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 見上げた空は、恨めしいくらい、満点の星空だった。

"ねぇ、母似香ちゃん...。みんな、もうすぐ試験だから...部屋に閉じこもって、勉強してる。そうだよね...?"

 消え入りそうな声で、そう尋ねてきた風花に、「そうだよ、わたしもがんばんなきゃ!」と無理矢理笑顔を作り、ただ、やっぱり居たたまれなくて、そろそろ部屋に戻るという彼女に、適当な理由を付けて寮を出てきた。

 無達さんも、たなか社長も、いつも気が付けばそこにいるのに、今日に限っていない。ベルベットルームに居る間は、現実世界の時間は進まないわけだから、あまり意味がない。おじいちゃんとおばあちゃんが営む古本屋も、もう閉店している時間だし、海牛やはがくれに行くほど食欲はない。

 とりあえず、テオから依頼を受けていた、フロスト人形を取りに行こうかなとゲームセンターへ赴く。...こういう時ばかり、絶好調。きっかり600円で揃えてしまった。しかも、最後の一つを取る時に、もう一つおまけについてきた。三つは早速その足で引き取ってもらい、手元に残る一つ。なんだかその能天気そうな表情が、
「...まぁーーったく、人の気も知らないで、呑気な顔しちゃってさー。」
 コツン、と口に出して人形のおでこを小突く。へにゃ、という感触を味わうと共に、ため息を一つ、落とした。
(わたしが、ただ一人、能天気で単純だったのかな...。)

 ポロニアンモールは、少々人気が多く、心を落ち着かせるには、到底適した場所ではなかった。かといって、わざわざゴロツキが多くたむろする場へ行くほど自分は考えなしではないし、飲食店が並ぶ商店街へ行く気も起きない。自然と足が向かった先は、長鳴神社だった。

 きゅ、とフロスト人形を胸に抱きしめて、そのままベンチに腰掛ける。7月も中旬に差し掛かった立派な夏とはいえ、さすがに夜のベンチはヒンヤリと太ももを冷やす。

 一つ、また一つと大型のシャドウを倒すたびに、皆の結束が深まっていく。もちろん、高校生活におおよそ似つかわしくない、タルタロスでの戦闘行動は、いつだって命がけで必死だし、毎回出撃前の祈りは欠かさない。怖くないわけない。でも、この活動が皆の役に立っているんだという自負はあったし、それ以上に、皆の仲が深まる。深まるんだって、思ってた。

(いや、違う、な...。)

 そうじゃない。

(わたし、浮かれてた。)

 居場所が出来たことに。役に立ててる、必要とされてるって、ことに。

 最近、順平がすごくよそよそしかった。あの7月7日の作戦が終わって今までの4日間、ずっと。
 最初の2日間くらいは、寝不足なのかな、とか、ただ機嫌が悪いだけかな、とか、思ってた。でもさすがに、3日、4日も続けば、誰だって気がつく。
 それと、ゆかりと風花だって。二人きりで作戦室にこもってた時、わたしには聞かれたくない話だとは思っていたけど。そして、それがきっと美鶴先輩関連であることも、最近のゆかりを見ていればわかっていたことだけど。わたしに、相談してくれればいいのにと思う反面、もし相談を受けていても、彼女の望む答えをわたしは与えることができたかどうか甚だ疑問で、そんな自信はまるでない。

(もし、もしわたし以外の人がリーダーだったら)

 わたしも、今の彼と同じ思いを抱いていたかもしれない。必要とされて、羨ましい。

(そんなこと、ないのに。)

 リーダーをしているからこそ、踏み込ませてもらえない領域がある。わたしがリーダーとしてがんばればがんばろうとするほど、離れていく人がいる。...かもしれない。

 ああもうめんどうくさい。これだから、居場所なんていらないんだ。わかってたことじゃない。今まで、そうやってずっと生きてきたじゃない。笑顔の仮面をかぶって接するだけ。簡単なことじゃないか。そうすれば、こんなに心が痛まなくて済むのだから。

(違う、そんなの、何の解決にもならない!)

 ただの仲良しこよしで、言いたいことも思っていることも伝えないまま先まで進むよりも、ぎくしゃくしてでも全てを明らかにして、納得した上で、皆で進んでいった方がいいに決まっている。
 でも、でも、この状態が辛い。わたしには、辛すぎる。もしわたしがリーダーじゃなかったら、もっとうまくまとめられていたかもしれない。順平もゆかりも、わたしと距離をおくことはなかったかもしれない。わたしが・・・孤立する状況にはならなかったかもしれない。

 かもしれない、かもしれない...。

(もう、だめ...。)

 一つ、また一つと涙が粒となって、フロスト人形に降る。

「もう、わたし、どうしたら、いいの...。」

 ひとりぼっち、なんて、慣れていたはずなのに。

 顔を人形にうずめて、そのまま濡らしていく。一度溢れだした涙は止まらず、絞り出した言葉は最後、嗚咽へと変わっていた。自分の耳には、もう自分の嗚咽しか届いていなくて。誰かが階段を登ってくる足音だとか、境内の砂利を踏みしめる音だとかは、全く届いていなかった。


「...斗南?」
 突如、聞き覚えのある、艶のある優しい声が、上から降ってくる。それが耳に届いた瞬間、何も考えず反射的に顔をあげてしまった。今の自分が、どんなにひどい顔をしているのかを忘れて。

 ただでさえ夜の闇の中、涙で視界が滲み、その姿形はぼんやりとしか認識できない。けれど、
「ど、どうした、どうして泣いている...。どこか痛いのか、転んでアバラでも折ったのか!?」
 赤いVネックTシャツを好み、こんなにもスタイルの良い空気詠み人知らずで天然な知り合いは、一人しかいなかった。
「ふ、ふふ...。やだぁ、先輩、じゃ、ない、んですから...。」
 そういえば、ハンカチを忘れた。部屋着のまま、ポケットに小銭の入った小さながま口財布を突っ込んで、逃げるように出てきたのだ。せめて、学校用の鞄の中に突っ込んである、乙女の必需品が詰まったバッグインバッグを持ってくるべきだった。
 仕方がないので、着ているパーカーの袖で涙を拭う。早く普段の顔に戻りたいのに、涙はそれに反して、どんどん出てくる。
「すみません、目にゴミが入っただけ、なんで...。ちょ、ちょっと、待ってください。すぐ、止めますか...」

「いや、」
 遠慮がちに、でもすごく優しく、二回、ぽんぽんっと、頭をなでるように叩かれた。
「そのまま、泣きたいだけ泣けばいい。...待ってるから。」

 そう言って、ちょど人半分のスペースをとって、わたしの隣に腰掛ける。パーカーの袖を瞼にあてたまま、固まっているわたしをちらりと見て、すっとその筋のある綺麗な長い腕を伸ばし、今度こそ優しく頭をなでてくれた。
 うわ、もうだめだ。それが起爆装置のスイッチを押し、辛うじて堪えていた声は溢れ出、大粒の涙がぼろぼろ、ぼろぼろと膝に、地面に、降り注ぐ。まるで、この時を待っていたかのように。
(どうして、ひとは、ひとの優しさに、弱いんだろう)
 一人で泣くことを覚えたのは、いつだったか。最後に一人で泣いたのは、いつだったか。最後に、こうして優しくされたのは、いつだっただろう。

 しばらく頭を撫でていた手はふと動きを止め、少し何かを悩んだのか、間を開けたあとに場所を肩へと移動し、今度はぐいと引き寄せられた。「え」、と、驚きの声を上げる間もなく、涙で塗れた瞼を、彼の肩に押し付けられる。もう、何がどうなっているのか、顔が赤くなる間もないほど処理が追いつかない頭の中、変なところで冷静に、彼の服が塗れるから、と少し体制を変えようとした瞬間、ぎゅう、と肩を抱く腕に力が入った。

「...すまない。」
 鼻先を、なんだかとても落ち着く香りがくすぐる。おとこのひとの香りって、みんな、こう?...いや、きっと違う気がする。
「本当に、すまなかった...。」
 「何が?」、とは、聞けなかった。「先輩のせいじゃないです」、とも違う。ただ、この場所はすごく、温かくて。わたしの心に突き刺さった氷の刃を、みるみるうちに溶かしていく。
 一応心の中で謝って、彼のTシャツをハンカチ代わりに使うことに決めた。みんなの為に、泣いているんじゃないんです。わたしの、力不足が許せなくて、泣いているんです。でも、どうもそれをうまく伝えることができる自信がなくて、ただひたすら、縋りついて、泣き続けた。

 (大丈夫、きっと、まだがんばれる―――。)



 あれから、どのくらいの時間がたっただろう。涙も大分、落ち着いた。
 それにしたってこの状況。目頭の熱が収まりつつある中、頭の中も大分冷静に物事を考えられるようになり、さぁて、これまでの流れを振り返ってみよう。優しく頭をなでてくれた先輩とか、子供のように泣いてしまった自分とか...抱きしめてくれた先輩とか、縋りついてさらに泣き喚いてしまった自分とか。何も知らない他人からすれば、どういう二人に見えるかなんて、もはや答えは決まりきっている。ど、どうしようか。
 でも、この胸が苦しいのは、きっと嗚咽と、先輩の抱きしめる力が強いから、だけじゃない。

「せんぱ、い...、くるし...」
「あっ!す、すまな...っ」
「あ、ち、違うんですっ!」
 抱いていた手を離しあわてて体を離そうとする彼の背中に、今度はこちらから両手を巻きつけた。わ、わたし、何してるの!?と思う反面、この優しさから離れたくない、と願うわたしがいる。
「あ、あの...もう少しだけ...。」
 ああ、もうきっと、今度こそ顔は茹蛸のよう、真っ赤になっているはず。今、こんな顔を見られては、恥ずかしくて死んでしまう。顔を彼の胸に押し付けて(この状態も、十分に恥ずかしいものではあったけれど、折角冷静にもどったはずの思考回路は、再びすでにショートしかけていた)、

「もう少し、もう少しだけ...このままで、いさせてください...。」


星に落ちた夜。


「......こんなこと、いくら泣いてるからって、他の女の子にしちゃだめですよ。」
「ん?」
「いえ、な、なんでも、ない、です......。」

 二人並んで歩く帰り道。普段より少し狭い歩幅と、自然に繋がれた手と手。
 7月7日のスペシャルマッチに引き続き、二人だけの秘密がもう一つ、増えた夜だった。


meg (2012年4月11日 13:54)

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