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「大丈夫?もう少しの辛抱だから、がんばって」

 落ちついたアルトの声。流れる絹のような長い黒髪。何ものも貫き通す真っ直ぐな視線と、頬に影を落とす長い睫毛。凛とした立ち姿。
 年一つしか違わないはずなのに、自分の何倍も女性らしく、また大人であると思わせる。
 それは、自分がなりたくないもの。そして、渇望してやまないもの。

 揺れるバスの中、窓際に座る僕は顔を車窓に向けたまま、隣で財布に入った小銭を確認する彼女の綺麗な横顔を、窓越しにぼんやり眺めていた。

「・・・どうかした?」
 そんなに見つめられると、顔に穴が空いてしまうかもと微笑みかけられ、あわてて視線を車窓の先へ戻す。
「別に、なんでもありませんよ」
「あれ、そうかな?」
 ばつが悪そうに帽子を深くかぶり直す自分をみて、また彼女はくすくす笑う。あきらかに、"なんでもない"わけがない。それでも彼女は深く追求してこようとはせず、財布のガマ口をパチンと音を立てて閉じ鞄にしまった。

 車内に、「天城屋旅館前」と名がついた停留所に間もなく到着するというアナウンスが流れる。自分が降りる停留所まであと二つ。停留所へ着き数人の客が降りる中、微動だにしない彼女へ声をかけるも、「言ったでしょう?」と短い一言で終わらせられる。普段ならここで「結構です」だとか「お断りします」だとか与えられようとしている好意を拒否する類の言葉を投げかけるところを、今回ばかりはどうしても口にすることができなかった。

 わざとらしい低めの声。ざっくばらんに切られた短い髪。虚勢に揺れる瞳とその立ち振る舞い、背伸びしてばかりの小さな自分。

 自分を圧してまで頑なに守り通そうとした夢。

「ね、直斗くん」

 この身はおろか、躍起になって乗り込みたくさんの優しい人達を巻き込み傷つけてまで守りたい夢とは、一体なんだろう。

「私ね、お姫様になりたかったんだよ」

 差し伸べられる優しい手を全て振り払ってまで、掴みたい夢とは―――

「―――は?」

 完璧なる大和撫子として誉れ高い彼女の口から出た意外な言葉に、思考を遮断せざるを得なかった。彼女の顔を見やれば、やだ、直斗くんたら変なカオ、と楽しそうに笑っている。(思えば全く失礼な話だ。)なんだ、これはいっぱい食わされたのかと苦言を呈し顔を背けようとすれば
「あら、本当だよ?王子様がきっと私を迎えに来てくれるって、信じてた」
「昔の話でしょう?まぁ、女の子でしたら大抵そういうものです」
 僕は、違うけれどと小さな声で付け足して。すると彼女はううんと小さく頭を振り、
「つい最近まで」

 バスに乗り込む客も終わり、プシューと音を立てて扉が締りエンジンがかかる。車窓から少し遠くに見える彼女の家を見送ってから、

「こんなふうに、みんなに助けてもらうまで・・・ううん、ゼロ君に話をきいてもらうまで、かな」
 他のみんなには内緒よと人差し指を唇につけて、恥ずかしそうに微笑んだ。

「あの家に女として生まれたから―――たったこれだけの理由で、わたしの意思関係なしに次期女将だってみんな信じて疑わなかった」

 この世界が全てであった幼い頃は、自分自身もそうであると信じて疑わなかった。母の仕事ぶりを傍でいつも見ていて素晴らしい仕事であると思っていたし、彼女のような女将になると心に決めた時期もあった。けれど成長するにつれ世界は広がり、自分には無限の可能性があることを知った時。それと同時に、周囲から"雪子"ではなく"次期女将"と知らない人にさえ呼ばれるようになった時。"どうして私が"という醜い気持ちが心いっぱいに広がる。けれど自分からそれらを打ち破り裏切る勇気など持ち合わせておらず。

「だから、頼ったの。王子様に・・・囚われの姫である私を、ここから連れ出してほしいって」

 どうして女に生まれたんだろうって、男だったらこんなことなかったのにって、私たちお願い事は一緒だけど動機は真逆よねと言う彼女にどう相槌を打てばいいのかわからなかった。そんな自分をさして気にも留めず彼女は再び話しだす。

「そんなことからシャドウが生まれて、みんなに助けてもらって―――待っているだけじゃだめだ、やっぱりそうしたいなら自分から動かなきゃって思ったの。たとえ旅館の皆を裏切って傷つける結果となっても、それを受け入れてなお進む勇気。それが、強さだと思った。でも・・・」

 やっぱり、それも虚勢でしかなかった。

「私、やっぱり逃げてた。シャドウを自分と認めたことで、乗り越えたって勘違いしてしまっていた。あれは"終わり"じゃなくて、"始まり"だったの。」

 そう語る彼女の表情はとても晴れ晴れとしていて、迷いがない。そうか、自分の瞳に映った彼女の姿勢はその由縁だったのか。真の強さとは何かを知る者の顔。それはきっと、抱える物によって異なるから「それは何か」と尋ねても意味がない。ただ一つ分かるのは、きっと彼女と僕は抱える物が少し似通っているということ。歩みを進めるうちに別れてしまったけれど。

「だから、ね、直斗くん。」

 彼女の呼びかけは、とても強みを帯びていて。けれどその表情は至極柔らかい。

「焦らないで、少しだけ立ち止まって見て。一度考えることをやめて落ちついて周りを見渡せば、きっと見えていなかったものが見えてくるから。」




「・・・一つ、教えてください」
「ん?」
「彼・・・"斗南 零"という人間は、どのような人物ですか」

 長い睫毛をパチパチ、と瞬かせて、「ん、そうだね・・・。」と少し思案を巡らすように、右手の綺麗な人差し指を口元にやった。


「彼は不思議な人よ。特に何か教えてくれるでもなく、ただ傍にいてくれる・・・でもそれが、私たちの背を押してくれている。」

 ほんのりと、紅く火照った頬。

「―――っ」
 不意に何かを口にしようとした瞬間、ファン、とバスのクラクションがなり、ブレーキがかかる。アナウンスが、目的地に到着したことを告げた。口にしようとした内容は、覚えていない。
「あら、もう着いたみたい。」
 早かったね、立てる?と僕より先に立ち上がり、こちらに向かって右手を差し出してきた。今更、自分で立てますと跳ね除けるのも違う気がして、
「ありがとう、ございます......。」
 戸惑いがちに、その手を取った。

 その手は、自分がこれまで触れてきたものの中で、一番、温かかった気がした。


何もかも熱に
掻き消されて


(くれれば、良かったのに)







主雪前提の、主←直のようで雪←直(!)だったり。美人と少年ぽい少女という組合わせが大好物。
meg (2012年4月13日 13:19)
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