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「せんぱい」
「ン」
 ボクサーにしては、意外と薄くて細身であると思うその背中を眺めながら、口の中で飴玉を転がす。透明の包装紙にくるまれているうちは、単なる爽やかな水色のビー玉だった。ひとたび口に放り込んでしまえば、シュワシュワと音を立てて溶ける。
 まるで、魔法だった。
「飴、なめます?」
 そんな感動を、彼にも味わってほしくって。
 ……なぁんて、そんな建前。
 さっきから彼は、ずっと前を向いてグローブの手入れを行っている。つい先ほどまでは、布巾を使って水拭きしていた。終わったかと思えば、次はワセリンを塗り始める。いよいよ今度こそ……と期待を持つものの、また外れ。何やらパウダーのようなものを、グローブの中に撒いている。
 別に、不満だというわけではない。決して。もちろん。いや、多分。
 過去にあったタルタロスだとかシャドウ討伐だとかそういう経験抜きに、ボクシングに打ち込んでいる彼をかっこいいと思うし、純粋に応援している。ライト級チャンピオンボクサー・真田明彦を、どこまでも突き詰めてほしい、とも思う。
 でも、折角の夏休み。しかも本日最終日。
 この休みを、もう少し、もう少ーーしだけ、恋人の為に、使ってはみませんか?
「いや、今は減量中だから……」
 と、彼は言いかけて、そしてクッ、と何やら笑いを噛み殺す。
「……何か私、変なこと言いました?」
「いや、別に」
「なら、いいんですけど」
 感づかせない程度に頬を膨らませ、まだ残っているというのに、新たに飴玉を取り出して放り込む。ピンク色をした。苺味のソーダ。そう、頬が膨らんでいるのは、飴玉を二個転がしているからだ、間違いない。
 未だ手に持っていた、大量にその飴玉の入ったビニール袋をわしゃわしゃと鳴らす。その味を表現しているのだろう、パステルカラーの水玉が白い水の中を泳ぎまわっていて、なんだかとても涼しげだ。外は、こんなにも暑いのにね。まぁ、この部屋の中は、クーラーが効いているからとても涼しいのだけど。
「おい」
「……ふぇ?」
 突然上から声が降ってきて、私の頭をノックした。入ってますよとばかりに、上を向く。上を向いて目を見開いた。だって、もう数十センチメートル先には、私を映す灰色の双眸が、さも楽しそうに微笑んでいたからだ。
「一つ、もらおうか」
 言い終わる前に、彼の手が伸びてくる。目指すは私が手に持つ袋の中、ではない。
 軽く鼻をつままれて、「ふが、」と口を開け情けない息を漏らす。だって呼吸ができないんだもの。
 彼はそれを待っていたのだろう、途端に顔が近付いてきて、物語の中の悪役よろしくお姫様を連れ去った。ピンク色で、苺味で、それはそれは可愛らしいお姫様。
「甘い」
 王子様、と普段持て囃されているその人は、親指でぐいと口元をぬぐい、ニヤリと笑って見せる。ああ、その表情は紛れもなく悪役だ。さぞお姫様はお困りになっていることでしょう、こんなにもかっこいい悪役では、好きにならない、わけがない。王子様は例えこのまま乗り換えられても、文句一つと口にできやしないだろう。ああ、なんて可哀想。
 そんなことをぼんやりと頭の中で思いつつ、それでもなお身動き一つ取れない私の両手から、かくしてハリの無い水槽は正しくひっくり返る。中からザアァっと音を立て、パステルカラーの飛沫がそこらに飛び散った。
「これを片付けたら、散歩に行こう」
 彼のそんな笑い声が遠くに聞こえて、「ああ、はい」と無意識に身体が動き出す。
 なんだかんだと口にして、結局のところ私は彼、真田明彦にはこの先何年が経とうとも、どうにも勝てる気がしない、ということは確かだと思った。



サイダー









なんだか先輩は、ソーダキャンディーっぽいかな?と浮かんでガガガと書いたもの...。
meg (2012年10月18日 16:15)

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