schema
http://monica.noor.jp/schema

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 自傷行為、及び流血表現を含みます。
 苦手な方は、どうぞこのまま
 戻るボタンかブラウザを閉じてください。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※










 もう、何もかもが嫌になった。

「ランサーが何処にいるか知らないか?」

 俺のことなど何一つ知らぬ癖に、俺を欲する者。

「ええ、今日中に渡したいものがあって」

 応えぬからと手首を切り、俺の所為だとせせら笑う。

「……化学準備室? なるほど、そこは未だ確認していなかった」

 辛うじて命を繋ぎとめるが、しかし俺を目にするなり浮かべるその微笑み。

「ありがとう、早速向かってみる!」

 それは何十にも、何百にも増殖し、現実でも夢の中でも常に付き纏うのだ。

 ポケットから先ほど購買で購入したばかりの、真新しいカッターを掬い出す。カチカチカチ、と室内の灯りを反射する銀色の刃を絞り出し、しばしその切っ先を、特に何を考えるでもなく見つめた。
 今朝、親友だと思っている少女がこれと同じものを用いて、何かを夢中になって作っていた。あまりに楽しそうにしていたものだから、声をかけるのも憚られて。おかげで今日はこの時間になってもまだ、必要なこと以外の言葉を交わしていない気がする。
 俺たちにとって、それはとても珍しいことのように思う。そういえば昼も、別々だった。少しばかり寂しいと思ってしまう俺は……単なる我が儘な人間、なのだろう。
 俺には特にコレを使用する目的などなかったのに、つい手に入れてしまったのは、これがあれば彼女と同じような気持ちになれるだろうと、そう思ったからかもしらん。
 そのようなこと、あるはずもないのにだ。

 ……ああ、もう疲れた。疲れ果てた。
 いっそこのまま、夢もないただただ深く真っ暗闇の眠りに落ち、永遠にその中で揺蕩っていたい。

 視界の中央に、自身の左手首、皮膚の下で波打つ動脈を映す。確か皆はそこを切っていた。そこを切れば、身体は失おうともその命は永遠に俺の脳に刻まれるから。
 では、俺は? 俺がその場所を切れば、誰かの脳に俺という命は刻まれるのか?
 ただぼんやりと、まるで何者かに操られているかのように、おもむろにその場所へカッターの刃をあてがう。ひんやりとしたその温度がじわりと伝えられ、そしてすぐに溶けて行った。切っ先を立てれば、ちくりと響く痛み。ぷつりと音が鳴り、紅い球体がみるみるうちに成長していく。
 それは、とても綺麗な色をしていた。この身体が生きていることを輝かしく証明する色だ。
 もっと、見たい。もっともっと、見てみたい。
 いっそ身体中のそれがからっぽになるまで流しつくし、その中に横たわる俺を、見てみたい。
 切っ先に更に力を込めて、ずぶりと刺す。途端に球は弾かれて、つうと一筋、筋に沿って流れていく。カッターを握る右手にも力を入れ、最初は少しずつ、しかし後はひと思いに右側へと――
「ランサー、ここか? あなたに渡したいものが――」

 引いた。

「――――っ!」
 裂かれたそこから滝のように流れ落ちる鮮血。そういえば、直前に扉が引かれる音を聞いた気がする。緩慢に顔だけをそちらにむけて、その場所にいる人物を映す。ああ、よく見知ったあの子の顔だ。
「アルトリア?」とその名を呼べば、身体をわなわなと震わせて、一目散に駆け寄ってきた。向かう道中に、彼女は人体模型を蹴り上げる。可哀想に、彼は大きな音を立てて床に叩きつけられ、各部の内臓をバラバラにまき散らされてしまった。
「馬鹿なことを……っ。いったい何を考えているんだ!」
 紺色のプリーツスカートにあしらわれたポケットの中から白いハンカチを取り出して、傷口にあてがいぎゅうと押す。みるみるうちのそのハンカチは色を変えていく。純潔の白から、狂気の赤へ。まるで俺の中にあった衝動そのものを、吸い込んでいくように。
 いったん畳まれていたそれを手首から離し、素早い動作で大きな正方形へ広げ、細く長い形状へ変化させると、きつくきつくその場所へ巻き付けて、きゅっと結び目を造った。結び目だけは未だ綺麗な白を残しており、蝶のようにひらひらと羽根をはためかせる。
「……ディルムッド、説明を」
 一音一音ゆっくりと、彼女自身を落ち着けるように紡がれるその言葉に、ああそうか、俺は自傷行為をしてしまったのだなと今更ながら理解した。
 部屋の中が、再び水を打ったかのような静寂を取り戻す。何をどう説明したらよいのか、そもそも自分でもこういった行為に走ってしまった確固たる理由が掴めず、口を開いては閉じ、閉じては開いてを繰り返した。それでも彼女は辛抱強く、俺の回答を待ち続ける。誤魔化しを許さない、真直ぐな瞳で。
「……これで何度目かは、もうわからんのだがな」
 ぽとり、ぽとりと落とす様に絞り出す。支離滅裂であるかもしれないが、許してくれ。まずそう告げると、彼女は構わない、と真剣な眼差しのまま伝えた。
「隣りのクラスの女子が、自殺未遂を起こしたことを知っているか? 今回も未遂で終わったようなんだがな、どうやらその原因が、またしても俺らしい」
 未だ握りしめたままだった右手を開き、中央に置かれた刃物をぼんやりと見つめた。俺自身の、あまりの滑稽な姿に、笑みさえ零れる。目の前の少女の顔が、苦渋に歪んだ。
「昔から俺はこうだからな。それについては、半ば諦めもついてきたところではあったのだが……。どうやらこの呪いは、俺に対してのみ影響を及ぼすものではなかったらしい」
 望まずとも、俺は彼女たちの心のみならず、命までもを摘み取ってしまう。摘んだ命を用いて鎖を編み上げて、俺自身を雁字搦めにしていく。苦しい、苦しいともがき手を伸ばすたびに、思い出すのだ。彼女たちの、あの微笑みを。
「俺さえいなくなれば……これ以上無為に命を散らそうなどという者はいなくなるだろうし、何より俺自身がこの呪いから解放される。そう、思ったのかも、しれないな……」
 刃先にべっとりとついていた血液はすでに酸化して、くすんだ茶色へと変化していた。もうどこにもあの美しさは見当たらない。
 ばかだな俺は、とそう彼女に微笑みかけた。うまく、微笑んだつもりだった。
 しかし彼女はそれを目にするや否や、その愛らしい薄紅色の唇を噛みしめて、そして勢いよく右手を振りかぶる。

 次の瞬間。
 パン、と、部屋中に乾いた音を響かせた。

 俺は驚き、じんわりと痛みを叫び痺れ出すその患部に手を当てて、数回瞼を瞬かせた。歪んだ彼女の双眸には清らかな水が満たされて、その中をとびきり美しい翡翠が揺蕩っている。あまりの美しさに、声を発することすらできなかった。
「この……大馬鹿者が……っ」
 彼女はそう絞り出すように口にするが早いか、すぐ傍にあった彼女の鞄の中から筆記用具入れを取り出す。金古美のチャックを引き下げ、指先で何かを探った。
 彼女が探していたのは、あのカッターだった。今朝、何かを嬉しそうに切り分けていた、彼女のカッター。
 カチカチカチ、と彼女はその刃先を押し上げる。いったい何を……と思ったその直後、心臓が止まるかと思った。
 彼女は一切のためらいを見せることなく、彼女自身の、俺と全く同じ場所を切り裂いたのだ。まるで、鎌鼬が彼女の手首の上を一瞬のうちの通り過ぎたかのように。声をかける間もない、本当に一瞬のことだった。
 美しい紅のラインがスラリと描かれる。数秒を置いて、じわじわと染み出してきた。彼女の白い肌が、浸食されてゆく。
「いいか、ランサー」
 彼女はそれを拭うこともせず、また布をあてがうこともせず、淡々と続ける。
「意識があろうがなかろうが、次またそのようなことをしたら、私もまたそうなると思え」
 つう、と流れ、地に一番近い位置でそれらは溜まる。そしてその重さに耐えられなくなり、ぽた、と真っ赤な雫が落ちた。一度落ちたが最後、また一粒、二粒と落ちていく。
「私にはきっと、あなたが抱えるその苦しみを、あなたと共に分かち合うことはできないと思う」
 それと同時に彼女の双眸から、硝子玉のように透き通った涙がぽろぽろと零れ落ちる。
「だが私は……、……あなたと共にいたい。これまで通り、あなたと共にこの日々を生きていきたい」
 しかし彼女はそのまま泣き濡れることはなく、崩れ落ちることもなく。声は少しだけ涙に滲ませて、変わらぬ真直ぐな眼差しで投げかける。
 窓からは明るい光が射しこんで、彼女を明るく照らした。その姿はさながら、天から使わされた女神、あるいは天使のようで、
「あなたのいない世界など、私にとっては無用のものだぞ」
 俺の凍てついた心を、いとも容易く溶かしていく。その陽光を持って、温かく包み込んでいく。
「ディルムッド」
 ランサーとは呼ばない。字でなく真名で愚かな俺を呼ぶ、彼女の声。
「酷なことを言うようだが、生きてくれ。……私にはあなたが必要だ」
 からからに乾いた喉が、ごくりと鳴る。
「ア、」
 ただ一滴の水を渇いた布から絞り出すように、喉奥から必死の想いで紡いだ声。
「アルト……リア」
 セイバーとは呼ばない。呼べ、ない。
 その真名は全てを赦す勅命であり、また肯定である。
 俺は手を、おもむろにその傷口へと差し出した。触れて、掴んで、握りしめて。彼女の双眸が、痛みに歪む。彼女の手首から溢れ出るその証明は、それはそれはひどく温かいものだった。
 彼女の命は、この手の中にある。

「……すまなかった」
「ああ、まったくだ」
 先ほど彼女が俺にしてくれたことと同様に、俺の制服ズボンのポケットから薄緑色のハンカチを取り出して、その細い手首へ巻き付けていく。同じように結んだはずが、その結び目は真横でなく縦に向いてしまい、眉をひそめたところで彼女は噴き出した。
「あなたは、不器用だな」
「そんなこと、お前ならとうの昔から知っていただろう」
「ああ。つい先ほど、それをいやというほど思い知った」
 そう口にして彼女はギロリと俺を睨みつける。う、と口ごもり、誤魔化す様に視線を結び目へ返した。
 結び目の真下には、真新しい傷痕。心からの、彼女の想いを知る。
 身を屈め、額をそこへ付けた。そして、本当にすまなかったと、心からの謝罪を。
「もうあのようなことは、二度としない」
「そうしてほしい」
 私はまだまだ生き足りないからな、と嬉しそうな声と共に、心地よい重みが肩の上に振ってきた。はらりと金糸が視界の隅に滑り込む。
 きっとこの呪いは根深いものだけれど。お前がこの世界にいてくれるなら、どんな苦しみにも耐え抜くことができるだろう。少なくとも今だけは、心からそう思えた。
「……温かいな、ランサーは」
 ひどく安堵したような、その声に、
(感謝する。……いや、違うな)
 彼女へ捧げるに相応しい言葉を、必死に手繰る。
「……なぁセイバー」
「ん……?」

 あ り が と う ――――。

 吐く息に溶かすように紡いだその言葉は、彼女の口から漏れ出た吐息と絡まって、そのまま酸素となり彼女の体内へ、そして俺の体内へと還ってゆく。お互いの呼吸がお互いの生きる糧となる。
 彼女は何一つ答えることをしなかった。垂れた金糸が揺れ動き、俺の頬を掠めてゆく。ぬるい温度をはらんだ雫が襟の中へと忍び込み、首筋に沿って更に奥と侵入する。思わず笑い出しそうになるほどくすぐったくて、泣き出しそうになるほど嬉しかった。

   *

 いったいどれほどの時間をこうしていただろう。
 下校を促すチャイムが耳に届き、二人同時に顔を上げた。あまりの息の合い具合に可笑しくて、これまた二人同時に笑みを零した。先に俺が立ち上がり、右手を差し出して彼女をまた立ち上がらせる。拍子抜けするくらい、彼女はとても軽かった。
 床に放りだしていたお互いの鞄を拾い上げ、出口へむかうその途中。無残にも内臓をばらまかれた人体模型に気が付いて、慌てて腰を落とし拾い集める。この惨状を化学教師に見られでもしたら、いったい何を言われるかわかったものではない。紆余曲折を経て何とか無事に納めたあと、今度こそ揃って準備室から飛び出した。ちょうど鍵を閉めにやって来た化学教師――ケイネス先生から向けられる疑惑の視線を必死の思いでかいくぐり、そしてようやく玄関口へとたどり着く。
 たどり着き、彼女が少し背の高い位置にある彼女の下駄箱へ左手を伸ばした際に、ふとあることに気がついた。
「目立つな……」
「ん?」
「いや、そのハンカチ……」
 掴んだ革靴から手を離し、そのまま手のひらを広げる。結局縦のまま形を変えることのなかった蝶が、外から舞い込む風によりひらひらと揺れた。
「このような場所にこんなものを巻き付けるなど、怪我でもしない限りないだろうしな」
 まぁ、実際には怪我をしているんだが、と妙の棘のある言い方に、両手を上げて降参の姿勢をとる。少なくとも今日一日は言わせてもらうからな、覚悟しておけ? と良い笑顔で告げる彼女に、お手柔らかに頼むと口元を上げた。
 彼女はそんな俺を見て、満足げにウムと頷き、再び下駄箱から革靴を取り出した。コンクリートの床へ几帳面に並べ、片足ずつ滑り込ませていく。トントン、とつま先で地面を蹴り、正しい形で納めてみせた。
 俺もまた、ちょうど胸の高さに位置するそこから大きめの革靴を取り出して、床へ並べる。綺麗な形を持つ蝶が、一つ一つの動作に揺れた。
「確かに、目立つな」
「うん? ……ああ、特にお前のハンカチは真っ白だからな。この黒の学ランと合わせると余計に……」
「いえ、そういうことでなく」
 ほら、と左手の甲を俺に向ける。彼女の意図がわからず首を傾げると、ふぅ、とため息を吐き、逆の手で俺の左手を拾い上げた。そのまま手首と手首を重ね合わせ、ほら、と俺を見上げる。
「揃いだろう?」
 これで、お前を慕うレディー達を少しは牽制できるかもしらん、と得意げに笑った。それはいけない、お前に迷惑がかかるとかぶりを振れば、私だからこそだろう、あのような手に私が負けるべくもない、と鼻を鳴らす。
 そこでふと、彼女の動きが止まった。
「ん、揃い……?」となにやらうわ言のように繰り返し始める。どうしたと問えば、何かを忘れているようなと彼女は頭を抱えた。必死に思い返そうとする彼女のために、何か一つでも助言を出来ればと、唸る彼女の横で俺も今日一日の行動を振り返る。……駄目だ、そもそも今日は彼女とあまり話をしていなかった。これでは糸口の一つも掴めそうにない。
 ああ、いや一つだけあった。普段化学実験室など、その科目の教師か部の者以外はそうそう訪れない場所である。更に言うと今日は、化学部の活動日ではない。気になりだすと止まらないと経験は、誰にだってあるだろう。何かを考え出した途端に他の音が聞き入れられなくなる彼女のために、そういえば、とわざと咳払いまでして注意を引いた。
「セイバー、あの時どうして化学準備室《あそこ》に来たんだ? ケイネス先生に用事があった風ではないようだが」
 すると彼女は突然なんだと双眸を丸まると大きく広げさせ、素早く二、三度瞬いて見せる。
「え? あ、ああ、今日中にあなたに渡したいものがあって、それであなたを探しに……」
 そこまで口走って、あ、と大きく口をあけた。
 どうやら彼女のお役に立てたらしい。では、俺に渡したい物とは? そう問う間もなく、彼女は凄まじい勢いで鞄の中身を探り出す。折角丁寧に収納されていた教科書やら筆記用具入れやら飴玉入れやらが、洪水でも起きたかのように乱雑に掻き回される。あれでもない、これでもないと繰り返し、数秒してようやっとその表情に光が戻ってきた。
「ランサー、あなたにこれを渡したかったんだ」
 ずいと目の前に突き出された、麻色の小さな紙袋。おそるおそる手に取れば、その薄い紙は中に入っているだろう何かしらの姿かたちを残して、くしゃりと厚みを無くしてしまう。そっと中身に触れてみれば、それはとても柔らかいものだった。
「……開けてみても?」
「もちろんだ!」
 学生鞄を脇に挟み、封に使われているカラーテープを丁寧に剥がす。カサカサと音を立てて入り口を開くと、何やらタオル地らしき布が目に入った。色は、若草。
「これは……」
 親指と人差し指で端を摘まみ、袋の中から抜き出せば、それは幅六センチメートルほどの、リストバンドと知る。表面中央には、二双の槍が刃を合わた形のシルエットが、金色と深緋で描かれていた。
「あるスポーツ用品店に行ったとき、見つけたものだ」
 実は私の分もあるんだと、同じく麻色の紙袋を取り出して、中からそれを摘まみだす。俺に掲げたそのリストバンドは、白群のタオル地に浅葱色で剣のシルエットが描かれていた。
「その、最初は……二つとも無地のそれだったんだ。でも何となく、それだけでは物足りなくて……こうして手を加えてみた」
 ウェイバーに相談したらな、スプレータイプの衣類用樹脂顔料を用いればそういったことができると聞いて、やってみたんだ。マスキング用の紙をそのシルエットに切り抜くのは骨が折れたが、だが中々に上手くできているだろう? と瞳を輝かせる。
 なるほど、そうだったか。
 あの時彼女がカッターを用いて何かをしていたのは、このためだったか。おおよそ、今日の昼はこのリストバンドにスプレーを当てて染色すべく、席を外していたということなのだろう。
 すべては、俺のために。俺の喜ぶ顔を見る為に。
 そちらももっとよく見せてもらえないかと、彼女の手から彼女のリストバンドを借り受ける。表裏と返し、しばし眺めたあと、左手首に取り付けられている彼女の白いハンカチの結び目を解いた。内側から重苦しい赤と生生しい傷痕が顔を覗かせる。幸い、もう血の流れは止まっていた。
 ハンカチは新しい物を買って返そうと心の中で呟いて、それを丁寧に畳んで鞄の中へと仕舞いこむ。そして代わりに、真新しいリストバンドを取り付けた。
 若草色ではない、白群のリストバンド。
 それはまるで、この場へ至りたくばこの剣を下して見せよとでも言うように、傷痕を完全に覆いつくした。
 続いて、ぽかんとした顔でその様子を見守っていた彼女の左手を拾い上げる。同じように薄緑色のハンカチを開封し、それはそのまま俺の鞄の中へと仕舞い込んだ。何かを彼女は言おうとしたが、気が付かないふりをして先を急ぐ。
 もう想像はついているだろう。彼女の左手首に取り付けたのは、若草色のリストバンド。
「ランサー、その、これは……」
「…………」
 わかっている。本来取り付けるべくは、逆なのだと。しかしこれはきっとこうで、正解なのだ。
「これで、揃いだ」
 俺をお前の命の前に。お前を俺の命の前に。
 他の誰にも渡しやしない。
「あ――あなたは、ばかなのか」
「そう思う理由を聞いても?」
「これは、そ、揃いというよりも、その、アレだ。こ、恋人同士がするようなアレだぞ!」
「ああ、はなからそのつもりだが」
「……本当に、ばかだ」
「誉として受け取っておこう」
 俺とお前は二つで一つ。
 お前が生きるというのなら、俺もどこまでも生きてみせよう。
 お前のいない世界など、俺にとっては無用のものである。

「アルトリア」

 俺の身体の後ろから、夕陽が佇む彼女を照射する。逆光となりよく見えていないのだろう、彼女は眩しそうに双眸を細め、俺の表情を捉えようとする。
 リストバンドの付けられた左手をそのままこちらへ導いて、そしてその手のひらへ口づけを、一つ。

「好きだ」

 途端に彼女の頬は、彼女がまだ生娘であることを証明するかのように、赤く赤く染められた。

 逢魔が時。人を攫う魔物がおもむろに目を覚まし、闇の訪れを今か今かと待ち受ける。
 俺は魔物に憑りつかれ、一度は払われたかと思いきや、実のところ喰らい尽くされた後であり、支配され続けているのかも知らん。

「わた、し……」

 気を付けろ。ここで頷けば、お前はもうその身もその心もその魂すらも、この先ずっと永遠に、

「わたし、も――――」

 俺の、ものだぞ。

「……ああ」
 東に向かって長く伸びる二つ影が、重なり合う。それはまるで、背の高い影が大きな口を開けて、背の低い影を頭の上から飲み込むんだかのようにも見えた。
 彼女の清らかな手のひらが、優しく俺の背中をさするその裏で。
 血の涙を流す黒いあくまがその白い首筋に、尖った歯を突き立てようとしていたその事実を、彼女は、そして俺自身もまた最後まで気が付くことはなかった。



ダブレット









ツイッターにて、U原さんが呟かれていたネタに萌えたぎり、お許しをいただいて書かせていただきました。鬱むっど...。こうしてどんどんアルトリアさんに依存していけばいいと思う。
meg (2012年11月21日 09:27)
カテゴリ:

Mail Form

もしお気づきの点やご感想などありましたら、
mellowrism☆gmail.com(☆=@)
までよろしくお願いいたします。

Copyright © 2008-2012 Meg. All rights reserved.