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 ――そこで何をしている。
 激昂した少女が振り上げた右手はそのまま動きを止め、代わりに凛然とした声が教室中に響き渡った。

「先輩、すみませんでした」
「ん?」
「なんか、変なことに巻き込んでしまって」
 普段は涼やかに流されている臙脂の瞳が大きく見開かれる。
 あ、睫毛長い。
 こんな時でも隣りを歩く彼女から醸し出される美しさには魅入られてしまう。先ほどの少女たちが“そう”であると勘違いをし、また認めてしまうのも無理はないなぁと薄らぼんやり思った。
「……すまない、私には君に謝罪される理由が検討もつかないのだが」
「あ、いえ、えっとその……。さっき、彼女たちが」
「ああ――」
 先程の、と。呆れとも失笑ともとれるため息を一つ吐いて、少女は瞳と同じ色をした長い髪を後ろへやった。
 まるでかの有名な漫画に登場する、近衛連隊長のよう。そういえば彼女に恋をする女子生徒も同じようなことを呟いていた気がする。
 だったらその隣に並ぶ恋人は、同じ貴族ではなく平民でなければならない。美形で、幼い頃から傍にあり、彼女に寄り添い心からの援助を惜しまぬ者。
 そう、それはさながら――
「――まったく、馬鹿らしい。君が私から明彦を取ったなどと、言いがかりもいいところだ」
 その言葉に、ちくりと小骨が心臓へ突き刺さる。
 ええ、そうですね。本当に、馬鹿らしい。
 思ってもいないことを軽く言ってしまえる自分が馬鹿らしい。
 もちろん、先輩達の言葉より彼女達の言葉を信じるなんてことはありえない。二人の間にあるものはただ純粋な信頼と親愛であり、彼から私に注がれる愛情とは全く持って別物だ。
 そして彼女は、彼に注いている感情と同様の感情を、今や私にも注いでくれている。私だけではない、私の親友にもだ。そして、彼の親友にも。
 わかっている。わかっているのに。
 こう、漠然と。言葉には出来ないもやっとした霧状の何かが私の心の一部分を覆い隠す。

 私で、よかったんだろうか。
 隣に並んで歩くべき女性は、私、には務まらないのではないだろうか。

「……斗南」
「は、はいいっ」
 どうした? いったいどうしてそう慌てふためく。
 こんなふうに柔らかな笑顔を私に見せてくれるようになったことだって、つい最近のこと。それまでは、彼と彼の親友にしか見せることはなかった。
「彼女たちはとんでもない思い違いをしているな。これは態度をはっきりさせない明彦にも罪はある。早速帰宅した暁には相応の処罰を与えなければ……」
「美鶴先輩!」
 突然の大声に、今度は彼女は瞠目して私を見た。私が足を止めると、二歩置いて彼女も足を止め振り返る。
「あの、お気持ちはありがたいんですけど……。このこと先輩には、その……」
 窓から差し込む夕日は、視界に映る世界を橙色に染め上げてゆく。鮮烈に輝く臙脂を置いて。
「……ああ」
 綺麗に吊り上った眉が、八の字に下がった。やれやれとかぶりを振り、遠のいた一歩を縮めてくる。
「悔しいな――――」
「え?」
「あの男が選んだ女性が、君だったなんて」
 どくん、と心臓が大きく鳴った。
 先輩、それはどういうことなんでしょう。
 声に出して問うことは容易であるはずなのに、喉は一瞬のうちに干上がった。
 足音を立てずにまた一歩近づく。ほぼ同じか、ほんの数ミリメートルだけの身長の差しかない私たちは、まるで目線の位置が同じである。臙脂の瞳には私が映っており、恐らく私の朱い瞳には彼女の姿が映っていた。
 すっと手を伸ばされる。先端の爪には赤いマニキュアが塗られ、冷たい指の腹で私の頬をなぞる。
「本当に、悔しいよ……」

 ――ああ、やっぱり

「せんぱ……い」
 なぞられた先から、馨しい薔薇の香りが鼻先を掠めた。
「予めわかっていたのなら、どんな手段を用いてでも事前に防いでみせたのに」

 彼女は彼に、恋を――


「――君を、明彦に盗られてしまうだなんて」


「……………………へ?」
 たっぷりと数十秒、時間をかけてしまっただろうか。
「まったく、本当に悔やんでも悔やみきれない!」
「え、ま、ちょ……美鶴せんぱい?」
「いや、今からでも遅くはないか……? 今後のことを考えれば明彦の一人や二人、研究と表して桐条へ送り込むこともやぶさかではない――」
「だっだだだだだ、ダメですーー!!」
 なんかいかにもな風を装ってとんでもないこと言ってる! というか一人や二人って、先輩は一人しかいませんから!
 常人ならば笑って済ませられる冗談を、実際に実行へ移してしまうのが彼女だ。いや、基本的に彼女は冗談を口にしない。つまり口にすること全てが本心からきているもので、また口に出したからにはすべからく実行してしかるべき、という信条がある。
 つまり、これは間違いなく生命の危機だ。誰のってもちろん、我が愛しの恋人の。
「ふふ……」
 たまらないな、とでも言うように口元が綺麗に上向いている。豊かな髪の隙間から覗く瞳はどこか怪しい光を放っている。
 ……明彦先輩ごめんなさい。どうやら私には、先輩をお守りできるだけの力はないようです。
 心の中では半ば諦めて、けれど最終手段として神へ祈りを捧げはじめた私を目の当たりにした彼女は喉の奥でくくりと笑った。
「……冗談だ」
 そしてまるで冬空の如く、爽やかに言い放つ。
「まさか私がそんなことを真剣にするわけがないだろう」
 曲がりなりにもアレは私の親友だ。そこは信じてもらっていい。
 まるで聖母の様な微笑みをその顔に湛え、華奢な指先がくしゃりと私の頭を撫で前髪を梳いた。そのままゆっくりと真下へ降下する。
 さぁもうすぐ下校時刻だ。私たちが校内に残っていては、他の生徒に示しがつかない。
 もうすっかり月光学園生徒会長の顔をしてすっきりと言い放つ彼女の顔はやはり聡明で、ほんの少し前まで見せていた“お茶目な私だけの”先輩ではなくなっている。こういうところ、二人は本当にそっくりだ。オンとオフの切り替え。こんなささいなところからも二人の深い繋がりを感じさせて、ああ、敵わないなぁと実感する。
 けれど、先ほどまで痛いくらいに感じてしまっていた疎外感だとか劣等感だとかは、もう一切感じなかった。

 ……ああでも、代わりに気になることが一つだけ。

「美鶴先輩」
 再び前を向き歩き出した足を捕まえる。なんだ、と口にして顔だけ振り返るだろうことは分かっていた。でもどうせなら、私はその上を行ってみたい。
 ワンステップツーステップを踏んで、先輩の前に躍り出る。先輩は律儀に私の高く結い上げたポニーテールを追いながら視線を私に注ぎ続けてくれていた。ああ、お顔が私の動きに合わせて揺れてます。こういうところ、可愛いんだこの人は。
 スリーステップ目で一足分距離を空けてから、くるりと彼女の方へと振り向いた。腰を屈めて少し下から綺麗なお顔を見上げてみる。きめ細やかな白い肌に長い睫。確かこれと近しいものを、私の大好きな彼も持っている。

「冗談って、明彦先輩を送り込む――……ってところだけじゃないですよね?」

 え、と一瞬驚いたような顔をして、しかしすぐに「何のことを言っているのかわからないな」、と返された。残念。先輩、それ答えを言っているのと同じですよ。
 もしかすると、恋人よりも親友よりも、姉弟と呼び合う方が近いかもしれないお二人は、また少し違った意味でそんな感情をお持ちなのかもしれないと思ったら。それはそれで、むしろ親近感を持ってしまった私がいたりするのも事実だったりするのだ。




ブラザーコンプレックス









それまで弟のように面倒を見てきた彼が急にたくましく見えたりすると、なんとなく寂しく感じるものなんじゃないのかなお姉さんとしては!と思ったもので。
meg (2014年1月23日 16:44)

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