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「だから、聞いているのか、アルトリア!」
 ばたばたばたばた、と早足で廊下を駆けて行く。教師よりお叱りを受けないギリギリのラインだ。目の前を彼女、彼女の後ろを俺が歩く。これは、俺達の定位置だ。
「聞いています。ですから、悪かったと言っている!」
「謝罪を聞きたいのではなくて、もう少し自重しろと言っているのだ」
 彼女の膝や腕には、真新しい絆創膏が貼られていた。よくよく見ると、あちこち流血までには至らないかすり傷も数か所見られる。
 対して俺の方はというと、特にそういった点は見られない。さて、それは何故か。
 答えは簡単だ。彼女が取っ組み合いの喧嘩をし保健室に運ばれたと聞き、俺はその場へ急ぎ駆け付けただけなのだから。息を切らして勢いよく扉を開けて見れば、何でもない顔をして保険医の治療を受ける彼女の姿と、数少ないベッドに鮨詰め状態の形で寝かせられ、呻き声を上げる数人の男子生徒たち。
 いったい何をしたのだ、と問いただせば、
『彼らがアイリスフィールの授業をサボり、挙句、凛をかどわかそうとしていた』とのこと。
 結局凛殿へ教師を呼ぶように言って遠ざけると、その到着を待たずして、殴りかかったのだと言う。しかも、彼女から。
「今回は、たまたまお前の力が彼らに勝っただけのこと。状況もお前に有利だった。だがな、いつだってこう収まるとは限らんのだぞ」
「そんなことはありません。だいたい、貴方は些か心配性が過ぎている」
 ガラリ、と教室の中へ通じる引き戸を放ち、さっさと足を踏み入れる。俺もそれに続き、後ろ手で引き戸を閉めた。茜色の夕日が射し入る教室の中はがらんとしていて、俺と彼女と除いて誰もいない。廊下にも人気はなく、外の校庭から金属バットでボールを打つ音と、審判による笛の音が鳴り響くだけだった。
 彼女は自分の席の前に立ち、かけてあった学生鞄を机の上に乗せる。机中から必要な教科書を取り出し、中へ次々と放り込んでいった。
 布製の筆記具入れがつるりと滑り、地に落ちる。彼女は緩慢に、それを拾い上げた。しかし、と小言を続けようとする俺を忌々しげに見やり、そしてフンと鼻を鳴らす。
「私の腕をもう少し信用してください。貴方は私を女性視し過ぎている、そこらの男子に遅れをとるようなことなど有り得ません!」

 その瞬間。パキン、と、何かがひび割れる音が聞こえた。
 だいたい貴方こそ、と後にも言葉が続く。しかし、それ以上俺の耳に彼女の声が届くことはなかった。

 女性視し過ぎている、だと? 何をそんなこと。そんな、今更なことを――。
「言ったな、アルトリア」
「え、……――っ!」
 気が付けば体が動いていた。
 彼女の細い右手首を掴み、こちらへぐいと引き寄せる。ゆるく握っていたのだろう、再び筆記具入れは彼女の手から滑り落ち、今度は落下と同時に破裂した。バラバラバラ、と床に鉛筆やら消しゴムやらが散らばっていく。
 数秒後には、彼女は机の上にいた。俺の身体の下にいた。俺の足と足の間に、彼女の右足がある。細い右足だ、足の裏は地についていない。
 必死に抵抗しようと、腕に力を入れているのが分かる。足をばたつかせるも、ただ空しく宙を蹴るばかり。
 彼女の顔が、茜色に染まる。それは些か、他に比べてやけに赤みを帯びているように思えた。

「これでもお前は、男に遅れを取らぬなどと言うか」
「う、く……っ、」

 違う。赤みを帯びているのは、彼女の頬だけだ。

 必要以上に赤らんだ頬。涙に滲んだ翡翠の双眸。噛みしめられた、桃色のくちびる。
(あ、しまっ……た)
 意に反して、顔と顔が、徐々に近づいていく。
(ちがう、別に、俺は……)
 ぎゅっと、瞼を閉じる。閉じたのは俺ではない。彼女、が
(おれ、は……)
 彼女の首元から、清涼なラベンダーの香りが鼻先を掠める。その香りは、俺の思考回路を絡め取り、封をして、それから何も考えられず……――。

「――――、」

 導かれるまま顔を埋めようとした、その瞬間。
 まさに天の助けか、あるいは地獄からの使者なのか。スピーカーから流れ出た無機質な音声が、俺を一瞬のうちに現実へと引き戻した。
『――年B組、ディルムッド・オディナ。至急、化学準備室まで来るように。繰り返す、――年B組……』
 両肩をびくりとゆらし、彼女から体を離す。膝が机の柱に当たり、ガシャンと軋む。
(ほ、放送……)
 しばらくそのままの姿勢で、呆然と繰り返されるその内容を聞き入った。ああ、よく知った男性教師の声だ。俺の尊敬してやまない、あの教師の声だ。
「……あ、の」
「ん――、……っ!」
 未だ机に背をつけたままの彼女が俺を見上げていることに気が付いて、掴んだままとなっていた手をパッと離した。些か慌てすぎた、すぐ後ろにあった机に腰を当てつけて、痛ましい音を響かせる。
「お、俺はもう、行く!」
 その痛みを気にする余裕もなく、急ぎ俺の座席へと向かった。右にかけていた鞄を荒々しく引っ掴み、彼女の顔を見ることなく扉の方まで駆けていく。
 駆けて、駆けて、そして……一歩外へ足を踏み出したその際に。赤らんだ顔を隠す様に口元に手を当てがいながら、未だ放心したままの彼女へ、本来あそこで伝えるはずだった言葉を今更口にする。ちらりと見やれば、呆然としたまま俺の行動を見守る彼女がいた。
「だから、言っただろう。これに懲りたからには、あのような真似は控えることだ……っ」
 わかったか! そう、声にならない声を吐き出して、今度こそ振り返ることなく駆け出した。特に何をしたわけでもないはずなのに、体中から汗が噴き出てくる。噴き出た汗で、シャツの布が体に貼りついた。
(俺は、なんということを……!)
 ああ、馬鹿か俺は。あんなはずではなかった。あんなことをするはずではなかった。
(明日、いったいどんな顔をして彼女に会えばいいのか……っ)
 さらにさらに加速させる。風が、俺を通り過ぎていく。このまま一緒に連れて行ってくれないか。俺の心に燻ぶるこの邪念を、全て取り払ってくれはしないか。
 でないと俺は、これまで通り、お前と正しく向き合うことが、できなくなってしまうから。
 
「……誰が、控えなどするものか」
 ばか、と。しんと静まり返った教室内に、彼女がぽつりと落としたその言葉。明らかに処罰対象となるスピードで廊下を駆け抜ける俺の耳には、到底届けられることはなかった。



アンプロンプチュ









ツイッターにて、蝉ドンならぬ机ドン!という単語を聞いて萌え狂って書いたもの。
meg (2012年10月31日 10:23)
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