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///Side D


「貴方は嘘吐きです」

 深夜のダイナー。カウンターではなくテーブル席へ座り、彼女は憤然とした表情のままカチャカチャと両手を動かす。握られているのはシルバー製のナイフとフォークで、それらの向かう先が俺でなく、正しくサーロインステーキであるところは、些か赤の女王よりは分別があるように思え、安堵した。

 山の中、狭い道路脇に建てられたこのダイナーは、時間も時間であるからとは思うが客の入りはまばらである。それに、連れのある客は俺くらいのもので、後は一人客、それも初老の男性ばかりだった。
 折角の祭日なのにな、と吐きかけたため息は苦笑に変わる。そうだ、俺が間違えていた。祭日だからこそ、皆はこのような場所へ刃訪れず、煌びやかなレストランやバーといった場所へ行くのだろう。
 しかし、ここも悪くはない。車通りはなく静かであるし、山中であるため空気が美味しい。古いためか店内は薄暗いが、そのおかげで真に良い物を見られる。そう、その良い物とは……。
「聞いていますか、ディルムッド」
 俺の思考はそこで停止する。顔を上げれば、形のよい眉をさらにきつく釣り上げて、じと目で俺を見る彼女がいた。
 ああ、しまった。すっかり聞き流してしまっていた。
 しっかりと機嫌を損ねた我が君は、「嘘をついた上にその態度、本来ならば極刑に処すところです」と俺の皿に乗ったフライドポテトにぶすりとフォークを突き刺し、自身の口へと持って行く。それが彼女の言うところの極刑であるというならば、この体、喜んで差し上げよう――……などという言葉が口から出るすんでのところで、慌てて飲み下した。

 普段ならばいざ知らず、飄々とそのように返すところなのだが、今度のところは分が悪い。俺にとっては何も身に覚えがない……と弁解するわけにはいかないのである。

 彼女に似合うものを、と思ったのだ。
 折角の今日という良き日に、折角ならば彼女の気に入る、似合いの物を贈りたいと思ったのだ。
 そして、叶うならば彼女には秘密裏に用意したい。そのためには俺ひとりで出向き、それを用意する必要があった。

 彼女の好みそうなものは、大体の予想がつく。
 だが、しかし。

 似合うかどうかは、また別の話。しかもまたサイズとなると、想像で手に入れるには大変に危うい話である。

 だから、そうすることを選んだ。彼女ならば全てにおいて最適だ。
 そして俺のこの決定は、間違いではなかった。寸分の狂いはなかった。

 なかった、はずだったのだが――。

「私は、しかとこの目で見たのです」

 彼女の性格や趣味嗜好までを計画にいれていなかったことは、大変軽率であったと俺は思う。

「私だけではありません。共にいた凛も、確かにあれは貴方と彼女だとおっしゃっていた。ですから、見間違いであるという言い逃れは通用しませんので、そのおつもりで」

 そう。俺はあの日、間違いなく彼女と行動を共にしていた。

 彼女――……目の前にいる彼女と、瓜二つの女性。

 彼女の家族であり、また双子の姉である。神より与えられし瞳の色、髪の色、肌の色、背の高さ、姿かたち……どれ一つとってもまるで同じものを有する彼女たち。唯一の違いと言えば、声の持つ音が若干異なるくらいか。
 元より言い逃れをする気はさらさらない。ただ、許されるならば、彼女の考えているであろうことは何もなかった、と弁明の一つはさせていただきたいところである。
 とはいえ、それを明らかにするためには納得するに値する証拠が必要となるわけで。

 証拠……。彼女を納得させられるだけの、証拠。

 そっと左手をジャケットのポケットに忍ばせる。カサリ、と指先で感じ取ったのは、質の良いカードの感触。カードにしては、若干の重みがあるか。
 恐らくはこれを彼女に差し出せば、勘のよい彼女のことだ、あらゆる事情を一瞬にして理解してもらえるだろう。
 だが、このカードは俺の心意を証明するカードであると共に、これからの未来を決定させるカードである。もっと慎重に、もっと相応しい場所で。おいそれと容易く手渡してしまって良い物では、決してない。
 とはいえ、渡す段階へ進むには、まずはこの状況をなんとかせねばなるまい。
 いかに巧く、そして迅速に彼女の信頼を再び得、笑顔を取り戻すには、いったいどうしたらよいだろう――。

「……別に、姉上と出かけるな、などと言いたいわけではありません」
 コクリ、と手にしたカップを斜め上に傾け、そしてソーサーへ静かに戻す。はぁ、と吐き出された彼女の吐息から、甘いレモネードの香りがした。
「貴方はあの日、予定を問うた私に対し、一人で行きたいところがあると言いました。私と貴方は常に共に在るわけではありませんから、別にそれは構いません」
 気が付けば、彼女のもとにある皿の上に、つい五分ほど前まで乗っていた豪華なサーロインステーキは、ものの見事にその姿を消していた。襟元へ納めていたナプキンを取り、その裾で口元を拭う。
「ですが」
 俺の皿の上にはまだステーキが半分ほど残されており、その温度はまだ失われていない。香ばしい肉汁の香りは早く食えと言わんばかりに、俺の鼻先を掠めていく。
 ナイフとフォークを用い、音を立てずに一口大の大きさへ切り分ける。ブスリ、とフォークを突き刺し口元へ運び放り込めば、まずは穏やかで豊かな香りが鼻腔を抜けてゆく。思いのほか柔らかいそれは、噛みしめる度にサラっとした上質な脂を溢れさせ、淡雪の如くあっという間に消え失せる。その素晴らしい芳醇さを、何度も何度も思い知らされるのだ。
「"ひとり"で、と口にしておきながら、なぜ姉上と行動を共にしていたのです。しかも、よりによって……」
 皿の両端に、八の字型になるよう銀食器を置き、口元を拭う。先程彼女が口にしたものと同じであるはずのレモネードは、彼女の吐息から感じた甘みはなく、酸味が多分に含まれているような気がした。
「よりに……よって……」
 言いかけて口元へ手をやり、そのまま彼女は押し黙る。おや、と顔を上げれば彼女は逆に顔を俯かせ、そして二、三度、左右にかぶりを振った。
 テーブル中央に置かれたキャンドルライトの、彼女が呼吸をするたびにゆらゆらと揺れる炎はどこか危うく、まるでその心情をそのまま投影しているよう。「アルトリア?」と名を呼ぶと、彼女は一瞬こちらに視線をやったが再び外し、そしてもう一度、かぶりを振った。

「――……すみません」

「は」
「聞かなかったことにしてください」
 手に取ったのは、先ほどのレモネード……ではなく、その脇の置かれていた、透明のタンブラーグラス。天を仰ぎ、八分程度まで入れられていたミネラルウォーターを一気に飲み干した。
 あまりの気持ちの良い飲みっぷりに少々呆気のとられているうちに、あっという間に空になったそれをテーブルへ戻し、間をおいてウムと頷く。
「予定が急遽変更となることだってありましょう。無論、私だってあります。その度に責められてはたまったものではありません」
 彼女の長い金糸で出来た睫毛は目元へ影を落とし、その奥にあるだろう美しい宝石の輝きを覆い隠してしまっている。だから、今彼女がどのような気持ちでそれを口にしているかわからない。わからない、けれど。

「たかがそれしきで、貴方を嘘吐き呼ばわりするだなんて。いかに私が狭量であるか、窺い知れるというもの」
「アルトリア」
「困らせてしまい、申し訳ありませんでした。――その、折角のステーキですから、温かいうちに食べるといいでしょう。冷めてしまっては硬くなり、美味しくなくなる……」

「アルトリア!」

 違う。ちがうのだ。
 俺は別に、お前にそのような顔をさせるために、ここへ来ているわけではない。

「これを」

 今一度、ジャケットの左ポケットへ手のひらを差し入れる。今度は触れるだけではない、確かに指と指の腹でつまみ上げた。
 通常のポストカードよりも一回りばかり小さいサイズの、白いダイヤ貼りの洋二封筒。表面はまっさらで、宛名も何も書かれていない。封も、シールやリボンといった装飾はなされておらず、ただ糊で貼り合わせてあるだけだ。

 俺の、身の潔白の証明。並びに、今後の未来を決定づけるもの。

 俺は、いったい何を意固地になっていたのだろうか。大切なものは場所ではない、時でもない。

 お前だ。お前と言う、ひとなのだ。

「…………」
 彼女はただひたすら戸惑っているような、困ったような顔をして、小首を傾げる。
 受け取ってくれ。そう意味を込めて、もう一度前へ突き出せば、彼女は封筒と俺を交互に見た挙句、ごくりと喉を鳴らしてようやくそれを手にとった。
「……中を確認しても?」
「もちろん」
 彼女がそのような反応を寄越すのも、無理はない。季節柄、"それ"自体は渡されることに何の不思議もないはずだが、しかしそれにしてもおおよそ"それ"は"それ"らしくない。
 そっと他を破いてしまわぬよう、ぺりぺりと慎重に剥がしていく。その間俺は、ソーサーからカップを取り上げ、再びレモネードを仰いだ。

 緊張? もちろんしている。していない、はずがない。

 まさか跳ね返されるとは思っていないが、彼女のこと、どのような反応を示すのか、少しばかり怖いところではある。

 封を開ければ、まずリボンが目につくはずだ。青色に金色の縁のついた、ベルベット生地のリボン。
 そのリボンによって導かれる、その先に――――

「――……っ!」

 添えられた愛の、センテンス。

 さぁ、王の判決をお聞きしよう。主文は後で構わない。
 俺に与えられし刑の名を、どうか王より直に賜わりたい。

 キャンドルの炎が一際高く、揺らめいた。
 彼女の滑らかな指先は、わななきながら、それに触れる。
 顔を上げたその先で、世界で最も美しい宝石を目にしたような、そんな気がした。





 "Would you marry me ?"




(Epilogue)
meg (2012年12月25日 13:59)
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