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///Side A


「貴方は嘘吐きです」

 深夜のダイナー。カウンターではなくテーブル席へ座り、マスターの手で運ばれてきたサーロインステーキを切り分け次々に口内へ放り込んでいった。
 おいしい……と思う。多分、この味は美味しいという表現で間違いでないのだと思う。
 が、しかし。今の私には、とてもではないがこの料理の味を堪能する余裕などこれっぽっちも残されていなかった。

「聞いていますか、ディルムッド」
 名を呼ばれた当人――目の前に座る男、ディルムッド・オディナは一体何について物思いにふけっているのか、銀食器を持つ両手の動きが止まっていた。
「あ、すまない。もちろんお前の話は聞いている。続きを、どうか」などと言われ、少しだけ、ほんの少しだけ、私の眉間に皺が集中する。
「……嘘をついた上にその態度、本来ならば極刑に処すところです」
 湧き立つ苛立ちを押しだすように口から吐き、彼の皿の中で一番私に近い位置にあったフライドポテトに、ひと思いにこのフォークを突き刺してやった。そのまま、私の口の中へ招き入れる。良く焼かれ、上質な塩が振られたそれは、ああ、口内の水分を全て奪い去っていく。
 彼の方へちらりと視線をやれば、どうせ良からぬ反応を寄越そうとして我慢したのだろう、そんな顔をしていた。危ない所でしたね、もし素直にそれを返していれば、たちまちこの刃は貴方へ向かっていたことでしょう。

 ――まぁ、いい。話を続けるとしましょうか。

「私は、しかとこの目で見たのです」
 そう。先日、私はこの目で見てしまったのだ。
 目の前にいる彼――ディルムッド・オディナが、私に嘘をつき、ある人物と共に仲睦まじく街中を散策している姿を。
 彼の表情に、かすかな反応が見られた。私だけでなく共にいた凛も目にしており、確かにあれは彼だと確認をとった。ですから、見間違いであるという言い逃れは通用しませんので、そのおつもりで。

 そして、ある人物。この私と、瓜二つの女性。

 私の家族であり、また双子の姉である。神より与えられし瞳の色、髪の色、肌の色、背の高さ、姿かたち……どれ一つとってもまるで同じものを有する私たち。唯一の違いと言えば、声の持つ音が若干異なるというその程度。
 しかし、その内側はまったくと言い切って良いほど別物で。似ている、などと言われては、むしろ不愉快である。
「……別に、姉上と出かけるな、などと言いたいわけではありません」
 不愉快、などとはっきり言ってしまっては失礼か。すっかり辛口となった口内を宥めようと、メインディッシュの右隣に置かれたカップへ手を伸ばす。私の髪色に近い、透明感のある黄色の液体からは柑橘系の良い香りが立ち上り、鼻先をくすぐった。
 そのまま口をつけ、くいと天井を仰ぐ。甘い……とまではいかないが、それでも幾分の甘さを含むレモネードはつるりとこの喉を通過し落ちて行った。
 ふぅ、とほんのりとした温かみを持つため息を吐く。
 そう、別に私は彼女と出かけるなと言いたいわけではない。いや、もちろん彼女だけと限定するわけではない。凛とだって桜とだって、イリヤとだってバゼットとだってカレンとだって、誰とだって出かければ良い。
 襟元へ入れていたナプキンをとり、口元を拭う。口元の汚れだけでなく、私のこの心に降ってわいた埃も全て、取り払ってくれればどんなに良いことか。

 私が気になっているのは、ただの一点。
 彼はあの時、私にこう言った。

 ――折角なのだが、俺は今日、一人で行きたいところがある。

 一人で行きたいところがある。そう、"ひとり"で。

「"ひとり"で、と口にしておきながら、なぜ姉上と行動を共にしていたのです。しかも、よりによって――」
 そこまで口にして、ぎゅう、と拳を握りしめる。まるで坂道を転げ落ちそうになる私の愛車を引き止めるべく、サイドブレーキをかけた時のように。

「よりに……よって……」

 私自身の吐き出した言葉に、そこはかとない違和感を感じたのだ。

 思いだされるのは、綺麗な青を空に映した晴れやかな午後。寒風吹きすさぶ冬らしい冬のとある一日。凛の貸してくださった青のダッフルコートが、その寒さから私の身を守ってくれた。
 彼女とは、花屋へ向かう途中だった。なんでも、遠い昔に亡くなった彼女のご両親が眠る墓標へ、二人の好きだった花を手向けたいのだ、とのこと。そのような申し出に、断るべくもない。私は喜んで頷いた。
 煉瓦が敷き詰められた歩道を歩き、角を曲がったところで、聞き覚えのある声が耳に届いた。馴染み深く、そしていささか苦手としているその声の持ち主など、彼女しか思い当たらない。
 耳を傾ければ、誰か連れがいるようだ。小馬鹿にしたような、しかし相も変わらず我が儘を言う彼女。連れの者は、さぞ困り果てていることだろう。ごく自然な流れで、いつものように彼女を諌めようと思った。
「すみません、凛。所用で、しばらく外してもよろしいですか?」と、楽しそうに花を選ぶ凛に声をかける。その声に応えようとしたのだろう、選ぶのを止め私へ視線を向けた、その時に。
 凛の、顔色が変わった。それを不思議に思い、私の顔から少し外れた彼女の視線の行先を追う。
 途端に、この瞳に映ったものは、想像を違えることのない紛れもなく彼女、我が姉上 。……と、

「あなたの所用って……アレ?」

 今現在目の前に座るこの男、ディルムッドの姿だった。

 半ば強引に引きずられる形ではあったが、ディルムッドは姉上と腕を組み、そしてある店の中へと吸い込まれていった。
 ショーウィンドウに敷き詰められているものは、恐らく高価であろう宝飾品の数々。あの店の宝石は質が良い、私ももう少しお金があれば、あそこで魔術用の宝石を揃えたいところだとは凛の弁。
 心底同情するわ、といった声色に、私は苦笑いしか返すことが出来なかった。

 しかしその本心は、まるで煮え湯を飲まされたかのような、その際の湯気が胃の中でもうもうと堂々巡りを繰り返しているような、釈然としない、そんな気分。

 こんな気持ちを、人は何と呼ぶ?

 凛は、
「お気に入りの玩具を取られて不貞腐れてる、そんな顔してるわよ」と、笑った。

「――……すみません」
「は」
「聞かなかったことにしてください」
 手に取ったのは、先ほどのレモネード……ではなく、その脇の置かれていた、透明のタンブラーグラス。天を仰ぎ、八分程度まで入れられていたミネラルウォーターを一気に飲み干した。ふつふつと沸いた炎を、一気に掻き消すために。
 グラスの中が空になったことを確認し、元あったテーブルの上に戻した。うむ、やはりそうだ。駄目だ、このような感情に振り回されてはいけない。

「予定が急遽変更となることだってありましょう。無論、私だってその経験があります。そのたびに責められては、たまったものではありません」

 先程、私はこう口にした。気になっているのは、ただの一点のみである、と。彼が、嘘を吐いたことのみだ、と。

 しかし、それは私だ。私こそが、嘘吐きだった。

 気にしていないなどと言いながら、気になって気になって仕方がない。姉と彼との間に何があるだなんて思ってもいない、しかし、それでも良い気のしない、自身の狭量さに嫌気がする。
 そもそも、そのようなことを気にするということは、私が彼を信頼していない、ということになり得るのではなかろうか。彼を、侮辱しているということに他ならないのではないだろうか。
 いや違う、そんなことは絶対にない。あるはずがない。あってはならない。

「アルトリア」
「困らせてしまい、申し訳ありませんでした。――その、折角のステーキですから、温かいうちに召し上がってください。冷めてしまっては硬くなり、美味しくなくなる……」

「アルトリア!」

 思いがけない彼の強い声に、つい肩を強張らせてしまう。その動揺が伝わったのだろう、テーブル中央に置かれたキャンドルの灯がゆらりと大きく揺れた。

 彼は、おもむろにその左手をジャケット左ポケットに挿しいれた。ゆっくり、ゆっくりと引き上げたのは、通常のポストカードよりも一回りばかり小さいサイズの、白いダイヤ貼りの洋二封筒。表面はまっさらで、宛名も何も書かれていない。

「これを」

 私へ向けて、ずいと差し出してくる。それと彼を交互に見、訝しげに首を傾げれば、
「どうか、受け取ってくれ」
 と、さらに前へ前へ、突き出してきた。
 こうしていても、埒があかない。ごくりと喉を鳴らし、恐る恐るその封筒を受け取った。
 時期的には、今日というこの日に贈られるべきカードであることに間違いはないのだろう。が、それにしたって、それ用にしては簡素な見栄えである。封も、シールやリボンといった装飾はなされておらず、ただ糊で貼り合わせてあるだけだ。
 しかも、不格好なこの厚み。カードになにか切り絵の様な仕掛けがなされているのだろうか。
「……中を確認しても?」
「もちろん」
 そっと他を破いてしまわぬよう、ぺりぺりと慎重に剥がしていく。彼は、彼の側近くに置かれたソーサーからカップを取り上げ、レモネードを口に仰ぐ。
 両肩がやけに緊張している。封を開けようとする指先が、震えている。未だ、これが何であるか解けたわけではないにも関わらずだ。

 思えば、予感があったのかもしれない。このいびつな膨らみに、身に覚えがあるがしかし、考えないようにしていたのかもしれない。

 封を開けて、まず姿を現したのはリボンだった。青色に金色の縁のついた、ベルベット生地のリボン。可愛らしい蝶々が結われている。どうやらカードは二つ折りで、それを合わせる役割を担っているらしい。
 蝶々の足を掴み、手前へゆっくりと引く。すると――――

「――……っ!」

 飛び出してきたのは、月の石を両手に抱えた銀の鳥。
 恐る恐る拾い上げ手のひらに乗せてみればひやりと冷たく、しかし暖かな光を私へ放つ。

 しっかりと握りしめて、震える手でカードを開く。

 書かれていたのは、たった数文字のセンテンス。
 慌てて顔を上げれば、キャンドルの灯に照らされながら、暖かく微笑む彼がいる。

 "Would you ...... ?"

 ――さぁ、答えを聞こう。

 優しく告げるその声に、私は大きな一歩を踏み出した。




(continued to Side.D)
meg (2012年12月25日 13:56)
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