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「騎士王よ、これは……」
 現在午後二時半を過ぎたところ。あと三十分もしないうちに午後三時、つまりは午後の紅茶を楽しむ時間となる。彼女はチラリと一瞬だけ視線をこちらにやり、すぐにテレビの方へと戻した。
「ああ、それは茉莉花(ジャスミン)です。先日アーチャーが淹れてくれたものを気に入ってしまって、少し分けていただいたのですよ」
 その昔ブリテンで王座にあった頃、必ずこの時間になれば美味い紅茶とスコーンをいただいていた。その時間が何よりも楽しみだったという彼女に対し、同じとまでもいかずとも、少しでも幸福に思えてもらえたらと始めたこの習慣。
 最初こそ紅茶の正しい淹れ方についてあれこれアーチャー殿に小言をもらったものだが、今となっては慣れたもの。彼ほどまでとはいかないが、それでも彼女の舌に認められる程度には美味しく淹れられているという自信がある。
(茉莉花茶を気に入ったとは、な)
 さて、どうしたものかと思案に暮れる。
 来るべき三時に向けて、スコーンの準備は万端だ。そしてスコーンといえば、やはり紅茶に限る。
 だが奇しくも本日の午前中、凛殿とアーチャー殿が訪ねてこられ、その折にある土産をいただいたのだ。その土産とは、中国の菓子の一つ、月餅である。保存性は比較的高いためまだ数日は持つものの、彼女はそれを食べたことがないとひどく瞳を煌めかせていた。
(中国の菓子に、中国の茶か)
 合うだろう。合わないわけがない。
(フム、まぁ今日くらいならいいだろう)
 夕食後にでも改めて紅茶を淹れ、スコーンをいただくことにしよう。何、彼女の胃袋は底なしだ。メニューが一品増えたところで問題など有りはしまい。
 何より俺としても、彼女が例えそうとは思っていなくとも、そういう状況になるというのは願ったり叶ったりだというわけで。
(これは楽しみなことだな)
 小さく鼻歌を口ずさみながら、取り出しかけた元々の紅茶缶を戸棚の奥へと引っ込めた。

 やかんの口から甲高い鳴き声が漏れ始める。カチリ、とコンロの火を消して、戸棚からは蓋つきのマグカップとティーポットを取り出した。
 凛殿流に言えば、蓋つきのマグカップではなく蓋碗、ティーポットではなく茶海である方が適当であり優雅なのだが、この際贅沢は言っていられない。
 沸騰してしまったお湯をまずは別のやかんに注ぎ入れ、再び元のやかんへ湯を戻す。適当な温度となった湯を今度はマグカップへ注ぎ入れ、側面を触って少し熱いと感じる程度になったら、シンクへそのまま湯を捨てる。
 続いて茉莉花の茶葉を取り出して、マグカップの底へと敷き詰める。
 ……さすがに熱い。葉越しでなく、うっかりじかに触れてしまい、びくりと指を跳ね上げた。この失態を見られてはいないだろうかと彼女の方へ目をやれば、相変わらず小動物を特集したテレビ番組を夢中になって見つめている。
 なんと微笑ましいことか、思わず頬が緩む。
 その微笑ましさに、あっという間に痛みを忘れてしまうとは、俺も相当単純な男だなと思うが、まぁそれはやむをえまい。
 再び作業を再開する。右手でやかんを、左手でマグカップを持ち、高い位置から湯を注ぎ入れる。これについてはお手の物、御子殿のように、誤って自分の指に注いでしまうことは有り得ない。
 七分目まで入れたら蓋をして、蒸らすこと一分。その間に戸棚からティーカップを取り出して、ティーポットと共に湯を注ぐ。
 ティーポットの湯を捨て、先程から蒸らしていたマグカップの蓋を少しずらし、今度は低い位置からそこへと注ぎ入れた。なるたけカップの中の茶葉を、ティーポットにいれてしまうことがないように。
「さて……」
 後は、ティーカップに入れられていた湯をシンクに捨て去って、
「騎士王よ、テレビの時間は終いだぞ。茶の準備ができた、テーブルにつくといい」
 いただいた月餅を食べやすいよう予め半分にカットし、皿の上にそれぞれ添えた。
 彼女は少し残念そうにしながらも俺の言葉に大人しく従い、リモコンでテレビの電源を落としテーブルへ向かって歩き出す。その道中で、同じくテーブルへ向かう俺の手の中にある異変に、いち早く気がついた。
「今日は紅茶ではないのですか?」
「ああ、紅茶はまた夕食の後にでも。……なぁに、心配せずとも後悔はさせんよ」
「いえ、貴方のすることですから、その点については何も心配はしていません。……ですが、なるほど。茉莉花茶を淹れてくださったのですね」
 実際にカップへ注ぎ入れるまでのお楽しみとしたかったが、注ぎ口から漏れるそのかぐわしい香りに彼女が気がつかないわけがなかった。少し残念に思いながらも、「ああそうだ」と答えれば、
「ありがとうランサー、私は貴方と共にこれを飲みたかったのです」
 と、嬉しそうに頬笑み席に着く。
 ……ほう、なるほど。そう来たか。
「それならば、僥倖」
 うっかりこぼれ出そうになる笑みを必死に押し込めて(それでも口元は笑ってしまっていたかもしれない)、ティーポットとカップをテーブルに置く。月餅の乗った皿を差し出せば、彼女は再びまたその顔に笑顔を咲かせた。

「美味しい……!」
 ティーカップに注ぎ入れた茉莉花茶を口にするなり、ほう、と感嘆の息を漏らす。
「貴方は素晴らしいな、ランサー。紅茶だけでなく、この茶すらもこんなに美味しく淹れてしまうとは」
「お前の口からそのような言葉を聞けるとは、それこそ誉れというものだぞ、セイバー」
 とはいえ、確かに我ながら上出来だ。これならば彼も認めてくれるのではないかと淡い期待を抱く。まぁ、持ち上げて落とすというのが彼の得意技であるので、少しでも幸福に浸っていたい今は、一先ずそのことを頭の隅へと追いやることにする。
「それにこの月餅も大変美味だ」
「ああ、見たところそれは、かの有名店のものらしいな。入手が困難であると聞いたことがある」
「そうなのですか!」
 なるほど、それでは近いうちに礼をしなければなりませんねと言いながら、半分も食べ終わらないうちに茶を口に含む。
 月餅の主成分は砂糖。それはそれは喉が渇くことだろう。かくいう俺も、もともと甘味が得意でないこともあり、まだ一口程度しか口をつけられていない。
 彼女のカップの中身はあっという間に空になり、物欲しそうな瞳でこちらを見上げてきた。
「なんだ、誘っているのか?」
「ばっ……! ち、違います、私はただおかわりを……」
「ははっ、そう慌てずとも分かっているさ」
 ただの冗談だ、とその場は一笑する。そう、まだ今は。
 こんな時間に何を言うと思えば、と口ごもる彼女を尻目に、カップへなみなみと茉莉花茶を注いでいく。
 ああそうだ。もっと飲むといい。体中の体温を上げてしまうくらい、この熱く香りのよい茶を口にするがいい。
 温まったカップを両手で包むようにして持ち上げ、一気に飲み下す。ほうっと熱い吐息を一つ吐きだして、
「ああ、やはり美味しい」
 と、そう彼女は零す。
 テーブルにカップを置いて、再び月餅を口にする。その隙に俺は、空いたカップへ茶を注ぐ。
 三杯、四杯と積み重ねられ、遂には最後の一滴まで注ぎきる。
 皿の上の月餅も、俺の皿に乗せられていたうち半分も含めて全て、彼女の腹に収まった。顔を上げ、カップを高く高く持ち上げて茉莉花茶を最後の一滴まで飲み終えると、私は大変幸せである、と頬を少し上気させて俺に礼を伝えてくる。
 ここはまでは、菓子と茶の内容は違えどいつもと同じ光景だった。そう、いつもなら。
「そうか、満足したか」とそう答え、ゆっくりと俺は席を立つ。
 ただならぬ雰囲気に、おや? と彼女は首を傾げる。向かい側へ座る彼女の元へ、一歩一歩、足を進める。未だ彼女の手の中にあるカップを上から受け取り、椅子の背もたれに手をかけた。
「さて、騎士王よ。そろそろお前の願いを叶えるとしよう」
「願い、とは……?」
 もう叶ったではありませんか、と不思議そうに、だがどこかしら逃げ腰で彼女は問う。ああ、本能的に危険を察知しているか。だがそれでは到底俺から逃げられぬぞ。
「お前は俺に言ったではないか」

――私は貴方と共にこれを飲みたかったのです――

「え、いやあれは、その言葉通り……」
「ああ、そうだな。そうだろうとも、だがな」
 ぐっと顔と顔の距離を縮める。途端に彼女の顔に鮮やかな赤が差し、距離を取ろうと手が差しだされる……のを、そのまま取り上げて逆にぐいと引きよせ立ち上がらせた。
「お前は知っているか? あの茶の効用を」
「効用……?」
 小さな抵抗を試みながら、彼女は俺に問い返す。アーチャーからはリラックス効果があると聞きおよんでいるが、違うのかと。
 ……全く、この期に及んで別の男の名など耳にしたくはないのだが。
「フフン、知らぬのなら聞いてみるがいい」
 少し腰を屈め、あっという間に小さな体を抱き上げる。ほんのりといつもより体温が高めなのは、先程散々暖かい茶を飲んだからか、それとも――――
「お前自身の、体にな」
 馬鹿者だのなんだのといった罵倒はまるで耳に入らない。無意味と知りながら暴れまわるその姿はまるで子猫のように愛らしく。少し大人しくしろと口づけを落とせばとたんにしおらしくなりこの胸に顔を埋めてくる。ああ、なんと可愛らしいことよ。
 ああ、こうなったらもう、茉莉花の花のごとく真っ白なその肌に、埋め尽くさんばかりの赤き花を散らしてやらない理由はないと、まだ陽のある十六時、俺は意気揚々と彼女との寝所へ足を進めたのだった。




白き花の秘密はね








ツイッターにて某様よりいただいたネタから。茉莉花茶の効用には、姦淫効果的なものもあるとかないとか...!。
meg (2012年9月20日 09:36)
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