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「二体のペルソナ覚醒を確認しております。荒垣さんの離脱を契機とすると思われます」
 夜、洗い物をするわたしの隣に彼女が近づいてきて、そう告げた。二体……。向こうにあるラウンジを、ぐるりと見回す。その場にいないメンバーは、ただ一人。
「そっか……。ありがとう、アイギス」
 手に持っていたお皿を布巾でひと拭きし、水切り場に置いて、そう答える。ぺこり、と一礼して、彼女は元ある位置に戻っていった。誰、と聞けば答えてくれるだろう。でも、なんとなく想像はついていた。テレビからはバラエティ番組の笑い声と、それにつられて笑う順平の声、そして、呆れたような口調でその相手をする少年の声が耳に入った。
(天田君は、泣いていた)
 戻ってきた時、かすかに涙の軌跡が残っていた。少ししてから先輩も戻ってきて、二人が顔を合わせた時にはお互い何も言わなかったけれど、でもなんだか、踏み込めない結束感のようなものが漂っている気がして。ああ、これは二人の間で何かあったんだな、と容易に想像がついた。
(多分、慰めるでも咎めるでもなく、ただ叱咤したんだろうな)
 先輩のことだからそうなんだろうと、一人納得した。だから、それ以上何も問わなかった。
(でも先輩は、一人で立ち上がった……)

 ――俺は、親がいない。妹と二人で、施設で育ったんだ。……もう、妹もいない

 わかっている。辛い時に一人で立ち上がろうとするクセ、だ。誰も頼る人なんていない、という思いから、身についてしまう悲しいクセ。わたしにも、心当たりがある。わたしだけじゃない、この寮に住む人には、大抵備わってしまっていると思う。
 水切り場に置いていたカップを、皿をそれぞれ元のあるべき位置へ戻し、ガラス戸を閉める。冷やりとした感触が、指を伝う。
(でも本当は、無意識の中では決着がついていないこと、)
 額を、ガラス戸にあてる。じわりじわりと染み込むように、体内に侵入してくる。
(わたしは、知っている……)
 熱を持ち始めた瞼を冷やすには、その冷たさはまさに効果てきめん、だった。

   *

 トントン、と扉を叩かれる音がした。それ以外に声がしない。よく訪れる順平や美鶴なら、「真田サン、ちょっといいッスか?」とか、「明彦、今ちょっといいか。」とか、こちらが応じるよりも先に、なにかしら声を掛けてくる。そうなると、滅多に訪れることのない人物だ。
「誰だ?」
 自分といえば、ベッドの上に横になり、ただただ天井を仰いでいた。何を考えているわけでもなく。そのまま眠ってしまうなら、それでいい。今日はすでに風呂だって入った。
「斗南、です。……ちょっとだけ、いいですか?」
 ワンテンポ遅れて返ってきた答えに、慌てて体を起こした。これが違う人間ならば、「また今度にしてくれ」とか適当に反して、追い払うつもりでいた。いや、別に彼女だからといって例外ではない。ただ、予想だにしていなかったのかもしれない。体は存外正直だと言うことか。……何に、正直なんだ?
「ま、待ってくれ、今開ける。」
 扉を開けて、用件を聞いて、「今じゃなくていいなら今度にしてくれ」で、帰ってもらう、と、一連の手順を心の中で唱えながら、扉へ向かう。が、いざ扉を開いてみると、そこにあった彼女の表情に、そんな一連の手順など遥か彼方へ消えて行った。
「斗南……?」
 問わずにはいられない、なんと表現したらよいのかわからない複雑な顔をして、彼女は立っていた。微笑んでいる、ようには見えない。怒っているように……は、見ようによっては見える。一番的確な例えは、泣いているような、かもしれない。
「どうした、泣いて……いるのか?」
「そう見えますか?」
「違うのか?なら、どうして……」
「あ、いや……そうかも、しれません」
 いまいち的を得ない彼女の受け答えに、少しばかり苛立ちを覚える。
「……俺に、一体何の用だ。大したことでないなら、また今度にしてくれないか」
 もともと言うはずだった言葉を、ようやく取り戻す。少々、冷たい言い方だったかもしれない。けれど正直、長い間話をしていたくなかった。彼女と、というわけではない。独りになりたい時だって誰しもあるだろう、まさにそれだ。考えたいことは山ほどある。(そう言う割には、先ほどまで何を考えていたわけでもなく呆けていたのだが。)
 すると、彼女の瞳から、ポロッと、まるで小さなガラス玉のような涙が一粒零れ落ちた。
「……!」
「あ、ごめんな、さ……」
 慌てて右目で目元を擦る。しかし、まるでそれが合図であったかのように、ぽろぽろと転げ落ちてくるガラス玉。
「と、とな――――」
 とりあえず、先ほどの自分の物言いについて慌てて謝ろうとして、誰かが階段を登ってくる足音と声に気が付く。一人じゃない、複数だ。ひときわ目立つ話し声は、順平のもの。間違いなく、こちらに来る。
「――――っ」
 迷っている暇などなかった。部屋の配置上、二階まで階段を登り切ってしまえば、踊り場からこちらの様子が見えてしまう。見えてしまえば、順平のことだ、何か横槍を入れてくるのが目に見えている。だが、今の彼女を無下に追い返すわけにもいかない。
 断りを入れる間もなく、その細い左手を掴み部屋の中へと引っ張りいれて、あくまで自然に、この扉を閉めた。

「――――行ったか」
 扉の向こう側で、向かいの部屋の扉がガチャリと音を立ててしまったことを確認する。安堵のため息を一つ吐き出して、はたと、腕の中にある暖かい存在を思い出した。
「あ、わ、悪い! 無理矢理こん、な……っ」
 無意識のうちに彼女に回していた腕を、慌てて組み解く。胸に埋められた彼女の顔は、なおそのまま微動だにしなかった。小さな肩が、少し震えている。……そうだ、そうだった。
「……その、さっきは言いすぎた」
 おそるおそる、彼女の頭に手を伸ばし、あくまで優しく撫でてやる。艶やかで、とても柔らかい髪の毛に、指先のみならず心まで絡め取られるような、そんな感覚すら覚える。
「俺も少し、混乱していたんだ。すまなかっ……」
「違います!」
 謝罪の言葉を口にしようとしたところで、彼女の怒声に遮られた。
「違いま、す……」
 繰り返された言葉はひどく震えていて、ひと吹きでもすれば掻き消えてしまうくらい、か細い声。俯いたままの彼女を見て、次の言葉を静かに待つ。
「先輩が……」
 これまでに一度も見たことがない彼女の姿。いつだって彼女は明るくて、常に笑顔を絶やさず、強く頼もしかった。それが今、その細い肩を震わして、ただただ小さくなっている。
「……先輩が、泣かないから、です」
 それは、とても意外な答えだった。思わず目を見開いて彼女を見る。
「別に、泣けとは言いません。言いません、けど……せめて、聞かせてください。先輩が、今、何を想って、何をしようとしているのか」
 そこで、彼女は顔を上げた。思えばあれから、まともに彼女の顔を見たのは初めてかもしれない。瞳には涙をたくさん浮かべて、けれども眉毛は逆八の字に吊り上っていた。
「関係ないと言われれば関係ないです。先輩の気持ちに、わたしは関係ない……そんなこと、わかってるんです!」
 でも、わたしは。先輩と出会ってからの半年で、先輩のこと、美鶴先輩や荒垣先輩ほどじゃないけれど、少しは分かってる、そう、思ってます。それは、ただの自惚れなんでしょうか。先輩にとってわたしは、やっぱりただの後輩に過ぎませんか?……違い、ますよね?
「閉ざさないで……ください。悲しいことは、きちんと悲しいって言ってください。一人で納得して、無理矢理前を向かないでください!」

 ――いつまで縛られてる。 いいかげん忘れろ、過ぎた事だ

 あの日の自分の声。忘れられるか。忘れられるはずがない。それでも自分は、前を向かなければ。振り返ることなく、走らなければ。だって無理矢理にでもそうしなければ、立っていられなくなる。
「それともわたしは、そんなに、頼りないでしょうか」
「そんなことはない!」
 思わず大きな声が出てしまう。びくりと肩を揺らして、じっとこちらを見るその赤い瞳。
「そんな、ことは……」
 彼女の視線から目を逸らす。

 ――過去に縛られてんのはテメェも同じだろ

 幼馴染の声が、頭の中で響き渡った。
 どうもその瞳が、苦手だ。……いや、苦手なんじゃない。怖いんだ。全てを見透かされてしまいそうな、そんな瞳。
 でも、本当は、

「……立って……いられなくなるのが、怖いんだ」
 本当は、早く見つけてほしかったのかもしれない。
 早く見つけて、救い上げて欲しかったのかもしれない。あの日、彼女に打ち明けた身の上話も、彼女にあの子を重ねてしまっているのかもしれない葛藤を。
「親を失ったあの日から、泣いてばかりの妹を見て、俺が立っていないといけない、俺が立ってアイツを立ち上がらせないといけない。そう言い聞かせて、歩いてきたんだよ俺は」
 そうやって、理由を作れば無理やりにでも立ち上がれる。そしてアイツが笑顔を取り戻したということが、自分がそうしてきたことの意味を教えてくれる。今回だって、そうだろう。
「今だってそうだ。シンジがああなって、悲しみに暮れているここで……俺が立ち上がれなくなるのが、怖いんだ……!」
 とんだ臆病者だと笑うだろうか。いや、笑えばいい。笑えばいいんだ、こんな俺は。
「だったら、俺は強くなる。立ったままこの拳を振るう。前を向いて走る。強くなれば、こんな思いをすることだって、何かを失うことだって、なくなるは――――」
 突然前から手が伸びてきたと思った瞬間、ぐいと頭の後ろから引き寄せられ、そのまま彼女の細い左肩に押し付けられた。視界が彼女のブレザーの色に染まる。ギリ、と、肩を抑えつけるもう片方の細い指先にに力がこもる。
「……わたしが、立ち上がらせますから!」
 そのまま、彼女の顔が、自分の左肩に押し付けられる。暖かい吐息と、彼女の柔らかい髪の毛が、首筋をくすぐる。
「わたしが、何度でも何度でも、手を引っ張って、立ち上がらせますから!」
 指先に絡む、彼の短い灰色の髪の毛。思っていたよりも、柔らかい。
 荒垣先輩にできなかったことをわたしが出来るだなんて、そんな大それたことは思っていない。けれど、話を聞くくらい、わたしの肩を貸すくらいならできるから。立ち上がれないなら、その手を両手でしっかり持って、引っ張り上げることだってきっとできる。
「だから、わたしを、信頼して、信用してください……」
 わたしを、信じて頼ってください。信じて、用いてください。あなたのために、わたしは力をつけますから。
 心に雨を降らせないでください。雨を降らせたまま、独りで走らないでください。わたし、駆け付けますから。ビーチパラソルと同じくらい、大きな大きな傘を持って、あなたの隣に駆け付けますから。
「……ありがとう、な」
 観念したかのように、薄く笑って、息を吐き出す。……呆れた?それとも、安心してくれた?表情が見えない今、その心を推し量ることが出来ない。
「ありがとうついでに、もう一つ」
「…………?」
 彼の肩から顔を離し、表情を伺おうと、横から顔を覗き込もうとした。その途端に、彼の両手が背中に回されたかと思うと、勢いよくそのまま抱きすくめられた。先ほどのものとは違う、確固たる意思を持って。
「しばらく、このままでいてくれ……」
 肩に、制服越しに何か暖かいものが染み渡っていく、そんな感覚がした。



DESPERADO

神様お願い。
もうこの人から、これ以上大切なものを奪わないでください。



 そうしてもう一度、左手を彼の頭に、右手を彼の肩に回して、抱きしめた。
















「ところで先輩、どうして最近わたしを避けてたんですか?」
「避ける……? いや、そんなつもりは……。」
「嘘! だって全然、放課後付き合ってくれなかったじゃないですか」
「ち、違う、あれは……っ!」
「あれは?」
「――――お、お前が、その……シンジのことを、好きなのかと……」
「……わたしが? 荒垣先輩のことを?」
「…………」
「確かに、好きです。が、それは先輩後輩として、です。恋愛感情じゃありません」
「……そう、なのか」
「順平の時といい、今回といい、先輩は一人で突っ走りすぎです」
「す、すまない」
「もう、わたしが好きなのは、さ――――」
 そこまで出かかって、はっと、口を塞ぐ。
「……さ?」
 サーーーっと、顔が熱を持っていくのを感じる。
(わ、わたし、今何を言おうとした?)
 顔を上げようと先輩の頭が動いたところで、右手で上から押しとどめる。見えずともわかる、絶対に怪訝な顔をしてる。
「……な、ナイショ、です」
 頭がすっかり茹ってしまっている、そんな状況の中、なんとかその言葉だけを口から絞り出した。








荒垣先輩と真田先輩のあの会話がひっかかったもので。星コミュをこなせば、ちゃんと先輩のこともわかるんだけど、そのコミュがない男主版だと、真田先輩が何をひきずってるのか、わからないままなのかなー?
meg (2012年5月23日 11:58)

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