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 ガツン、と音を立てて太めの針が氷山へ突き刺されば、途端にそれはバラバラと大小さまざまな大きさとなり、この左手のひらから零れ落ちていく。ようやく、午前中分の量が揃った。右手に持ったアイスピックを元の居場所へ戻し、真っ赤に染まった左手にはぁ、と息を吹きかける。
 随分と空気は冷たくなった。些か急なように思えてならない。中の空気を入れ替える為に、開け放っていた扉を静かに閉めた。扉の上に取り付けられている鈴が、動作に合わせてカランカランと鳴り響く。

 ここは、冬木市内某所にあるカフェレストラン。つい先月末に、オープンしたばかりた。
 緋色の扉に、同じ色で仕立てられた屋根は、オーナーの好みである。悪趣味だ、せめて青にしろよと不満の声を上げたのは、同僚かつ先輩にあたるバイトリーダー。オーナーとは犬猿の仲だった。
 その他の従業員は俺と、あともう一人。この中では紅一点にあたる、その人。
「おはようございます、ランサー……」
 眠そうな目を擦りながら、エンプロイルームから這い出てきた彼女を見て、つい噴き出してしまう。普段は一本しか飛び出していない髪の毛に、まもなく二本目が追加されようとしていた。
「おはよう、セイバー。なんだ、寝不足か」
「ああ……。つい、読書に夢中になってしまって」
「それほどまでに面白い本だったのか」
「ええ、とても興味深いものでした。読み終えた暁には貴方に貸そう、読んでみると良い」
「それは楽しみだ」
 言いながら右手で彼女の頭を撫で、それ以上本数が増えぬように整えてやった。ついでに腰を屈め、羽根が縦向きとなってしまっている黒エプロンの蝶々を解く。
 起き抜けの手には力が入らなかったのだろう、随分と緩まっていた。きゅっと、ずり落ちることのないようきつめに縛り直してやる。
 彼女はそれらの行動を目で追って、すみません、と少し頬を赤らめて俯いた。残念、今や俺の顔は彼女のそれよりも下の位置にある。俯いたところで、隠せるものではないぞ。
 とはいえそれを口にすれば、容赦なく彼女の鉄拳が飛んでくることは想像に容易い。その表情は役得であるということで有難く受け取ることにし、どういたしましてとだけ返して姿勢を元に戻した。
 しかし、その笑顔の裏を読み取ったのだろう彼女は、少し不貞腐れたような表情で気に入らないと口を尖らせる。ほう、いったい何が気に入らないんだ? と素知らぬふりをして聞き返せば、何でもないと顔を反らし、残りの作業を手伝いますと袖を捲った。
「それはありがたいが、実は先程全て終わらせてしまったのだ。あとは、買い出しに向かったお二人を待つだけだな」
「そうなのですか。ではせめて、温かいコーヒーをお淹れしましょう」
「いや、それには及ばない。まだ目が覚めきっていないのだろう? 俺が淹れよう、お前はそこのソファに座って新聞でも……」
「ですから、目を覚まさせるためにその役をくれと言っているのです。それに、」
 言うが早いか俺の左手を拾い上げ、その上に彼女の温かい右手のひらを重ね合わせる。
「大方、直に手に持って氷を割っていたのでしょう? こんなに冷たくして、おまけに真っ赤になっています。こちらを温める方が先です」
 言って、二、三度擦り合わせ、はぁと吐息を吹きかける。
 途端に俺の、身体中にある毛という毛が逆立った。じわじわとその温もりが伝わり、ありとあらゆる毛細血管が痺れを叫びだす。眠気覚ましにチョコレートでも口にしたのだろうか、鼻を掠めたその甘い香りは、体内を巡る血液の沸騰速度をただひたすら加速させた。

 危険だ、これは良くない。
 もうあと三十分程度でオープンの時間だ。おまけに、お二人が戻るまであと数分もかからないだろう。
 悪しき考えが浮上してくるまでに、どうにかしてこの状況を脱しなければ。

「ランサー?」
 訝しげに、上目づかいでどうしたと問いかけてくる。
 どうしたもこうしたもあるものか。以前から思ってはいたが、彼女は俺に対する行動について無責任がすぎる。
 いや、もちろん全幅の信頼を寄せてくれているという事実は素直に嬉しい。しかし時として、その信頼が些か切なくも感じるのだ。
「セイバー、その……」
「しかし貴方の手は、本当に氷のように冷たいな。これなら、私の眠気を覚ましてくれるのではないだろうか――」
「セ――っ!」
 そんなとんでもないことを口にするやいなや、長く美しい金糸に縁どられた瞼をふっと閉じ、額へ、右頬へ、左頬へと、順にこの手のひらをあてがっていく。その度に、俺の心は震えあがるのだ。ぷつりぷつりと線が断ち切れてゆく。
 最後に何か、しっとりと湿ったものが触れた。
 戸惑いの視線に気が付き、その場所から顔を上げて照準を俺に合わせると彼女は、
「貴方の手は、爽やかで心地の良いハーブの香りがしますね、ランサー」
 と、うっとりと微笑んだ。

 その瞬間。俺の中で、何かが大きな音を立てて崩れ落ちた。
 ではコーヒーをと離れかけた彼女の左手首を、がっちりとそのまま掴み上げ、右手を壁に這わせて小さな身体を大きな身体で覆い隠す。

 申し訳ありません、お二方。

「セイバー」
「……はい?」

 オープン時間には、戻って参りましょう。

「――……っ! ま、待って……、待ちなさい、ランサー!」
「待つも何も、お前が俺を、温めてくれるのだろう?」

 何でしたら、本日のクローズも私が担当いたします。ですから、ここはどうかひとつ、

「ならば同時に俺が、お前の眠気を覚まさせてやろう。なぁ、良い考えだろう?」
「や、ですから、その……!」

 慈悲を、私めにお与えください

「んう、らんさ、ぁ……っ」

 二、三度口づけを落とし、更には舌を挿し入れてやれば、手の中の子兎は途端に大人しくなる。
 ああ、もしかしたらオープン時間にも間に合わないかもしれないな――。ほんの僅かな罪悪感は、あっという間に頭の隅へと追いやられ、いつの間にやら姿を消した。

 おかげで、普段ならばどんなに小さかろうと真っ先に気が付くはずの鈴の音に、俺は最後まで気が付くことがなかったのである。



 *

「……おい」
「なんだ」
 緋色の扉の手前、同じ色で仕立てられた屋根の下。
 扉へ至る階段を腰掛けに、どっかりと落ち着けた大柄の男が約二名。
「オレらは、いつまでこうしてりゃいいんだ?」
 長い青髪の男は、右手人差し指と中指に挟み込んだそれに百円ライターで火を点けて、緩慢に口の中へと招き入れる。
「そうだな……。彼らがエンプロイへでも移動すれば、中へ入ることができるだろう」
「ったく、どーせなら自分たちの部屋へ行ってやれってんだ……」
 しょうがねぇ奴らだなぁ、という苦々しい文句は、口から出た煙草の煙に溶けて消えた。店先で吸うなと何度言えば分かるという隣りからの小言に、外よりも中の風紀を先にどうにかしろよと返す。
 すると彼、隣りに座る褐色の肌を持つ白髪の男は、二人は当分クローズ担当だなと零し、青髪の男の口に挟まれた煙草を鮮やかに攫って行く。それをそのまま彼の口へ挟ませて、寒空へ向かって白い煙をスパーっと吐いた。



Awakening









カフェ槍剣。弓槍(五次)は、ギリギリのラインをさまよう危うい関係が好き(笑)お互いノーマルだけどいちゃつく的なね...。
meg (2012年12月25日 13:47)
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