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 オレは今まさに、平和であった素晴らしい一日を終えようとしていたところだった。
 今日の夕飯も変わらず美味かった。こだわりの温度で張られた湯船は大変気持ちよかった。そうは思われていないが、こう見えて勉強だってしてんだオレは。明日の予習もバッチリである。
 すべてがうまくいっていた。これであとは、ベッドに潜り、本を読みながら眠りにつく。そうして明日の朝目が覚めて、また素晴らしい一日を始めるのだ。スバラシイ計画。スバラシイぜオレ。
 しかしそんな折角の計画も、大抵は完了となる直前に、隣りの家に住むとある人物によって、跡形もなく台無しにされるのだ。
「聞いてください、クー=フーリン!」
 バァン、と真っ二つに割れんばかりの音を立てて、部屋の扉が開かれた。実際に、一年に二、三度は割れている。今開け放たれた扉だってついこの間、ようやく綺麗になって戻ってきたばかりなのだ。もちっと静かに開けろよ、なんていう台詞は言い飽きた。次やったら、バイトをさせてでもなんでも、今度こそ彼女に金を出させてやる。
「なんだぁ? 町内会のくじ引きで、残念賞でも当たったか」
 大あくびを披露しながら、緩慢に切り返す。もう、と両手に腰を当ててその対応を怒る彼女。ここまではテンプレート通りだ。
「違います! それに、それは当たりと言いません!」
「んじゃあー……なんだ、腕相撲大会で優勝でもしたか」
「それはもう去年、殿堂入りを果たしました! て、そうではなく……」
 つかつかとベッドに潜り込もうとする俺に歩み寄り、ぐいと胸倉を掴まれる。なんだ、今日は積極的だなと軽口を叩けば、「そう言っていられるのも今のうちですよ」と、珍しくその口元を上げてみせられた。
「ついに、ついに私……やりましたよ!」
「ハァ? いったい何を……」
「もう……もう、聞いてください!」
 観念して問い返せば、挑戦的だった表情は一瞬のうちに歓喜の色へと染まる。
「私を好きと言っていただける殿方に巡り合えたのです!」

 途端、部屋中が水を打ったかのように静まり返った。目覚まし時計の時を刻む音だけが、響く。
 すぐ目の前には、興奮冷めやらぬといった彼女の表情。
 彼女の双眸に映る俺は、すでに冷めきったという表情。

「……ほー、そりゃよかった」
 とりあえず、この静寂を打ち破り、次のステップへと進まなければ。
 いつも通り、本当にいつも通りなのだ。
 そしてこの流れなら、早ければ明日、遅くとも明後日には、エンディングがやって来る。
「って、その口ぶりは信じていませんね」
「信じるも何も、いつもとおんなじだろ。泣きを見てもしらねーぞ」
「クー。私の言ったこと、聞いていましたか?」
「は?」
「で・す・か・ら!」
 更に顔の距離が近づく。少し顔を前に倒せば、鼻と鼻がぶつかり合う。唇にだって触れてしまいそうな……まぁ、そんなことはしないが。
 そんなこちらの気も知らないで、彼女は目尻を更に下へと押し下げる。オイオイ、泣き黒子の位置、いつもより一センチ以上も下にあるんじゃねぇの。

「遂に! 私の告白を受け入れてくださった方が遂に、現れたのです!」

 深夜にも関わらず、彼女はよく通るその声を張り上げる。ああ、明日のポストの中身が楽しみだ。今度は何通の苦情通知が入れられることやら。

 って、そうでなく。
 ……へーぇ。ほーぉ。ふーん。
 彼女の告白を受け入れた、ね。ああそう。受け入れ……って、

「はぁぁぁあっ!?」

 彼女にも負けない、音量のボリュームをマックスまで引き上げた。
 こうして俺もめでたいことに、晴れて深夜の騒音グループに仲間入りを果たしたのだ。

 *

「アイツに、ついに彼氏がねぇ……」
 学校、授業終了後の掃除の時間。
 割り当てられた廊下で、柄の長いモップを片手にぶらついていた。勘違いをしてもらっては困る。掃除はきちんと終わらせた。さもないと、マドンナにどんな制裁を喰らわされるか、考えたくもない。
「えーと、隣りのクラスだから二年B組……」
 無意識のうちに、昨日得た情報を反芻させる。

『隣りのクラスの方で、青のソバージュヘアーの……』

「青の……って、オイ!」
 なんでオレはここに来ている。相手を見つけて、いったいどうする気だ。
 ……別に、どうもこうもない。気になるのはきっと、保護者意識のせいだ。アイツはいつだって何をやらせても駄目駄目で、オレがついていてやらないとどうにもならない。そんな感覚が無意識のうちに根付いてしまっている所為だ。
 これだから、幼馴染は嫌なんだ。そう、これだから……。

「ほんっと、チョロイよねあいつ」

 開きかけた引き戸の隙間から、妙に癇に障る声が耳の奥を突き刺してきた。挿し入れようとした手が止まる。知らず、眉間に皺が寄る。
「なんだっけ、A組の……バゼットだっけ?」
「そうそれ! あいつさぁ、僕のこと好きなんだって。一度、気まぐれで落としたノート拾ってやっただけだぞ? ほんっと、バッカだよなぁ」
 アイツの顔は見たことある。運動神経はそこそこいい。成績の方も、まぁ十位以内には入っていた気がする。我がクラスのマドンナにも、しょっちゅう粉をかけていた。(その度に袖にされ、奇声を発していた気もするが。)何にせよ、いけ好かない顔だ。
「……なぁ、賭けをしよう。どのくらいでアイツをものに出来るか。僕、一週間以内にできる気がするんだよね」
 音を立てることなく戸を引く。モップを後ろ手に、大股で静かに一歩、二歩……。
「勝ったら焼肉奢りね。ん、負けたらどうするかって? 負けるかよ、万が一そんなことになったらおまえたちにもいい思いさせてあげるよ。それでいいだ、ろ……」

「オイ」

 男子生徒はびくりと大げさに肩を震わせて、そろそろと怯えるように振り返る。なんでもない、こいつは小物だ。
「な、なんだおまえ、いつの間に僕の後ろに来た! そもそも、このクラスじゃないだろ、いったい僕に何の用だ!」
 身長差に恐れをなしたのか、一歩下がってキャンキャンと喚き散らす様がいっそ面白い。このまま相手の反応を楽しみ続けるというのもオツなものだが……さっきの話を耳にしてしまった以上、そういうわけにはいかない。
「別にぃ? ちょいと通りがかったら、なんだ楽しそうなこと話してたじゃねえか。なぁ、オレも混ぜてくれりゃしないかね」
 舌なめずりをし、思い切り口元を上げて見せる。これからケンカをおっぱじめるぜという合図だ。もちろん、このことはオレを除けば、未だ勝負のついていない赤犬しか知り得ない。
 だが本能的に察知したのだろう。取り巻きの顔色が、途端に悪くなる。
「シンジ、やべぇよコイツ。例の、バゼットの……」
「アイツが何だって?」
 おっとそこまでだ。それ以上知られちゃあ、ちょいと面倒なんでな。
「オレにも聞かせちゃあくれないかねぇ、シンジさんよォ……」
 後ろ手に隠していたモップをブンと振り回し、じゃあ始めようぜと口火を切った。


「クー! いったい、何をしているんです!」
 一斉に飛びかかってきた取り巻きを一通りのして、最期の一撃を主犯に見舞おうとした。……ところで、彼女が飛び込んできた。よくよく周囲に視線をやってみれば、窓の向こう側やらから結構な数のギャラリーがオレ達の決着を見守っている。やべ、こりゃあ後で間違いなく大目玉だ。
「おぉ、早かったな」
「早いとか遅いとか、そういう問題では……っ」
 とりあえず、なんとでもないという風で片手を上げて見せる。その様子に安心でもしたか、まったく、とお決まりのポーズをし、はたと未だに胸倉を掴まれている人物へ視線をやった。
「……あなたは」
 ああ、やはりコイツで正解だったらしい。回していた焦点を合わせ、彼女を確認するなり、途端に以前の元気さを取り戻す。
「そうか、おまえ……おまえの差し金か!」
 襟元からオレの手をひっぺはがし、その体勢のまま後ろへと後ずさる姿は実に滑稽だった。せめて立ち上がるくらいしようぜ、と思ったが、そうか。腰が抜けて立てないのか。
「せ、折角人が優しくしてやったのに……いいか、おまえなんてただの遊びなんだからな! 僕とおまえが釣り合うもんか、大体こんな薄汚い狗……ッ」
 狗の"い"、のところでオレに影が射した。かと思えば、すぐに通り過ぎ、改めて橙色の夕日が射す。目の前で揺れるのは、切り揃えられた鮮やかな赤紫。
「……私の悪口は結構。ですが、」
 非常に小さな声で、「じゃーんけーん……」と聞こえてくる。急ぎ、よせバゼット、と声を荒げる、が、遅かった。次の瞬間には、それはそれは見事な拳が彼の右頬に炸裂し、勢い余ってすぐ後ろにあった扉の中腹に、ひどい音を立てて背中からぶち当たる。
 彼はそのままずるずると下へ滑り落ち、カクリ、と首を傾げた。

「クー=フーリンの悪口を言う人は、誰であってもこの私が許しません!」

 凛とした声が、オレと彼女と、そこいらに転がる屍のみとなった教室中に、響き渡る。
「――――……」
 ……って、いやいや。ちっとばかし感動している場合ではない。
 彼女も彼女で、「わかりましたか!」と鼻息荒く問い詰めるが、そう言ってやるな、多分そいつはもう当分動かない。
「ちょっとあんたたち、いったい何して……って、本当に何してるのよ!」
 騒ぎを聞きつけたのだろう、今度は逆の扉からマドンナが勢いよく踏み込んでくる。ああ、あと十数秒程早ければ、止められたかもしれないのに。それ以上早いとそれはそれで面倒なのだが。
「凛!」
「んもう、これどうすんのよ……。もうすぐ先生達が来ちゃうってば!」
 信じらんない、と一通り(何故か)オレばかりをなじり、しばらく熟考した後、適当にこっちでやっとくからさっさと帰りなさい、と払われた。
「で、ですが……」
 言いよどむバゼットを今度こそ制し、肩を抱く。「何をするのです!」とばたつくが、それはそこ、さすがに力を抑えているようでびくともしない。
「さっすが嬢ちゃん。もうちょい色気がありゃあ、オレの好みなんだがねぇ」
「何か言ったか」
「……よし、帰るかバゼット」
 後ろから突き射すような視線に襲われて、降参だと両手を上げる。そのまま右向け右をし、床に転がったモップを回収して、彼女が入ってきた扉へと足を進めた。貸し一つだからね! という声を背中に受け、振り返ることなくひらひらと片手で返事をする。
 バゼットはというと、両手を上げた際にすでに解放されていた。その後もきょろきょろと身の振り方を迷ってはいたが、オレと共に帰ることを選択したらしい、ぺこりと一つお辞儀をして、「待ってください!」と小走りで駆け寄ってきた。

 *

「綺麗な夕焼けですね」
「…………」
 東へ向かう足を止め、彼女は回れ右をする。
 西日を受けて、オレの影も彼女の影も、長く長く進行方向へ向かって伸びていた。コンクリートの道路も、信号も、その先にあるビルも、すべてがオレンジ色に染まっている。
「……なぁ」
 オレは彼女と正反対の方向を向いたまま、投げるように言葉を発した。
「なんか、悪かったな。その……」
 あんな男だったとはいえ、彼女の気持ちは、本物だったのだろう。遅かれ早かれそうなっただろうし、また彼女の為とはいえ、さすがにオレの手でぶち壊してしまったとなると後味が悪い。
「何を謝ることがあるのです? 私の為にしてくださったんでしょう」
 彼女もまたこちらを見ることなく、ただただ沈みゆく陽を眺めながら、
「私の見る目が……、無いだけなんです」
 そう、寂しそうに微笑んだ。

 不意に、この手が彼女に向かって伸びた。あともう数センチ伸ばせば、触れられる。撫でて、慰めてやることができる。そのあと僅かな距離で、押し戻した。

「ありがとうございます、クー。貴方だけはずっと、私の大切な幼馴染でいてくださいね」

 知ってか知らずか、ただその場に立ち尽くすオレにようやく彼女は笑顔を向けた。きっと陽の光が眩しくて、その顔を直視することが出来なかった。
「さて、帰りましょうか」
 今度は彼女がオレを追い越し歩き出す。

(ったく、死ぬまで手間かけさせる気かよこいつは……)

 もう一度オレは、手を伸ばす。オレ自身の手は届かないけれど、代わりに影が、彼女の影に触れていた。触れて、きちんと撫でてやっていた。慰めて、やれていただろうか。もしもそれがオレの手だったならば、出来るだろうか。

 ……そんな資格は、きっとないだろうけど。

(ずっと、大切な幼馴染、ね……)

 違いねぇ。
 ク、と苦笑を噛み殺し、そして彼女の後姿を追った。




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ホロウ未プレイなのに、某方につられて大ハマリした二人。おかげで二人の口調が迷子...。vitaSNプレイし次第、ホロウやるんだ!
meg (2012年10月10日 09:55)
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