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「ねぇ母さん! この戦術書について、教えてほしいところがあるんですけど……」
 天幕越しに、努めて明るく声をかけてくる息子に、それまで読み進めていた戦術書のページに栞を挟んで、パタリと閉じた。
「いいわよ、入ってきて」
「失礼しまーす……って、わ、何ですかこれ!」
 天幕を開けて入るなり、周囲を見回して目を皿のように広げる。驚くのも無理はない、あたしの周りを取り囲むように、そこには大量の戦術書が積み重ねられていたのだから。
「か、母さん、どうしたんですこの量……。今までどこに、こんなに隠し持ってたんです?」
「違うの、つい昨日アンナに頼んで、ちょっとね」
 今までに読み終えた戦術書は、必要なページだけを切り抜いて、あとは全て処分していた。行軍中に、こんなに大量の書物を持ち運ぶなんてナンセンスすぎる。荷物は必要最低限に。これがあたしの、モットーだった。
「大丈夫よ、次の移動日までには片づけるから。で、どこがわからないの?」
 こんなんじゃ、いつまで経っても追いつけないはずだよ……とため息を漏らす息子に、つい笑みが漏れる。大丈夫よ、あなたは着実に知識も力もつけている。力なんて、当の昔に追い越された。知識だってその日が来るのは、そう遠くないことだろう。でも、できれば、その時にはもう戦争なんてなくなっていて欲しい、なんて言うと、複雑な顔をするかな、あなたは。
「あ、はいええと、この部分で――」
「――マーク、悪いがそこまでだ」
 いつの間にそこにいたのか、ガシリ、と大きな手のひらで、息子の後頭部を掴む。
「クロム!」
「父さん!」
 彼を呼ぶ声が綺麗に重なる。やれやれ、と眉間に皺を寄せため息を一つ吐き、息子と向かい合う。
「母さんは大分疲れているから、今日は勘弁してやってくれ。明日の夕方にでも頼むといい」
「ちょ、クロム!あたしは大丈夫だって……」
「ダメだ!」
 彼女にはてんで甘い父親の、珍しく厳しい顔つきを見て、改めて自分の母を真正面から見直す。いつも血色の好い肌はなんだか真っ白で、髪の毛にも張りがない。いつもニコニコと微笑みを絶やさない目元には、真っ青なくまが見て取れる。ああ、そうだ、そうだった。どうしてなんて、考える方が野暮だ。むしろ、どうして自分がそこまで思い至らなかったのかが、情けない。
「うん、そうですね……そうします」
「マーク!」
「父さん、母さんが戦術書を読みださないように、見張っておいてください。でないと、また今日も寝ずに全部読破しちゃいそうだから」
「ああ、わかった」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
 じゃあね、笑顔でそう言って、息子はそそくさと天幕を出ていく。ああ、どうしよう、気まずい。そもそもクロムには、このことは内緒だったのだ。彼が天幕に近寄ろうものなら、こちらから出て行って入らせないようにしたし、アンナにも多額の口止め料を支払った。
「……ルフレ」
「……はい」
「これは何だ」
 ああ、怒ってる。間違いなく怒ってる。そりゃそうよね、自分の小遣いの中とは言え、これだけ買い込んで、マークの言うとおり、夜通し読んでいたんだから。
「せ、戦術書……」
「見ればわかる。俺が言いたいのは、どうしてこんなになるまでして、自分を追い詰めるのだということだ」
 掌で両頬を包み込まれ、その親指で、目元のくまを優しくなぞられる。端正な顔が少し歪んで、怒りではなく、どちらかというと、悲しそうな、不甲斐ないといった顔で満ちている。
「――っ、クロ……!」
「頼む、頼むから……そんなに自分を、責めないでくれ」
 ぎゅううっと、そのまま力任せに抱きすくめられる。頬に当たる彼の鎧の金属が、少しばかり冷たく痛い。
「お前のその指揮のおかげで、こうして俺たちは生きて脱出できたんだ。十分な準備を持って、覇王と対峙できる。全てお前が、お前のおかげなんだ」
 二年。あなたと出会って、もう二年が経過した。当時から頼もしかったあなたは、更にそれを増した。記憶を失っていて、見るからに不審だったあたしを、信じてくれて、好きになってくれて、愛してくれた。素晴らしい娘を授けてくれ、さらにこれから素晴らしい息子も授けてくれる。そしてきっと、この素晴らしい仲間たちから祝われ、そして祝うのだろう。
「……もっと、知識があれば……あんな戦略とらなくても、いけたんじゃないかって……」
 失いたく、ないのだ。それら全てを。本当は一兵たりとも、失いたくない、その家族を悲しませたくない。だからこそあたし自ら先頭に立って、最低限な犠牲で済むよう指揮を執ってきたし、各将が皆、我先にと兵士よりも前へ前へで出て行った。国のトップが自ら前線・先頭に立つ国なんて、他にどこがあるだろう。
「もう、こんな思いは、したくないの……。クロムを、あの子達を失いたくない!」
 知識を得さえすれば、愛する人たちを死の運命から救い出せるのならば、いくらでも、いくらでも得よう。まだまだ足りないんだ、これでは全然。あの子達の本来住まう世界に、あなたたちもいなければならないんだ。幸せに笑っていなければ、いけないんだ。
「だったら!」
 耳元で彼の怒声が響き、びくりと肩を揺らす。
「だったら、まずは自分自身を慈しんでやれ……。お前がいないと、俺たちは終わる。変えられる未来も、変えられなくなる」
 自分たちを正しい方向へと導く太陽があるからこそ、進んでいける。その太陽がなくなってしまえば、明けることのない闇夜に、永遠に閉じ込められてしまうことだろう。
「俺たちは……俺は、誰よりもお前が必要なんだ。頼む、わかってくれ……」



ECLIPSE

太陽不在の数日間。
これまでに静まりかえった時は、他にない。



「……そんなところで、一体何をしているんです?」
「あ、姉さん! 姉さんこそ、一体何を?」
「私ですか? 私は、お父様に剣術を習おうかと……」
「ああ、それは残念! 父さんは急用で、しばらく僕らの相手はできないそうですよ」
「な、なんですそれは……初耳です」
「まぁまぁ! ほら代わりに僕が、剣の相手をしますから! ほらほら、早速行きましょう!」
「ちょ、ちょっとマーク、押さないでください! マークったら!」








未クリア時点のSS。死んでないと期待したい……。(追記)ワーオ、バジさん生還された上に、マイユニこのこと知ってたっぽーい!な、生暖かい目でお読みください……。
meg (2012年5月25日 16:17)

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