なのだ。最初から"わたし"は、必要なかったのだ。

「てめぇ、は、親がいないと何もできねぇ子供かよ・・・!」
「何とでも言うがいいさ、どうせ君はもうすぐ―――」
「ああ、言わせてもらうぜ!」
 駆けつけようとするルカを、彼自ら押し留める。近寄れば、術の乱発を浴びるだろう。だったら、そこにいてイリアを守れ、と。バカじゃないの、とイリアが泣き叫ぶ。彼女の手にある拳銃には、弾はもう一本もはいっていない。疲労具合からすると、満足に天術も使えないだろう。「ああ、俺はバカなんだ。知ってんだろ?」と、もうすぐ死ぬかもしれない人間の口から出たとは思えないほど軽く、明るい声で答えて見せた。

「さっきからオリフィエルオリフィエル、いい加減にしろよ」
 先ほどの剣幕とは打って変わって、静かに、諭すように話し始める。


「あいつはアンジュだ。アンジュ・セレーナだ」


 その場から逃げだそうとしない。命を請おうとしない。


「俺らの中では大人で、ちょっと口うるさくて、めんどくせー時もあるけど・・・甘いもの好きなくせにやたらと体型気にしたり、大きな犬を怖がったり、走ることが苦手だったり―――どこにでもいる、普通の女だよ。だけど、」


 優しい顔、優しい声。


「何があってもいつも一人平気なフリしてさ、俺・・・達を慰めて―――でもホントは自分が一番キてんの、知ってんだぜ」


 ああ、気が付いているだろうか。君は、今にも泣き出してしまいそうな顔をしているよ。


「アルベール、お前だってさ・・・この町の人みんなに好かれてんじゃんか。本当は迷ってんだろ。」
「―――まれ・・・」
「多分この町もセンサス、ラティオ関わらずたくさんの転生者がいる。お前の願い通りにしてしまえば、そいつらも巻き添えにしてしまうかもしれねぇから・・・」


「黙れ!黙れ黙れ黙れ、黙れぇぇぇええーーー!!!」


 ヒュンッと切っ先が唸り声をあげて空を切り、上空へ上げられそのまま振り下ろされる。古い映画のように、ひとつひとつの動作が全てコマ送りとなっているように思えた。ルカが、イリアが叫ぶ。

(お前も、転生者であるが故の犠牲者だったんだな・・・)

 自分が逝った後、どうなるだろうか。彼らは無事に他の二人の元へ逃げられるだろうか。・・・彼女は、どうするだろうか。


(出来れば、さ)


 彼の望みを、自分の望みとしないで。
 僕がこうなることで、


(生きて欲しいんだけどな)


 ふ、と瞼を閉じた。










 ―――おかしい。あれから数秒が経過したが、未だに何らかの変化が訪れた気がしない。ただ少し、眩しい。もう事は済んだのだろうか。それにしては、周りの空気感は全く変わっていない。
「・・・?」
 うっすらと瞼を開ける。すると温かい光が差し込んできた。その奥には全く相反する冷たさを持つ刀身が、こちらに向かってのびている。
「な、なぜ・・・だ」
 慌てて目を見開きよくよく見てみると、温かな光のヴェールがその凶刃から自分を守るように覆っていた。知っている。よく、知っている光だ。後先考えず飛び込んでいく自分を、いつも守ってくれた光だ。そしてその後必ず叱られるのだ、その術者に。それがまたおっかなくて、でも嬉しいんだ。


 光の天術を操ることのできる術者は、この場で唯一人だけ。一人しか、いない。


 アルベールがのろのろと、その剣を降ろす。すると、ゆっくりと光の障壁は消えていった。

「あ、ああ・・・」
 障壁が完全に消え去ると同時に、その術者は地面に膝から崩れ落ちた。真っ青な顔をして。
「ど、して・・・わたし・・・」


「アンジュ・・・?」


 心よりも先に、体が動いてしまった。

 誓ったはずなのに。今度こそこの身を、この命を彼の為に捧げようと。何があっても、たとえかつての仲間をこの手で亡くすことになろうとも。忘れたの?あの辛い日々を―――罪の意識に苛まれながら、死が訪れるのを今か今かと待ちわびたあの日々のことを。転生したならば孤独のうちに死んでしまった彼の為、尽くそうと心に誓った。忘れたはず、ないのに。


 それなのに、わたしは・・・この体は、どうしようもなく欲している。


 ここじゃない、ここじゃないの。
 わたしが本当に在りたい場所は、こんなところじゃないの。

 帰りたい、帰りたいの。

 今すぐ、あなたの傍へ駆けていきたいの。


「わた、し・・・」


 きゅ、と拳を握り締めて、座り込んだまま新たに印を結ぶ。自分を中心にして印が広がり、地面から暖かい光が上へ上へと溢れだす。
「傷が・・・」
 上位天術、癒しの印・・・リザレクション。アルベールはもちろんのこと、光はルカやイリア・・・スパーダまでも包み込んで癒していく。


「ごめ、なさい・・・」
 ぼろぼろと涙が溢れる。アルベールか、かつての仲間達か、一体どちらへ向けての言葉なのか自分でもわからない。どちらにせよ、意味のない言葉だ。許してほしいだなんて浅ましいにも程がある。それだけのことをしでかしたのだ、自分は。
「ごめんなさい、ごめんなさ・・ぃ・・・」
 けれど、謝らずにはいられなかった。いくら無意味とわかりつつも、言わずにはいられなかったんだ。


 ゆらり、と誰かが近づいてくる。それが誰なのか、顔を上げることが出来ない為(今の自分の行いが、誰に対しても酷く恥ずべきことだから)、確認出来ない。やはり、自分は死ぬだろうか。どちらにとっても・・・ヒンメルにとっても、彼らにとっても、ナーオスにとっても・・・センサスとラティオにとっても今自分は裏切り者となった。
(「やっぱり」、なんてきっと・・・)
 手前で足音が止んだ。きゅ、と瞼を閉じる。



 けれど降ってきたものは、優しさのこもった柔らかい体温だった。

















「―――本当はあの時、わたしスパーダくんに殺してほしかった」
 あ、もちろん今はそんなこと思ってないから安心してねと付け加える。
「浅ましい考え方だけど、そうしてくれたらアルベールさんの望みを絶つことができるし、これ以上の罪を重ねることはないって思ったから。だからそれが最善策だと思っていたの」
「アンジュ・・・」

「でも、違ったみたい」


 あの時、ようやく気がついた。


『ばかばかっ、ばかアンジュ!』

 言葉とは裏腹に、ぎゅうぎゅうと苦しいくらい抱きしめてくる。目の前を赤い髪の毛がちらつく。ボロボロの衣、ボロボロの肌。
『覚悟しときなさいよ、次こんなことしたら絶対承知しないんだからね!!?』

 みるみるうちに肩の衣が湿っていく。彼女はわたしの服をハンカチ代わりにすると決めたようだった。止めることなど考えてないのだろう、次から次へと溢れだしていく。
『いいわねっ!?』

 言葉は半分涙となり、上手に言えていない。けれど、十分だった。
『イリ、ア・・・』

 痛いほど胸に気持ちが突き刺さる。嬉しい、嬉しいの。嬉しくて嬉しくて、彼女に負けないくらいの量の涙が溢れた。


 私の為に涙を流してくれる人がいる。怒ってくれる人がいる。心配してくれる人がいる。必要としてくれる人がいる。わたしはまた繰り返してしまうところだった。大切な人たちの心を傷つけ、踏みにじって・・・また罪に苛まれながら、今度はこの手にかけた誰かに命を捧げるため転生するところだった。救いのない、繰り返しだ。
「ありがとうじゃ、足りないよ」
 あなた達は二度、わたしを助けてくれた。二度信じてくれた。だからもう、絶対に裏切らない。


 あなたのこと、もう二度と裏切らないから。


 大きく襟元が開いている彼の服を見て寒くないかと問うと、「そんなことねぇよと」と憎まれ口を叩いてくしゃみ。それを非難すれば、ただ誰かがきっと噂をしているんだと減らず口。「はいはいそうね、でも見ているこっちが寒からちゃんと暖かくしてね」と先ほど雑貨屋へ立ち寄った際にこっそりと買っておいたメンズのマフラーをかけてやる。一目見た瞬間、買おうと決めた。彼によく似合うであろう、瞳と同じ色のマフラー。
(あなた、わたしが見てる前じゃ見栄張って買ったりしないでしょう?)
 当たり前だが驚かれた。わざとそっぽを向いてちらりと横目に彼を見れば、こっそりマフラーに顔を埋めて恥ずかしいようなくすぐったいような、嬉しそうな顔をしているものだから
(まったく、本当にしようがない子ね)
 と、こっそり笑った。

「・・・ホントはこれ、俺の役目だったハズなんだけど」

 このマフラーも、イリアがしたことも。
 本当は、全部自分がしてあげたかったこと。

「え?」
 マフラー越しだったからか上手く聞き取れず、何と言ったのか振り返り聞き返そうとした瞬間、

「くしゅんっ!」

 そういえば彼のマフラーのことで頭がいっぱいで、自分の分の防寒具を忘れていた。すっかり手がつめたくなっている。雑貨屋からはあまり遠く離れていない。せめて手袋だけでも買った方がいいだろう、これではかじかんでしまって太刀筋に支障がでる。
「手、真っ赤じゃねーか!」
 さすっている様子を見て、ぎょっとしたように言う。いつもはエルと手を繋いでいて温かいから、気が付かなかったわと苦笑すると、それを聞いて何かを考えるそぶりを見せた。
「スパーダくん、悪いんだけどもう一度雑貨屋に・・・」

「必要ねぇよ、手ェ貸してみ」
 どうして、と聞いてもいいからと半ば強制的に左手を捉えられる。いつの間に外したのか彼が先ほどまで付けていた赤いグローブを、取りつけられた。わたしの手には大きくて、少し不格好に見える。
(男の子の手、か)
 でもそれは片方だけ。もう片方は未だ彼の右手についている。
「んで、こっちは・・・」
 今度はなんだろうと特に気にせず待っていたら、
「これでいいだろ」
 右手を彼の左手に、捕まえられた。


「―――!!」


 右手に体中の血が集中するよう。冷たいはずなのにすごく熱い。
「あ、あのねスパーダく・・・」
「うるせぇよ、これしか方法ねーんだから我慢しろって!」
 と普段以上にぶっきらぼうな返事が言葉を待たず返って来た。そのままずかずかとひきずるように歩いていく。


 怒ってる?―――いや、違う。恥ずかしいんだ、照れているんだきっと。
 でも、このままじゃいずれこの心臓の音が、この手を通じて伝わってしまう。


 わたし、緊張している。


 今までも彼の手に触れる機会なんて、たくさんあったじゃない。
 なのに、今回初めて触れたような気がして

 男の子らしい骨ばった手の甲だとか、手のひらにある硬い肉刺だとか


 今までだって、触れてきたはずなのに


「・・・集合場所に着く前に離してやるから、それまでは辛抱してくれ」


 先へ先へと歩いていくから、表情が見えない。けれど、その先はわたしと同じように赤く染まっている気がして


「―――嫌なんかじゃ、ないよ」


 ぎゅっと、握り返した。





YOU ARE EVERYTHING

(嫌なはず、ないじゃない。だって、もう悲しいくらい、切ないくらいあの瞬間から、 
あなたのことで頭が一杯だというのに)














 うれし、かったの。







『あいつはアンジュだ。アンジュ・セレーナだ』





『俺らの中では大人で、ちょっと口うるさくて、めんどくせー時もあるけど・・・甘いもの好きなくせにやたらと体型気にしたり、大きな犬を怖がったり、走ることが苦手だったり―――どこにでもいる、普通の女だよ。だけど、』





『何があってもいつも一人平気なフリしてさ、俺・・・達を慰めて―――でもホントは自分が一番キてんの、知ってんだぜ』








 泣き叫びたいくらい、本当は、すごく嬉しかったの。






 わたしがあなたに殺されたかったのは

 あなたをこの手にかけるくらいなら、あなたの手にかけられたほうが幸せ。





「ありが、とう・・・」




 あなたを助けることが出来て、生きていてくれて、本当によかった。




 また溢れそうになる涙を、彼の赤いグローブをつけた左手でそっと拭った。
meg (2011年6月 2日 16:33)
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