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「さーぁ、後は若いモンに任せて、余らも退散するぞ」
「失礼なことを言うな、僕はこいつよりも若いんだぞ!? 大体お前は――っ」
 先ほどから、おおよそ王に対する態度ではない友人に肝を冷やす。ひとしきり征服王へ罵詈雑言を浴びせた後、今度はこちらに向き直り、ギロリと睨んでくる。何のことやら、どうして睨まれるのかよくわからず、何も返せずにそのままでいると、ずかずかと彼にしては大股で寄ってきて、ぐいと胸倉を掴まれる。
「おいランサー、よく聞けよ」
 目をぱちくりさせて、真っ赤に顔を染めた友人を見る。心なしか、涙目のような気もする。まるで羞恥に恥じらう乙女のよう――などと口に出そうものなら、この場で古代魔法を持って葬り去られそうだ。
「いいか、この期に及んで自分に嘘つこうなんてもんなら、承知しないからな!」
 わかったか、馬鹿! そう涙声で叫んで放り出すように手を離し、そのまま振り返ることなく扉から走り去っていく。英雄王のこと言えないぞ、とそんなことを思いながら呆然とその後ろ姿を見送っていると、ひとしきりさも愉快そうに笑ったあと、息を整えて、征服王はこちらに向きなおした。

「……美丈夫よ、坊主の言うとおりだぞ」

 これまでにない、親愛に満ちた声色に驚いて、そちらを見やる。お主の話は坊主からよく聞いていた。あいつは存外照れ屋だからな、余に"大切な友人"であるとばらされて、羞恥のあまり逃げ出したのだろうよ、と顎髭を撫でた。
 未だ扉付近で跪く自分の元まで足を進め、しゃがみ込み視線の高さを同じくする。いけません、と、諌める前に、人差し指を突き出された。この胸に。
「今、お主に求められているのは、女王に対する忠誠心ではない。お主の……心だな」
「ここ、ろ……?」
「うむ」
 そうして再び立ち上がり、女王陛下の方へ顔を向ける。窓から射す夕焼けの淡いオレンジ色に包まれた、青き衣の戦乙女。
「騎士でないディルムッドという男が、女王でないアルトリアという女に抱く、心よ」
 いつもならば、"女"という単語を耳にしようものなら『私は女を捨てた身』を反論を始める、勇ましい騎士王の姿が、そこにはない。代わりに、頬を染め、心細そうに俯く愛すべき乙女の姿がそこにある。

「俺、は……――――」

 フン、と力強くこの背中を叩き、扉から出ていく。大きな音を立てて閉じられた扉の向こうから、さっさといくぞライダー!という友人の声が響く。前からは、彼女の動きに合わせて軋む甲冑と、さわさわと風に揺らされるスカートの衣ずりの音。
「……ディルムッド、答えを聞かせてもらえますか」
 俯く視線の先に、彼女の靴のつま先が映り込む。
「主よ、私は……」
「ディルムッド」
 大きな衣ずりの音と共に、彼女のつま先に青い衣が被さった瞬間、命令もなしに思わず顔を上げた。彼女が膝を折り、自分の目の前でしゃがみ込んでいる。諌めなければと口を開こうとした瞬間、その頭を、この右肩に埋められた。心臓の音が、跳ねた。
「アルトリアと……呼んでほしい。昔の貴方は、そう呼んでくれた」
 彼女の吐息が、鎖骨を撫でる。決して甘くない、清らかな香りが鼻先をくすぐる。
「ですが、それは……」
「ディルムッド」
 その態勢のまま、背中に、肩に、腕が回される。露出した肌に彼女の甲冑が触れ、その冷たい温度が伝わる。だが、何故だろう。体中がひどく熱い。特に、彼女の額が触れているこの肩に、異常に熱が集中しているように思える。 
「今、ここには……間違いなく、私と貴方しかいない」
 細い腕、小さな背中。更々と流れる金糸のごとき髪、真珠のように白い肌。それらは全て、王でありまた少女である彼女のもの。
 彼女がその顔を上げる。翡翠の双眸が湿り気を帯び、不安定な光を放っている。それはそれは、美しい光だった。膝が、手が、震える。
「貴方の言葉を、聞かせてもらえないだろうか」

 この不肖の手で、清廉たる貴女を抱きしめてしまっても、よいだろうか――――。

 震える手で、彼女の背中に手を回す。その手で彼女の背をひと撫でした、その瞬間。彼女の内包する全体重が、この体に押し付けられる。バランスを崩し、そのまま後ろへと倒れ、背中を扉へ当てつけた。

 夢にまで見た愛しい少女が今、この腕の中にある。

「アル……トリア……」

 彼女が戴冠して以降、夢の中でした紡いだことのない彼女の名を、紡ぐ。

「……はい」
 彼女の声は細く、震えていた。
「アルトリア」
「はい……、……はい、ディルムッド」
 今にも溢れださんとする涙を抑えつけるように、右肩に押さえつけられる。暖かい何かが触れるのを、感じた。まるでそれは、この心に自らが建てつけた塀を溶かしていくように、徐々に徐々に、染み込んでいく。
「俺、は……」
 腕に力を込めて、彼女を抱きすくめる。顔を彼女の首元に埋める。この身に余る僥倖、どう抑えていいものかわからない。もしもこの一瞬で消えてしまうものならば、もうこのまま彼女に溶けこんで、いっそ自分が消えてなくなりたい。
「愛している……愛しています、ディルムッド……」
 負けじと彼女もその細腕に力を入れて、絞めてくる。背中にまわされた右手と左手が、届いていないぞ。小さな小さなアルトリア。ああ、なんて愛らしい。
「俺、も……」


「俺も、愛している……、アルトリア……――――」


Morpho

貴女を守る青い鱗粉。
その一つになれたなら、それだけでよかったはずなのに




「主よ」

 瞼を真っ赤に腫らした彼女が、また、と眉を吊り上げ口を開く前に、その手を取る。
 許しを得たいことがあるのだ、貴女に、貴女だけの騎士として。

「貴女の手となり足となり、目となり耳となり鼻となり口となり、あなたの全てとなりましょう」

 そうしてまずはその甲に、何度目とも分からない、永遠の忠誠を誓う口づけを。

「であるからして、主よ。貴女を……、我がものにする無礼を、お許しいただけますか……?」

 宝石よりも美しいと断言できる、その翡翠の双眸から、大粒の涙が零れ落ちる。それなのに、ああ、まるで砂糖菓子が溶けるかのように、甘くも嬉しそうに微笑む貴女の、なんと美しいことか。

「よい、許す……私を、貴方だけのものに、してくれ……!!」

 そのままの姿勢で、幾筋も涙が伝うその柔らかい頬に手を寄せて、ゆっくりとこちらに導き、その麗しい桃色の唇に、永遠の真愛を誓う口づけを落とした。






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meg (2012年9月20日 11:58)
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