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『僕の記憶に残るンンさんには、ずっと笑っていて欲しいんです』
 そう口にして彼は、私に小さな花を手渡した。


さよならハルジオン



 あれは、確かに彼だった。
 でも、信じられない。信じたく、ない。
 あの場にいたのは私だった。かけがえのない未来を守り抜く為に、かけがえのない友人達と共に宝玉を取り戻しに向かった私。
 敵側からしたら、抹殺すべき邪魔な駒であることに相違ない。だから、ああいう展開になることはごく自然な流れだろうことはわかっていた。わかっていた、けれど。
 わからないのは、ただ一点。
『……あの方の邪魔をする気なら、誰であろうと消し去ります!』
 思い出すだけで、ぶるりと背筋が粟立った。思わず両腕で自身を抱え込み、ずるずると膝から地面に崩れ落ちる。
 見たことのない、ひどく冷たい瞳。私はあんな彼を、知らない。知るはずもない。
 だって、絶望に慄くあの世界でだって彼は、常に笑顔を絶やさなかった。私たちの側近くにあって、誰かが悲嘆に暮れようものならすぐに駆け寄り、笑顔を取り戻させてくれた。この世界の未来について、最も心を砕いていたルキナにとっても、彼の存在は大きかっただろう。それだけ彼は、滅多に私たちに悲しみ、そして怒りといった感情を見せることはなかった。
 ――――ん……
 ナーガ様、ナーガ様。いったいどういうことですか。
 ルキナと彼のお母さんが……ルフレさんがギムレーの器であることは、私も知っています。事実、私の暮らした時代では、すでに彼女はギムレーそのものと化していました。
 でも、彼は……“私たちの”世界の彼は、常に私と、私たちと共にいました。共に剣を振るい、魔術を駆使して戦ってくれていたのです。
 そんな彼が、どうしてあちらの世界では私たちに牙を剥き、屠ろうとしていたのでしょう。私たちを……私を目の前にしても眉一つ動かすことなく、躊躇うことなく引き金を引いたのでしょう。
 ――ンさん……
 あの時、ルフレさんがいらっしゃらなかったら、間違いなく私の命は消えていました。彼の手によって、消されていたのです。
 庇っていただいた時、膝を擦りむいて出来てしまった傷を、彼は自分のことのように心配してくれました。ありったけの治癒魔法をかけた挙句、包帯でぐるぐると二重にも三重にもぐるぐると巻いてくれました。
 私は……たくさんの涙を流してしまいました。それを見て彼は、痛いのだと思ったのでしょう、『痛いの痛いの飛んで行け』、だなんて、子ども扱いしたですよ。
 痛みを感じたのは、膝の傷ではないのです。彼を想うあまりに、心が痛みを感じて仕方がないのです。
 いずれ、“彼”も……そうなることを選ぶ日が来るのでしょうか?
 いずれ、”彼”が同じ目をして、私に向けて引き金を自ら引く日が来るのでしょうか?
 その時、私は……。
 この手で、”彼”を屠ることが、できるのでしょうか……?

「ンンさんっ」
「ふわぁ!」
 突如上から肩を叩かれた驚きにより、大きな声を上げてしまった。慌てて両手で口を封じ、その方へ視線を向けてみれば、これまた驚いた顔をしてこちらを見やる彼がいた。
「す、すみません! まさかそんなに驚かせてしまうとは思ってなくて……」
「い、いえ、謝る必要はないのです。ぼんやりしていた私が悪いのですから」
「でも! 折角集めてらした花が、全部落ちてしまったじゃないですか!」
「え? あ……」
 地に視線を落とせば、なるほど、綠色の絨毯に、白やピンクといった色彩が所々見え隠れしていた。我先にと彼は腰を折り、足元にばら撒かれた小さくも愛らしいそれらを懸命に拾い集めていく。
 ああ、そうだった。そう言えば私は、ナーガ様にお捧げしようと野に咲く花々を集めていたのだった。
 どんなに小さな花だってたくさん摘み集めれば、見栄えのする花束になるだろう。それに、ナーガ様は豪華絢爛な花よりも、素朴で可愛らしい花を好んでいらっしゃることは、マムクートならば誰でも周知の事実。きっと気に入ってくださるはずだ。
「これで、全部でしょうか」
 どうでしょう? と右手を筒状に丸め、そこに野花を挿して目の前に掲げて見せた。正直、私がこれまでに摘んできた花の種類や数など覚えていないのだけれど、その花束は私が目指していたまさにそれで、如何にこれまでぼんやりと作業していたかが伺える。
「はい、大丈夫なのです。……あの、そのまま少し持っていてもらってもいいですか?」
 構いませんよ、と予想通りの笑顔を確認すると、スカートのポケットに手を入れた。そして、あらかじめ用意していた桃色のリボンをするすると取り出す。
 もう少しだけ、下のほうを持ってくださいとお願いして、くるくると巻いていった。丁度良い長さを余らせて、きゅっと蝶々結びにする。そういえば、彼の巻いてくれた包帯の蝶々結びは、羽根が縦になってしまっていた。同じく理詰めなロランと違い、彼は幾分か不器用なのだと思い知る。
「へぇ……。これは、可愛いですね! ナーガ様へのお供え物ですか?」
 彼は彼の手の中で咲くその花束を見て、ぱぁっと太陽のように顔を綻ばせた。きっと普段なら、私もつられて笑顔になってしまったことだろう。でも、今は……むしろ、どうにかして笑顔を作らなければと必死になっていた。
「はい、そうなのです。ナーガ様はお花がお好きなので、こうして集めていたですよ」
「そうなんですね。あ、今回はナーガ草は必要ではないのですか?」
「あれは……」
 あの時だけです、と口を尖らせる。そうですか、と微笑む彼の頬は、心なしか赤みを帯びている気がした。照れるくらいなら言わなければいいのに、と心の中で苦言を呈すものの、どこか緊張して張り詰めていた糸が緩んでいくような、そんな感覚を覚えた。
 そっと彼の手から、野花のブーケを譲り受ける。本当に小さい、手毬ほどの大きさしかない、こじんまりとした花束。
 あの地では、このようにささやかな花束すら作ること叶わなかった。足元を覆う緑色の毛束は剥がれ落ち、ただただひたすら茶色の乾いた大地が広がる。ところどころ、ごつごつとした灰色の岩が見え隠れもしていたか。とにかく、この世界にやってきてまずはじめに感じたことは、こんなにも世界とは美しいものだったのかということ。
 そして、
「――――ンンさん、あの、」
 どうして、この場に彼がいないのか、ということ。
「大丈夫、ですか?」
「……え?」
「あ、いえ、その……。このあいだから、ンンさんに元気がないような気がして……」
 母さんには女の子にはいろいろあるのだから、しばらくそっとしておいてあげなさいと言われたのですが、でも……と、口ごもる。
 何を言わずとも、おそらく彼の母親であり世界の命運を握る運命の一人、ルフレさんには全てお見通しなのだろう。あの時、私を助けてくれたのは彼女だ。そして、このことは二人の秘密、と唇に人差し指を当てたのも彼女。すこし躊躇し、しかし深く頷いた私に告げた「ごめんね」の台詞は、その時限りのものではない、こうして後で私が思い悩むことを知っている上でのものなのだ。
 あの日彼は、私たちと共に時空を超えることを拒否した。
 誰かがここに、残らなければ。そしてそれは、ルキナの弟でありクロムの血を引く自分でなければ、と、言って聞かなかった。
 その後の彼を、私たちは知らない。当たり前だ、私たちは世界を超えたのだから。眩い光が世界を覆ったと思った直後、私の側には、皆の側には、彼はもちろん見知った友人は誰ひとりとして姿がなかったのだから。
 だから、異世界の私たちを救ったあの日に見かけた彼が、彼でなかったように。今目の前にいる彼も、私の知っている彼ではないかもしれない。記憶なんて、私たちが選んだもの、選ばなかったものその時々で移り変わってゆく。あの世界の私たちが、私たちの記憶と異なる道を、歩んでいたように。
「……マーク」
「はい?」
 マーク。紡ぐだけで、甘い感情をもたらすその名前。私の特別な、あなた。
 この世界に現れるまでの間に持っていたはずの記憶を全て手放してしまったあなた。
 だから、私たちの世界にいたあなたかどうか、それとも異世界のあなたなのかどうか、もう知るすべはないのだけれど。
「この花束の花の中で、どの花が私に似合うと思うですか?」
 黄色、青、ピンクと顔を覗かせる小さな花花。この世界では割と容易に手に入れられる、気が付けばいつもすぐ傍にあるささやかな花。
 マークは不思議そうに私を見て顔を傾げたあと、しかしその要望に応えるべくすぐに視線を手元へ移す。「そうですねぇ、」と微笑み、
「この、ピンク色の花もいいのですが……」
 と、人差し指で優しく手前のその花に触れたあと、その場でしゃがみ込んだ。どうしたのだろう、と今度はこちらが首を傾げると、
「ンンさんには、こちらの方がいいかなぁ、なんて」
 そう口にして、足元で揺れていた白色の花をぷちりと抜いて、膝を伸ばした。突然顔に向かって手が伸ばされたので、条件反射で瞼を瞑ってしまう。
 すべらかな指先が、耳に触れた。僅かな重みが架され、そしておもむろに離れてゆく。
「うん……やっぱり、ンンさんにはこちらです!」
 恐る恐る瞼を開けば、真っ先に視界へ飛び込んできたのは一片の曇りなきマークの笑顔。あの日見せてくれたものと全く同じ、私の大好きな彼の笑顔。
 あの日、彼が私にくれた花の名は春紫苑。多くがピンク色の花を咲かせ、後に知ったがその花言葉は、"追想の愛”という。
 彼は、そのことを知っていただろうか。彼は私に何も言わなかったけれど、私が抱いていた想いを同様に彼も抱いていてくれたのだろうか。
 もう、確かめる術はないけれど。
「……ありがとうです、マーク」
 変わって差し出された花は、真っ白の花。非常に似た形をしているのに、別の名を持つその存在。"素朴と純粋”。
 どういたしましてとはにかんで、はい、と右手を差し出した。お母さん譲りの魔力を乗せて、強大な氷の刃で幾度も多くの屍兵を殲滅させたその右手。あの日その手は私へ向けて、冷徹な炎を放とうとした。
 でも今は。
 他の何物でもない、ただひたすらの愛情だけが、乗せられている。
「マーク」
 私はその手のひらへ、そっと小さな右手を乗せて、
「マークのことが、だいすき、です」
 と、本日初めて彼の瞳を真正面で捕らえ、はっきりとそう口にした。
 すると彼は少し驚いたような顔をして、しかしすぐに、何やら照れくさいといった微笑みを乗せ、
「もちろん、僕だって。僕だってンンさんのこと、他の誰よりも大好きですよ!」
 と宣言し、唇を私の熱い頬へと寄せる。
 その瞬間、氷でできた檻は溶け、両目から温い水が溢れ出て。頬を伝って宙を舞い、ハルジオンの花弁に跨り地へ落ちた。








2013.03.29 ンンちゃんハッピーバースデー!わたしは!マクンンが!だいすき!だ!!
meg (2013年3月29日 17:11)

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