木枯らしが吹きすさぶ川沿いのベンチ。ここに流れ出る水から、強い魔力反応を感じ取った僕は、僕のサーヴァントであるセイバーを連れ、索敵を行っていた。
たっぷり二時間は歩いたと思う。けれど一向に尻尾を掴めず、また膝も震えだしたところで、一時休息を、という話になった。もちろん震えを訴えたのは、僕、ただ一人であるが。
ベンチに腰をかけ、はぁ、とため息をつく。僕のサーヴァントは、実に有能で素晴らしい。少しばかり融通のきかないところはあるが、それを補って余りあるほどの勇ましさ、力強さ、美しさ。そして、何より清廉潔白である彼女、セイバー。
そんな彼女に対し、僕は尊敬と憧れの念を抱くその裏で、どうにもならない感情を抱いていた。
目の前を、一組の仲睦まじいカップルが通りがかった。寒いのか、あるいは甘えたいのか……彼女は彼の腕に手を差し入れて、その二の腕に頬を摺り寄せる。風が吹くと彼女は寒いねと体を震わせ、それを見た彼は、飲んでいた缶コーヒーを彼女の頬に当てた。あついよ、とまた笑顔の花が咲く。
(ふん……)
目を背け、一度外したマフラーを、音をたてて大げさに巻き直した。
断じて羨ましいわけでは決してない。中断中とはいえ、今は聖杯戦争の真っ最中なのだ。まったく呑気なもんだ。その気になれば、今すぐにだってこの場は戦場になり得るんだぞ。そうなったらお前らだって、悠長に二人で出歩いたりなんかできないんだぞ、ばか、と心の中で悪態をつく。
高い高い空の上から、カラスの鳴き声が響き渡った。太陽はその身を隠す準備に入る。夜になってしまえば今日の索敵は終了だ、あの魔術師を相手に夜戦う怖さをあの日、ひどく思い知らされた。
(あいつが来なければ、危なかった)
魔物の触手に捉えられ、手も足も出なかった僕のサーヴァント。
(僕は、ただ喚いているだけで、何もできなかった……)
他の優秀なマスター連中と同様の力を持たない分、頭を使って窮地を脱しなければならなかったのに。ただただ恐怖に憑りつかれて、頭の中が真っ白になり腰を抜かしてしまった。
ああ、なんて不甲斐ないマスターなんだろう。この令呪はただの飾りだろうか。
(可哀そうだな、あいつ。僕なんかに召喚されて。最も聖杯に近いと詠われるサーヴァントなのにな……)
そこまで考えて、勢いよくかぶりを振る。違う、と唇を噛んだ。
(あいつを召喚した理由を思い出せ、ウェイバー・ベルベット! 僕は負けるつもりなんか毛頭ない。絶対に聖杯を手に入れて、僕を馬鹿にしたヤツらを見返してやるんだ。もちろん、僕たちをこの見た目で判断して、馬鹿にしたあいつらにも!)
目の端に、自身の右手に浮かぶ令呪が映る。彼女を縛り付ける令呪だ。彼女を己の右隣りに座らせておく為の、令呪。
(…………そう、見た目を笑った、あいつらにも……)
「ウェイバー」
不意に、自身の頬になにか温かい……というよりも、むしろ熱い固いものが触れて、喉奥から変な音を出してしまった。犯人である彼女は目を丸くして、後ずさる。
「も、申し訳ありません。そこまで驚かれるとは、思いませんでした……」
そりゃあ誰だって、物思いにふけって周囲が見えてない時にそんなことされたら驚くだろ! と妙に上ずった声で喚いた。すると彼女は特に悪びれる様子もなく、確かにそうですね、と静かに答えながらも楽しそうに微笑んだ。
「お待たせしました。コーヒーでしたね、どうぞ」
「あ、ああ……うん」
今度こそ間違いなく、この両手に渡される。ちらりと左手に持つ彼女用の缶に目を向ければ、ラベルにココア、と描かれていた。
「……何か気になることでも?」
「え?」
「いえ、物思いにふけっていた、とおっしゃったので」
一瞬、彼女がココアを選んだという事実を可愛らしいな、と思ってしまったことについて指摘されたのかと思った。が、それはこちらの杞憂だったらしい。しかし安堵したそのすぐ後で、ああ、僕はいらんことを口にしたなと、再び後悔する羽目となった。
答えを言いあぐねていると、プシュ、と留め具を立てる音がした。甘い甘いチョコレートの香りがこの場を包む。まずは一口飲み、ふぅ、と満足そうな表情をその顔に浮かべた。そしてこちらに向き直り、
「申し訳ありません、差し出がましいことを申しました」
どうか忘れてください、それよりも今後のことを……と、彼女は別の話題にすり替え、続けようとする。ああ、気を使わせてしまった。また一つ、僕はここで彼女に情けない姿を――。
「あのさっ!」
その感情を打ち払うように、わざと大きく声を出した。二口目を飲もうと掲げていたその手を、ピタリと止める。
「セイバーは、その……――」
「……はい」
またも言いあぐねる僕の台詞を、今度は遮ることなく大人しく待った。
掲げかけた腕を下す。黒い手袋をつけた両手で缶を包み込み、暖を取っている。
僕の両手は汗だくだった。決して、缶コーヒーの側面が熱かったからとか、そういう理由だけではない。心臓が早鐘を打つかのように鼓動する。もう、体は寒くなかった。
「セイバーは……、背の高い男が、好き、なのか?」
「……は?」
「だからっ……! 女の子って、背が高くて力持ちで、自分を守ってくれるような男が好き、なんだろ!」
喉はカラカラだった。言い切るやいなや、缶コーヒーの留め具に手を伸ばす。
勢いよく開けようと親指をかけた、が、持ちあがらない。そういえば、時計塔で飲み物を飲む時は、いつだって自前のマグカップだった。缶に入った飲み物を飲むことなんて、なかった。
ああもう、どうしてみんなこうして僕の邪魔をするんだ、と躍起になって再び留め具に親指をかけようとした……ところで、彼女の手がそれをかすめ取っていく。
プシュ、とまた涼やかな音を立てて開かれた。どうぞ、といつもと変わらぬ表情で手渡され、憮然とした表情を返してしまう。
「僕は……こんなだからな」
荒々しく彼女の手から奪い取り、勢いよく顎を上げてそれを飲み下した。
熱い。当たり前だが、熱かった。その熱湯は喉を直撃し、じんわりとした痺れが口内を支配する。たまらず咳き込み、その様子に驚いた彼女が慌てて背中をさすった。
「背は低いし、痩せっぽちだし。力はないし、魔術だって落ちこぼれ。人に誇れる部分なんて、何もない」
先程のカップルの様子が、脳裏に甦る。男の二の腕に頬を摺り寄せる女。寒さから守るように、熱を与えた男。
可哀そうだな、お前。僕なんかに召喚されて。
僕じゃなく、あのいけ好かない講師に召喚されていた方が、よっぽど幸せだったかもしれないな。
「……ウェイバー」
それまで背中をさすっていた彼女の手が止まったと思った瞬間、ばしん、と大きく叩かれた。手の中にあった缶を、もうすこしで地に落としそうになる。中身はほんの少しだけ、飛び出した。
「な、なにす……っ」
「しゃんとしなさい、ウェイバー・ベルベット!」
まったく、と彼女は呆れたような顔をして、そして脇にココアの缶を置いた。
「男は外見ではありません、中身です」
「な、かみ……」
「力や魔術も、その人となりを知る上での重要な材料であることには間違いないでしょう。ですが、それよりももっと、大切なことがあるように思います」
わかりますか? と彼女は問う。僕はその答えを掴もうと、少しだけ思考回路に電流を走らせる。が、彼女の求める答えがいったい何であるか、てんで考えつかなかった。
「……それは、なんだよ」
「ええ、それは……」
彼女の右手が、何かを指さす。
ピンと張られた人差し指のさし示す先、それは僕の左胸を突いていて――。
「ここです」
「こ……こ?」
「ええ」
その先にあるもの。その中で、先ほどから力強く動いているもの。
「こころ、です」
ああ、月が昇ってきましたねと彼女は言う。橙色が色濃く広がる東の空。薄らぼやけてはいるが、確かにそこには正円である月があった。今宵の月は、とても綺麗なんでしょうねと、彼女は笑った。
「心根が真直ぐである人物は、たとえ他に何を持たずとも、それだけで他人に光を与えます。救いを、もたらします」
なぁ。まさかお前、知ってて言っているのか?
「ウェイバー。私はあなたのことを、好ましく思います」
この国における、その意味を。
「セイ、バー……。それって……」
「おおい、セイバー!」
聞き覚えのある声が、耳に飛び込んできた。爽やかさと甘みを同時にはらむ、声。この声の持ち主を僕は知っている。そして、もちろん彼女も。
「ランサー! どうしたのです、何故貴方がここに……」
彼女は立ち上がり、にこやかにこちらへ近づいてくる彼のほうへと足を踏み出した。彼の方が歩調は速く、また歩幅も広かったのだろう。どちらかというと、彼が現れた曲がり角よりも、僕の座るベンチにほど近い位置で彼らは合流を果たした。
「いやなに、何故だが向こうの方でこれを受け取ってしまってな」
「なんと、鯛焼きではないですか! これはなんとも美味そうだ……」
「ははっ、そうだろう、きっと好きだと思ってな。ちょうどお前の姿が目に入ったからどうかと……」
「是非お願いしたい! ……あ、しかし」
「行ってこいよ」
珍しく歯切れの悪い彼女の背中を押す。
「行ってこいよ、セイバー。僕はここで待ってるから」
若干の温度を残したコーヒーを、ある程度痺れの取れた喉に全て流し込む。ああ、苦いな。こんなに苦かったのか、この国のコーヒーは。
「し、しかし……。でしたらウェイバー、是非あなたも……!」
「いいったら。だいたい、苦手なんだよ」
そう言わず、セイバーのマスターも是非、と右手を差し出す彼に、結構と左手を上げた。憎たらしいほどに整った顔。僕とセイバーに比べ、約三〇センチも高いその身長。ギリシャ彫刻を思わせる素晴らしい体躯。そして、惚れ惚れするほど、また愚直なほどに真っ直ぐな騎士道精神。
「小豆がさ」
彼の言う屋台に向かって、二人並んで歩いていく。影が長く延びるその後ろ姿を、ただぼんやりと見つめていた。
(……背が高くて、力があって、かっこよくて)
もうまもなく、日が沈む。ベンチの上に手を置くと、指先にひんやりとした手触りの何かが触れた。
(心根が、まっすぐ……)
甘いチョコレート飲料の名が印字された缶だった。ああ、そういえば先ほど、彼女が飲んでいた。飲みきらずに行っちゃったのか、相変わらず食べ物に弱いやつだなぁ、とおもむろに手を伸ばす。
「勝てるわけないじゃないか、ばか……」
少し躊躇った後、それをひと思いにぐいと飲み干した。すっかりと温度を失ったそれは、今まで飲んだことのあるココアの中で、一番甘く、そして一番不味かった。
カフェ・ベンチ
ウェイバーちゃんお誕生日記念SSでした。しかし祝っているのかこれ...という内容。ウェイ剣すきなんです...!
meg (2012年10月10日 09:47)
カテゴリ:
Fateシリーズ