schema
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「看守よ、あるか。新入りだ」
 簡素な椅子に腰を落ち着け、遥か遠くの地に咲くカウスリップの花へ馳せていた思いを急速に押し戻す。
 閣下が遠征に出て以来、久方ぶりの客人だった。つい最近までいた者達は皆、昨日のうちに処刑台の露と消えた。
 重い腰を上げ姿勢を正し、右手を額へ持ち上げる。石畳の床を蹴る複数の乾いた音と共に、一人の派手な男と二人の憲兵が顔を出した。後ろに白い紐で両手を結わかれた"誰か"を従えて。
「……罪状は」
「そんなもの、お前のような雑種の知る所ではない」
 クク、と笑いを噛み殺し、荒々しい足取りで一番奥の檻へと進む。まずは一人、次に二人と俺を追い越し、そして最後にその人が引き摺られるように歩いていく。前面は白い布で覆い尽くされ伺うことが叶わなかったが、最後目の端に、美しい金色の稲穂が過ぎった。憲兵にやられたか、または拘束時に抵抗でもしたか、唯一剥き出しとなった白く細い手首にうつる傷痕がひどく痛々しい。
「まったく、手間を掛けさせおって」
 特に抵抗の見られない彼女を檻の入り口へと押しやり、ドン、と大きな音を立てて叩き入れる。体中傷だらけで力など入らぬのだろう、その人は膝から崩れ落ち、両手、胸を床につけ、壁に向かってひれ伏すような形で着地した。そういう時、最初こそ決まって「無抵抗の者に手荒な真似はよせ」と苦言を呈していたが、止むことのないその慣習に、いい加減神経は摩耗しきっていた。
「おい、」と男が憲兵の内の一人に顎で何か指示をする。彼は無言のまま頷き、踵を返しこちらへ向かって足を進めた。
 目当ては言うまでもない。俺の腰にぶら下がっている、鍵、だ。
 これ以上面倒事に巻き込まれるのはごめんだ。彼がたどり着くまでに、鎖から外して前に差し出す。手を伸ばして届くくらいの距離へ来ると、相変わらず無言のまま荒々しくそれを奪い取り、そして再び彼らの待つそこへ足早に戻っていった。
 未だ地に伏せるその人の両手から縄を解き、右手首を掴み、壁にぶら下がる枷へ当て込み錠をかける。枷の幅に比べ手首が細く、また高さも足りていないのだろう。それは手の甲で足止めがされ、肩から上全てが宙ぶらりんといった形となる。……随分と辛そうだ。
「まったく、男の真似事などしおって。女のままであるなら、この我が直に寵愛してやるものを」
 どこまでも高慢ちきな声が部屋中に響き渡る。
 女……。そうか、女性であったか。
「もう一度チャンスをやってもよいぞ? これまでのことを悔い改め、我が膝元に参るならば、ここから出してやっても良い」
 この男のことは噂でよく伝え聞いている。将軍閣下の信に厚い、官房長殿の懐刀。手癖が悪いことで有名だ。
 彼女は項垂れたままで、特に言葉を返さない。が、痺れを切らした彼が「何とか言ったらどうだ」、とその顎を手で持ち上げたところで、プッとその頬に唾を吐きかけてみせた。
 後ろに控えた憲兵二人の顔色が変わる。男は特に顔色を変えず、左手で其れを拭った。だが明らかにその紅玉の双眸は、空腹のところにようやく極上の獲物を見つけた大蛇のそれの如く、燃え滾っていた。
 男が彼女に被せられていた白い布を荒々しく払う。現れた彼女のその面に、この目は釘付けとなった。
 擦り傷と血により、元は白磁のごとく白いのだろう肌はひどく薄汚れている。だが、取り付けられたその翡翠の双玉は、この暗い監獄の中で、月の光を思わせる眩い光を湛えていた。
「いい度胸をしている……。気に入ったぞ、女……!」
 男の手が、彼女の襟元へ掛けられ、一気にそれを引き千切る。露わになった控えめの乳房はその衝撃に軽く揺れ、彼女が女性であることをありありと我々に知らしめた。が、彼女は一切怯むことなく、目前の暴君をただただ睨みつけている。
 男の魔手が今まさに、その清廉な膨らみを手にかけようと襲い掛かった、ところで、ようやくこの足が、手が動いた。
 黒塗りの鞘に納められたままのサーベルが、彼の手を打とうと風を切る。殺気に気が付いたのか、手を止めこちらに向き直り、ただの片手でそれを受け止めた。
 ギリギリと力と力が拮抗する。俺も己の筋力には自信がある方なのだが、なるほど、懐刀というのは、強ち嘘ではないらしい。
「……私の目の前で、そのような真似はお控えいただけますか」
 顔にこそ出しはしなかったが、声に出した俺自身が一番驚いた。俺の口から、よもやこのようにあらゆる怒りが凝縮された低い音が出ようとは思わなかった。
「ほう、雑種の分際で我に刃向うか」
 面白い玩具を見つけたと、ニヤリ、とその双眸を細める。その視線に、ゾクリと悪寒にも似た電流が背筋を渡り、一瞬とはいえ力を抜いてしまったのが悪かった。
 その隙を見逃すことなく、正しく彼はそのサーベルを横に払い、一瞬にして立ち上がるとその右足で俺を蹴り飛ばした。勢いを持って宙を舞ったそれは一度壁にぶつかり、その後乾いた音を響かせて落下する。俺はその衝撃を受け止めきることが出来ず、真後ろの鉄格子に背中を当てつけ、想像以上の痛みにずるずるとその場にしゃがみ込んだ。
 咳き込むと同時に彼の右足が左頬を掠め、ガシャン、と荒々しく再び格子を揺らす。
「その大層な見目に免じて、顔だけには傷を付けんでおいてやろう」
 ゆっくりと足を下ろし、腰を屈めて俺を無遠慮に覗き込んでくる。顔を向こうへ逸らせば、フン、と鼻を鳴らしてタイを引っ掴み、無理矢理彼自身を俺の瞳に映し込んできた。
「この女は我の宝よ。くれぐれも丁重に扱うのだぞ? 傷の一つでも付けてみよ、我自ら貴様を辱め、八つ裂き、犬の餌にでもしてくれようぞ」
 飢えた獣のごとき舌なめずり見せ、もう一度この体を鉄格子へ当てつけた。「引くぞ、」とその場をただ見守るだけだった憲兵を引き連れ、高笑いと共に去っていく。
 やれやれ、とため息を一つ吐き出し、いつの間にやら持ち場を離れていた帽子を拾い上げ、髪を撫でつけ元の位置へと戻した。

 唾を飲み込めば、鉄の味がする。背を当てた際、不意にどこかを噛みでもしただろうか。骨は折れてはいない、が、少し軋む。
 おもむろに腰を上げ、そして先ほどまで渦中の人物であった彼女へ目を向けた。
 彼女はしばらく俺の様子をうかがっていたが、視線が向けられたことに気が付くと、すぐにそれを外し、真逆の方向へ顔を背けた。
 床に放り出されたままとなっていた、白の布を掬い上げる。彼女の目の前まで歩み寄ろうとも、相変わらずその双眸はこちらを向くことがない。
 その布には、彼女のそれを覆い隠す十分な広さがあった。二つ折りにし、「失礼」と声を掛け、ぴったりと壁についていた背を少し浮かせて隙間に布を滑らせる。二度きつめに巻きつけたあと、前で固く結び目を作り、ぐるりと後ろに回してやった。
 彼女と言えば、顔の向きはそのままに視線のみでその手の動きを追い、そして見事隠れたことを確認すると、改めて元の位置へと戻した。ただ一言だけ、「感謝する」、と小さく謝辞を漏らして。
 この場に来て初めて耳にする彼女の鈴の鳴るような声に、酷く心が震えた。焼け焦げた大地に、ようやっと恵みの雨が降り注いだかのような心地。努めて平静を装い、「当然のことをしたまで」と、やっとのことで絞り出した。

 囚人に対し、鉄格子の扉を長く開け放ったままでいることは、よろしくない。靴音を響かせて扉から外に出、いつの間にか床に放られていた鍵を拾い上げて錠をかける。ガシャン、という無機質な音が響いた後、この監獄は、まるで水を打ったかのような静けさを取り戻した。
 向かい合わせとなる壁に背をもたれかけ、彼女を見やる。天井にほど近い位置に穿たれた真四角の小窓から、月の光が彼女を照らすように射しこんでいた。
 女神セレーネあるいはアルテミスとも見紛うほどの神秘、そして静謐な佇まいに、何故彼女がこのような場所にと、一度は引き下がった欲がまたも首をもたげる。今やそれを知り、語り得るは彼女ただ一人。口を開いては閉じ、また開いては閉じを繰り返し……ようやく言葉を、意に沿って正しく紡いでみる。
「無礼を承知で伺いたい。貴女は何故ここへ」
 一拍置いて、「囚人へ問うに、無礼も何もないでしょう」と彼女は吐き捨てるように答えた。その際一瞬此方へ向けた双眸は、眩しいものでも見たかのように歪められる。だがすぐにそれは下に向けられ、せせら笑うような笑みを口元に浮かべた。
「フン、貴方こそその結構な面構えで、何故ここにいるのです? 好色と名を知らしめる将軍殿のことだ、貴方の様な美丈夫をこのような場所に寄越すとは考え難い」
「俺は……」
 彼女は予想に違わず聡明である。痛いところを突かれたな、と自嘲気味に笑みを漏らした。

 軍に配備された当初こそは希望に満ち溢れていた。国の為、故郷の為この腕を存分に振るえると、胸が躍って仕方がなかった。
「俺の所為で謂れのない罪を背負い、地獄に落とされる者をもう見たくなかっただけだ」
 だがいざ、こうして飛び込んでみればどうだろう。ありとあらゆる愛憎に満ち溢れ、人々の視線からは様々な思惑が飛び交う。もはや民のための軍ではない。内側はすでに腐り、爛れきっていた。
 だがまだそれだけならばよかったかもしれない。あろうことか閣下は、俺に言い寄る者の身分、性別を問わず全てを焼き払った。決して俺の為ではなく、己自身の愉悦の為に。
「……いや、違うな。俺はただ逃げ出してきただけだ」
「…………」
 "貴方の為ならば、死など何も怖くはない"と、狂気に満ちた瞳で俺に言い寄ってくる。
 "もっと捧げよ、そしてこの器を更なる美酒で満たすがよい"と、飢えた狼の眼差しで告げてくる。
 差し出される手を全て振り払い、そうして俺は逃げてきた。

 そう、俺は……ただの臆病者だ。

「……レジスタンス」
「は」
 不意に耳に入ってきたその言葉に、つい呆けた声を出してしまう。
「私はレジスタンスの活動を行うグループのリーダーです。それだけ言えばわかるでしょう」
 いつの間にか顔を持ち上げて、真冬に陽炎でも見たかのような顔で俺を見、そして問の回答を落とす彼女がそこにいた。
 停止しかけたゼンマイを必死に巻き上げる。
 なるほど、つまりは主の留守に乗じて狼煙を上げ、討ち果たそうとしたわけか。確かにそれは早計であった。隠されていたとはいえ、あの男がこの城の留守を一手に引き受けていたという事実は、不幸以外の何物でもない。しかし、
「……取り巻きは、どうした」
「取り巻き? ……我が愛する部下達のことを指すならば、取り消してもらおうか」
「あ、ああ、済まない。そうだな、訂正しよう。お前の部下はどうした」
「無事に逃げたと思います。行き先を問うならば、答えるわけにはいきませんが」
 やはりか。
 首領である彼女が自ら捕らえられることにより、味方を逃がし通そういう算段だったのだ。
「そうではない。俺が言いたいのはだな、何故真っ先に逃げなかったのだということだ。上が捕らえられては、士気も下がる。真っ先に逃げおおせるべきではなかったのか?」
「馬鹿なことを……」
 ギリ、と苦々しい顔つきで、その薄い桜色の唇を噛む。
「部下を守れず何がリーダーだ、笑わせてくれる。それこそ、ここの将軍と同じではありませんか!」

 目の前の靄が晴れ渡り、青空が広がるような心地とはまさにこのこと。

 部下を愛し、人を愛し、ただ皆の幸せの為に傷つきながらも走り抜ける。
 ああ、なんとお前は、

「……お前は、善き王なのだな」

 不意に口を突いて出た言葉に、彼女は、そして俺自身も驚き口を噤んだ。

 でも、きっと、そう、それが真実。
 俺はずっとそれを、この仄暗い監獄の中で待ちわびていたものなのかもしれない。
 彼女の様な"王"たる存在を、俺は切望して止まなかったのかもしれない。

 彼女をこのような場所で終わりにしてはならない。
 先程錠をしたばかりの扉を解き、檻に足を踏み入れ傍近くに寄る。訝しげにこちらを見る彼女を尻目に、自由を奪う枷へと手を伸ばした。手にある束の中からまた一つを選び、鍵穴へと差し入れる。ガチャリ、という無機質な音と共に、ずるり、と戒めから彼女の手が滑り落ちた。
「……何のつもりです」
「見たままの通りだ。何処となり好きに行くがいい」
「将軍に属している者を、私がそう簡単に信じるとでも」
「いや、思わんな。……では」
 左胸の勲章に、手を伸ばす。それは、閣下のモノであることを証明する、この国のエンブレム。
 躊躇することなく破り取り、フワリと手のひらから宙に浮かせる。腰に下げた鞘から今度こそ刀身を引き抜き、そして――――
「……これで、俺も咎人だ」
 ドスリ、と鈍い音を立てて、それは壁に突き刺さった。切っ先で貫いているのは、忠誠の二文字。
 彼女の双眸が大きく見開かれる。
「早く行け、じきに見張りの兵が来よう」
 壁に手を這わせながら、ゆらりと彼女は立ち上がろうとする。が、傷ついた足は枷となり、上手くバランスを保つことができず、幾度となく崩れ落ちる。
 見ていられず手を差し出せば、それまでの態度と一転して「すまない」と素直に礼を言い、手を取った。
 力を込めて、ぐいと引き立たせる。その身体は予想以上に、軽かった。
「貴方はどうするのです」
 体についた埃を軽く払いながら、彼女は問う。
「俺か? ……そうだな、この場に留まったところで命はない。適当に逃げおおせてみせるさ」
「…………」
 心はひどく晴れやかで、体も恐ろしく軽い。これならばどこまでも走り抜けられる。お前の活躍を見守り、機会があれば手を貸すこともできるやもしれぬ。
 ……願わくば、お前の傍近くでその身を守り、共に走り抜けたいものだが。
 そんな贅沢な願いを、抱くことを許されるような身ではない。
「西門へ向かえば、その道中に外壁が崩れた箇所がある。お前の身体なら容易く通り抜けられよう、そこから出ると良い」
「なるほど」
 彼女は足を引き摺るようにして、出口へ向かう。
 せめてもの償いとして、西門に集う兵士を東へ誘おうかと、壁に立てかけられている銃剣を手に取る。囚人が脱走した際に用いる武器だ、そこらのものに比べれば出来は良い。それに俺の腕ならば、ある程度の足止めにはなるだろう。例え、先程の男が姿を現したとしても、だ。
 扉の外へ一歩、足を踏み出し、暫し動きが止まる。
 おや、足の裏でも痛むだろうか。声をかけようとしたところで、くるりとその身体を反転させた。
「……何をしているのです、早く案内をお願いします」
「は……?」
 思わず聞き返してしまった、が、当たり前だが冗談を言っている風ではない。
 すっかり乱れてしまっている、金糸を束ねていた髪留めをするりと外し、手で軽く梳いて結い直す。まとまりきれない両サイドの髪の毛が、サラサラと滑るように零れた。
「私はこの城の、内部の仕組みに明るくない。それにこの傷……素早く動くには、少々深い。無事に逃げ通すには、貴方の助けが必要です」
 さぁ、と右手を差し出し、嘘偽りのない真っ直ぐな気持ちを俺に向けてくる。

 真の騎士が跪くは、生涯を通して絶対の忠誠を誓う主ただ一人。

 小窓からの光よりも多く、月の女神の祝福を一身に受けるその姿に胸が震えた。
 迷うことなく俺は帽子を取り、地に膝を落とす。その手を両手で受け取り、麗しい甲に一つ、口づけを落とした。
 突然のその行動に、よほど驚いたのだろう、彼女はその大きな双眸をさらに大きく広げ、瞬きを二、三度繰り返す。
「――承知いたしました。我が主のお命、必ずや私がこの身に変えても守り抜くと、誓いを今ここに」
 甲から唇を離し、片目を瞑ってみせる。
 ようやく状況を把握したのか、年頃の少女らしくサッと頬を赤らめ、そして、
「世迷いごとを……!」
 何やらくすぐったそうな、嬉しそうな可愛らしい笑顔を、その顔一杯に咲かせた。




Moonlight Serenade








どうしてもオディナに軍服を着せたくて。逆Verも書いてみたいですね。
meg (2012年9月20日 10:55)
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