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「38.5度。ハイ、立派な"風邪"、ですね!」

 ふふん、とベッドに座り、得意げに体温計を掲げる彼女。対する私はベッドの中。不本意ながらもこうして寝かされている。

「そんなわけでゆかりサン、リーダー権限により、本日は一日休養するよう、ここに命じるっ!」
「命じるでありますっ!」
「なんでそこで、アイギスが乗っかって来るのよ......。」

 もう、わかったからいい加減降りて頂戴、と口にする元気もなく、自分でもわかるくらいに熱のこもったため息を吐き出す。と、頭にさらっと通り過ぎる冷たい感触。その直後に、今度はさらに冷たい何かがペタリ、と貼り付けられた。

「最近は、こんなに便利な物が市販されているんだな......。」

 ひとしきりその"冷えピタシート"に感心した後、何か欲しいものがあれば言うといい、と、なんだかいつもよりも優しげな声色で語りかけてくる。おかしい、そんなことで少しだけ、ほんの少しだけ涙が出そうになるなんて、私もどうかしている。

「え、えっと......大丈夫です!......その、風花は?」

 それをごまかすかのように、現在この場にいない少女の姿を目で探した。体調管理に関しては事細かい彼女のことだ、全快した後に散々叱られるに違いない。

「風花なら今、台所だよ。」

 その言葉に、思わず背筋に悪寒が走る。(絶対に、風邪のせいだけではない。)あれ、これってもしかして、風花による処刑っていう死亡フラグ?どうしよう、食欲がないと言えば見逃してもらえるだろうか、いやそんなはずはない、でもまだ死にたくない......などと考えていたことが、完全に表情に出ていたようだ。我らがリーダーはニヤリと笑って、

「"荒垣先輩と一緒"に、おかゆ作ってるよ。」

 そう言って、ようやくベッドから降りた。





 意識が戻った時には、部屋には誰もいなかった。ベッド脇に置いている目覚まし時計の指す時間を確認する。最後の記憶では、先輩特製のおいしいおかゆを食べ(横で自分も食べたいと喚く女子全員に、辟易した顔で対応していた先輩を思い出し、少し吹きだした)、風花に手渡された薬を、真田先輩から奪ってきたという彼女がくれたアイソトニック飲料で流し込んで、横になった、そこまでだ。あれからゆうに三時間は、経過していた。

 あれだけ騒がしかった部屋なのに。目が覚めた時にこうも静かだと、嫌でもあの感覚を思い出す。お父さんが死んで、お母さんの男遊びがひどくなって、自分以外誰も帰らない一人きりの部屋。視界がやけに滲む。やだ、やめてよ。こんな時に、思い出したくない。掛布団を瞼の上まで、顔全体を覆うように摺り上げた。

 隣の部屋から物音が聞こえてくる。ガサガサ、とビニール袋がこすれる音がしたと思ったら、ガチャリ、とドアノブを捻る音がした。

「......ゆかり、起きてる~?」

 そうして次に聞こえてきたのは、こちらの部屋の扉を控え目に叩くノックの音と、申し訳なさそうに小声で話しかけてくる彼女の声。

「もに、か......?」

 上まで持ってきていた掛布団を元の位置までおろし、体を持ち上げようとする。「開けるよ~」の声と同時に開かれた扉から顔を出した彼女により、それは静止された。 

「具合はどう?」
「ん、ぼちぼち......。さっきよりは随分いいみたい。」
「薬が効いてきたのかな。若干熱も治まってるね。」
「ん......。」

 すっかり熱を失ってしまった冷えピタをはがす。まだ使えるんじゃない?と言えば、もうたいして冷たくないでしょ、と新しいものを取り出し、改めてその場所にピタリと貼った。確かに、体感的には全然違う。

「......出かけるの?」

 部屋着とは違う、小奇麗な格好をしている。今日は日曜日で、しかも晴れ。確かに、そんな日に出かけないなんて勿体ないおばけがでる。でも、この胸に巣食う勝手な思い。それを知ってか知らずか、彼女は少し笑って、

「ちょっと買い出しに行ってくる。ここ数年、病気する人が出なかったみたいで、そういう備えが全然ないんだよね。」

 大丈夫、すぐに戻るから。ついでに晩御飯の買い出しもするけど、何か欲しいものはある?と問われ、一番最初に頭に浮かんだ、甘くて冷たい飲み物を所望する。

「あはは、了解!......鍵、あけっぱで大丈夫?」
「これ預けとくから、閉めといて......。こんな姿、絶対アイツには見せたくないから。」
「ん......。」

 アイツ、ね。と心の中で苦笑する。

「わかった、責任をもって、預かりましょう。......だから、もう少し寝なね?」
「ん、ありがと......。」

 ハート型のかわいらしいチャームがついたそれを受け取り、ひらひらと手を振って部屋を出る。しっかりと扉を閉めて、鍵穴に差し入れ、左に回す。

(まぁーーったく、素直じゃないんだから。)

 そうして廊下を歩き、階段を下り、二階のたまり場を横切る。先輩の部屋をも通り過ぎ、向かった先は二階一番奥の部屋。トントン、と扉を二回ノックをすれば、それに応じる声はないものの、数秒してガチャリと扉が開かれた。





 あれからどのくらいの時間が経過しただろう。寝よう、と努力はしてみたものの、結局は実らず。しんと静まり返った、物音もしない部屋。またあの思考に憑りつかれるのは時間の問題だった。

 枕元に置いてあった携帯電話を、ぱかりと開く。待ち受け画面にはコロちゃんの愛らしい写真。メールボタンを押し、新規作成画面へ進む。メール本文に、「いま、何してるの?」とだけ打ち込み、宛先選択画面へ進む。アドレス帳を開き、あ行の下の方へ......。

"有里(ありさと) 湊(みなと)"

「............。」

 その名前を選択した状態のまま、しばらくぼんやりと眺めていた。そんなこと送って、どうするんだろう。私はベッドから離れられないし、電話をする気力もないし。彼だって、この部屋には入ってこられない。

 突如、扉を叩くノックの音がした。メール作成画面はそのままに、慌ててパチンと携帯を閉じる。

「も、母似香?」

 返事はない。代わりに、鍵穴に鍵がさしこまれた時の、金属がこすれる音がする。そのままガチャリ、と、開錠の音。ノブがゆっくりと、右に回る。

「もう帰ったの?早かったんだ、ね............。」

 その奥から現れるだろう人物を想像して、声を投げかける。――――が、両目に飛び込んできたのは、想像もしていなかった、会いたくなかった、けれど会いたかった、その人物。片方の手はズボンのポケットに突っこんだまま、ゆっくりと扉を閉めた。

「あ、あああ有里君!?な、なんで......ちょ、ま、も、母似香ーーーっ!?!?」

 だって、鍵は彼女に預けてある。彼女が開けるか、わたしが内側から開けるかしない限りは開かずの扉となるはず。(あ、美鶴先輩ならマスターキーを持っているかもしれない。)え、どうして、どういうこと?まさか、母似香が有里君に渡した!?

「シーーーっ。......バレたらまずいでしょ、お互い。」

 特に、美鶴先輩には。そう言うと、「あ、そうか、そうよね?」と、ようやく彼女の狼狽を解くことができた。いや、この場合、処刑されるのは俺一人だとは思うけど。もぞり、と布団を持ち上げ、目元まで覆い隠す。

「なんで、来たのよっ!」

 もともとが小声なのと、布団のおかげで、小さめに非難の声をあげられる。隠しているつもりだろうが、顔が真っ赤なのは、多分風邪の所為だけではない。

「ゆかりが俺を、呼んでるって聞いたから。」

 飄々と答えて、ベッド傍まで近づき、そのまま床に腰掛ける。ベッドに横たわる彼女と、目線が同じ高さになった。

「俺も、心配だったし。ゆかりのこと。」
「――――っ」

 風花を伴って三階へ上がる荒垣先輩を見つめれば、『部屋ン中まで上がる気はねぇから安心しろ。』と笑われた。それを受けて、『よかったな、有里』とは、目の前に座るもう一人の先輩の弁。涼しい顔してボクシンググローブを磨いているけれど、残念ながら、つい先ほどまでリーダーと、冷蔵庫にある己のアイソトニック飲料を巡って闘争していた姿は、しっかりと脳裏に焼き付いている。

「こ、こんなの、大したことないしっ!」
「うん。」
「明日にはっ、元通りになって、その、タルタロスだって、行けるんだからっ!」
「うん。」
「放課後だって......大丈夫なんだから。」
「......うん、」



「一緒に、帰ろう。」



She got a Cold

おいしいおかゆと、冷たいフラペチーノと、温かいあなたがいい。



「......ゆかり?」
「違うんだからっ!泣いてなんかないんだからね!?」
「............。」
「こ、これは、目にゴミが入っちゃったからで!」

 ふ、と小さく笑みを漏らして、両目をこする彼女の左手に、この手を伸ばした。





「ちょ、ちょっとちょっとぉ......。ここに来たのがわたしじゃなくて、美鶴先輩とかだったら、どうする気よ......。」

 あくまで小声で、文句を言う。ベッドにはもちろん、風邪っぴきの彼女と、そのベッドに突っ伏して寝る青髪の少年の姿。二人の手は、しっかりと握られていた。

 いや、確かにね、鍵を渡したのはわたしなんですけどね?せめて、部屋の扉の鍵かけとこうよ、鍵。あーこれは後でガルダイン食らうかなぁ。暴嵐の指輪、順平から取り上げてつけとかなきゃ。そうなったら湊、アンタ今度先輩も呼んで、はがくれ特製おごりだからね。

 そっと彼女の首筋に手をやる。うん、この様子ならば、もう間もなく全快だろう。長引かなくてよかったね。そう心の中で話しかけ、彼女の机の上に置かれた鍵を持ち上げて、手に持つカフェの袋は持ったまま、くるりと背を向け歩きだす。音をたてないように扉を閉め、鍵穴にそれを差し込んで、左にゆっくりと回した。








ゆかりはW主人公のアイドル。ゆかりが可愛くて仕方がない今日この頃。
meg (2012年5月16日 16:42)

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