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「姫さま! 一体どちらにいらっしゃいます、姫さま!」
「もうじき女王と殿下がお戻りになられますよ!」
 大理石の床に赤い絨毯が敷かれた長い長い廊下で、数人の足音と甲冑の軋む音が響く。長い間厳粛かつ荘厳を貫いてきた王城では、ここ数年、賑やかな声の絶えない日々を送っている。
「ああ、ガウェイン。そちらはどうですか?」
「いや、駄目です。その様子では、そちらにもいらっしゃらなかったようですね」
「お言葉の通りです。全く、姫さまときたら……今日は大切な日であると、あれほど申し上げたのに」
「だから、なのでしょう」
 金色の長髪を持つ騎士と、同色で短髪の騎士がため息混じりに語る中、後ろから新たに別の騎士がおもむろに姿を現した。こちらもまた、頭が痛いと額に手を当てがいながら。
「最悪、この城にいる侍女全てが彼女の味方である可能性が高い。……全く、一体どちらに似られたのか」
 頭を垂れた拍子に流れ落ちてきた紫の長髪を、大きなため息を吐きながら後ろへと流す。困ったような顔をしながらも、その顔には幾分かの笑みが見られる二人とは違い、こちらの騎士は本当に、心から困り果てたという顔をしている。
 それもそのはず。彼には他の騎士とは異なり、彼だけの特別な事情があったのだ。
「人の心を華麗に掴む、という素養に関して言えば、お二方共にお持ちですので、一概にどちらかとは申し上げられない気がいたしますね」
「全くです、本当に将来が恐ろしい」
「笑いごとではありませんよ……」
 くすくすと彼の目の前で談笑し始める二人組を、思わずじろりと睨みつけた。
 これは失礼、と姿勢を正す彼はまだ良い。もう片方はといえば、そう眉をしかめてばかりですと幸せを逃しますよ、など言う。全く、余計なお世話である。
 わざとらしく、ゴホンと大きな咳払いを一つ。
「このままでは私の首が飛びかねません。お二人とも、引き続きの協力をお願いしますよ」
 そう吐き捨てるなり、来た道とは別の方向へ、大袈裟な金属音を響かせ歩き去っていく。こんな緊急事態でも、戒律をきちんと守る彼を、ある意味とても尊敬した。
「いやはや、彼女がどこまで我ら……とりわけ、彼から逃れられるのか、非常に楽しみですね」
「ええ、全く。先程ああは言いましたが、正直逃げおおせていただきたい気もいたします」
「お戯れを」
 彼の耳に入れば、むしろ我々の首こそ危ういですよ、とこれまた楽しそうに笑いながら、彼ら二人もまた揃って別の方向へと足を進め出した。

 *

「……行ったわね」
 大きな剣を掲げる彫像の影から、これまた小さな影がぴょこんと顔を出す。
「ランスロットは正門、ガウェインとべディヴィエールは東門方向……。西門にはケイが向かってる」
 台座からそぅっと顔を覗かせて、彼女は何かをぶつぶつ唱えながら指を折る。注意深く全方向へ顔をやり、安全が確認されると、背伸びと共に小さな腰を上げた。
 濃い緑色の、上質な衣で仕立てられたスカートを小さな手のひらでぱんぱん、と叩く。よし、とその手を腰にあてがい、そして十字路へと足を進めた。先程の騎士達とは違い、甲冑などといった仰仰しい物は身につけていない。茶色の小さな革靴が、パタパタと可愛らしい音を立てる。
「ばかね、ずいぶんと前から計画していたのよ? つかまるようなドジをふむと思って?」
 十字路の中央で、ふふん、と得意げに踏ん反り返った。
「今日は、わたしがいちばん最初におふたりをおむかえするってきめてるんだから!」
 気合いを入れなおし、再び小さな体を揺らしながら走り始める。スカートと共に風にはためくのは、濡れ羽色の長いおさげ。少しばかり癖のある前髪が揺れる。期待に輝くのは、翡翠の双眸。右下には小さな装飾を一つ、添えている。
 予定の時刻まであと数分と迫る今、彼らのような一部の騎士を除いて皆正門へ出払っていることだろう。でも彼女は知っていた。遠征や外交といった外出から帰還する時、二人は必ず裏門付近に建てられた教会へ立ち寄ってから、改めて正門へと回るのだ。
 つまり、そこで待ち伏せておけば、必ず二人に会える。いや、もしかしたら二人ではないかもしれない。そう思うと、ただでさえ期待で膨らんだ胸が、さらに高揚した。
 予想通り、こちらの道には騎士、侍女と誰もいない。裏門へ出る道は、今日は解放されているとリサーチ済みである。……ほら、廊下の奥から一際明るい光が差し込んでいる。
 あと五十メートル、三十メートル。無意識のうちに頬が緩む。今回こそ成功したのだ、あの口うるさいお目付け役を出し抜けたのだ。
 廊下の一番奥にあった、大きなゲートを潜り抜ける。途端に黄緑色と水色のコントラストが美しい、爽やかな景色が目いっぱいに広がる。今日という日に、非常に相応しい晴天。降り注ぐ暖かな陽光に、思わず目を細める。
 いや、ここで立ち止まっていてはいけない。ゆっくりとその方向へと足を進める。チョコレート色の煉瓦を積み重ね建てられた、ステンドグラスの美しい教会。二人が出会い、そして婚約を交わした場であると聞いている。
(すてき……)
 ここを訪れるたび、いつもそのことを思い出す。
(いつか、わたしもお母さまのように立派になって、ここでお父さまのような方と……)

「……捕まえました」
 聞き覚えのある、そして今一番耳にしたくなかった声と共に、両肩をがっしりと掴まれる。頬を幾筋もの冷や汗が滴り落ちた。
「鬼ごっこはお終いですよ。さぁ、着付け役の侍女が首を長くして待っております」
 恐る恐る顔を真上へ上げれば、予想通りというか、信じたくないというか、つまりは出し抜いたはずの自分のお目付け役が、冷やかな光をその目に宿らせて、上からこちらを見下ろしていた。
 何故ここをと弱弱しく問えば、私が知らぬとお思いですか? と逆に質問で返される。
「ぶ、ぶれいものっ! 私を誰と知ってのろうぜきですか!」
 最後の抵抗とばかりに、両腕を振り回しその手をどかす。自分より倍もの身長を持つ彼を睨むには、先程と同じく真上を見上げなければ成し得ないことも、非常に腹立たしい。
「申し訳ありません、どんな罰をも甘んじてお受けいたしましょう。ただし、このことをお二方にご報告した上で、ですが」
「うぅ……っ」
 あともう少しだったのに! と地団太を踏む。ここまで来てなんという結末。違うのだ、こうまでしてここへ辿り着いたその目的は、決して彼ではないのだ。
 だがこのままここで駄駄をこね、その醜態を一から十まで彼の口から敬愛する両親に報告されては、父の言葉を借りればそれこそ騎士の名折れ。
 ギリリと唇を噛み、「さぁ参りましょう」と先行を促す彼の言葉に従うべく、おもむろに足を一歩踏み出した。
 まさに、その時――――

「……その声はランスロットか?」

 その声に息を飲む。と、同時に、キラキラと揺れる木漏れ日から、木々のざわめきと共に同じ色の装束を纏った美しい男性が姿を現した。
 "姫"と呼ばれた少女と同じく射干玉の髪を持ち、琥珀の双眸を煌めかせる。右下には、揃いの黒子を一つ。
「殿下、いつこちらへ……。王もご一緒で?」
「丁度今来たばかりだ。彼女はどうにも抜け出せそうになくてな、俺だけこちらへ謝辞を述べに参った次第だ」
 流石に監視が厳しくてな、叶わんと彼は輝く笑顔を見せた。それを受けてランスロットは大きくため息を吐く。そういう時はせめて、騎士の一人や二人くらいを共に付けていただきたい。そう苦言を呈せば、「俺自身が騎士なのだから、何の問題もないだろう?」と得意げに口元を上げてみせた。
「ベルベット?」
 彼の顔が、姫へ向く。その双眸は、眩しそうに、また嬉しそうに細められていた。
「――お帰りなさいませ、王配殿下。ご無事のお戻り、何よりでございます」
 スカートの両裾をつまみ、膝を折る。王女たるもの、いつ、どの場においても優雅たれ。隣に立つ男が彼女の目付け役となって、一番最初に教えたことだ。
 それを確認するなり、あくまで自然に膝を折り、彼はその場で跪く。
「ただ今戻りました、我が親愛なるベルベット王女殿下。長らく留守といたしました無礼、どうぞお許しを」
 姫の小さな手を取り、その甲に忠誠の口づけを一つ落とす。そうして顔を上げ、片目を瞑ってみせた。
 一瞬にして、少女の顔に光が広がる。

「お帰りなさい、パパ!」

 勢いを付けて、その大きな首に両手を巻きつけ飛び込んだ。飛び込まれた彼は、流石、一瞬たりともバランスを乱すことなく、少女の小さな体を受け止める。
「ただいま、ベルベット。皆の言うことを聞き、良い子にしていたか?」
「もちろんよ!」
「そうか」、と、なんとも愛らしい我が愛娘に、思わず破顔した。目の端に映る、苦虫を噛み潰したような顔をしている目付け役については、見なかったふりをしておこう。
「ねえ、ママは? こちらにはいらっしゃらないの?」
「ああ、彼女はすでに正門へ向かっている。このまま行くか? 俺と共にいれば、一番に"彼"と言葉を交わせるはずだ」
「本当っ!?」
 殿下! と戒めるようなランスロットの声が響く。王女殿下は今、大衆の目に晒してよい格好ではないのだ。せめて礼装のローブくらい、羽織っていただけかなければ周囲に示しがつかない。
 だがそんな彼の叫びもむなしく、まぁ良いではないかと片手を上げられる。殿下も彼女も、周りの者も皆、姫を甘やかしすぎである。こうして頭痛の種は増えるのだ。
 そんなこちらの気も知らず、彼は姫を抱きかかえて立ち上がり、城内へ向かって歩き出す。さてどうしたものか。愛の黒子所有者が二人揃い踏みとなると、彼の味方などもはや誰一人として望めない。せめて、彼女がもう少し王としての体裁を気にするような性質であれば……。
「なにをしているの、ランスロット! はやく、あなたも一緒にいきましょう?」
 考えるのは、もう止めにした。逆に考えれば、彼女のような輝く貌にそうせがまれて、無下にできる愚か者は彼ただ一人。
 何もかもを諦めた理由はそれ一つで十分だと納得し、彼らの後をついて足を一歩踏み出す。女王の帰還を知らせる喇叭の音が、一際大きく鳴り響いた。




小さき花のマドリガル








二人のお子様、登場させてしまいました。名づけてから気がついた。それ、ウェイバーの苗字や...!
meg (2012年9月20日 12:00)
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