Möbius - 10
「黒沢さんも、人が悪いですよ...。そうと言ってもらえれば、そちらに向かいました。その方が早かったでしょう?......いや、まぁ、そうなんですが。」
大学から離れた、人気のない公園のベンチ。電話の相手は、先ほどわたしをここまで連れてきてくれた、素敵な巡査。右手で深紅の携帯電話を持ち、左手は......わたしを、抱きしめたまま。
大学で、目があって数十秒後には、もう目の前に彼はいた。肩で息をして、でもそのまま、周りの目など気にせず、有無を言わさずわたしを抱きしめた。そしてすぐに一度体を離し、わたしの呼吸を、存在を確かめるように、わたしの瞳を凝視して。
「母似香、なのか......?」
そう、息も絶え絶えに、投げかけた。
「―――はい。」
「実は夢で、また、消えたり、なんてことは...。」
「ないです。」
そうして、今度はわたしから
「ないです...もうずっと、一緒です...!!」
しがみつくように、彼の背中に腕を回して、飛び込んだ。往来だからとか恥かしいとか、そんなことよりも。
わたしこそ、実はこれが夢で、また目が覚めたら誰もいなくなっているだとか、そんなことないと確かめたくて。目の前にいる彼が現実で、もうひっくり返ることはないと、確かめたくて。
少し遅れて、最初は戸惑いがちに...けれど少し触れた途端、ぎゅうっと、力強く抱き返された。
「母似香...!」
そう、その少し骨ばった、力強い手。わたしの名を呼ぶ、艶のある優しい声。甘い汗の香りと、温かい体温。全部全部、もう一度、この先もずっと、欲しかったもの。
少し、体をずらして、顔を上向きにさせられる。今、わたし、絶対ひどい顔しているんだけどな。
それに、この動作には記憶がある。これはまさしく、キスの合図。
「あ、あきひ...」
もう、待っていられないといった視線。わかってる、わかっているけど。ねぇ、あなた気が付いてる?わたしたち今、ものすごい注目の的だよ?そりゃあ、最初に飛びついたのは、わたしの方だけれど。
いいから少し黙れという彼の視線に観念して、もうどうにでもなれと瞼を閉じた。あともう数ミリで唇と唇が触れあう......
......と、いったところで、聞き覚えのある着信音が、彼の胸元から聞こえてきた。
さすがにこれには彼も驚いたようで、動作が一時中断される。そしてその瞬間、我に返ったのだろう。周りの状況を確認すると、途端に普段冷静な白い顔が、耳まで真っ赤に染まっていった。
そうして、慌てて引きずられるように連れてこられたのが、この公園。彼は未だに、携帯電話ごしに話を続けている。...その手に持つ携帯電話には、見覚えがあった。携帯電話に吊るされている、うさぎのストラップにも。おおよそ、男の人がもつような代物には見えない。
「電話に出なかったのは...それは、非常事態だったからで...。ええ、きちんと出会えました。今もここにいます。」
そうっと彼のパンツの尻ポケットの方へ手をやれば、ほら、無機質の固い物の感覚がある。彼が今持って話しているものと、ほぼ同等のものに違いない。
「ああ、はい...電話、かわりましょうか?―――いや、まぁ、そうなんですが...かわりますよ。」
ほら、とそのままの体勢で携帯電話を渡される。手にちょうどよくなじむフォルム。手のひらにつるされたうさぎが触れる感覚。ああ、懐かしい。
「......黒沢さんですか?」
そう、これはわたしの携帯電話。受話器からは、「よかっただろう?」と不敵な笑みを浮かべているであろう、彼の声が聞こえてくる。もうほんと、何も言ってくれないから、すごくびっくりしたんですからね!と、まったく怒りのこもっていない抗議をしてみる。嘘です、本当、すごく感謝しています。
まだ、何かお話しますか?と彼に目で話しかけると、「いや、いい」と顔を横に振られたので、そのまま電話を切った。
「あの...。」
このまま、わたしのものとして、わたしの制服のポケットにしまってよいのか、少し悩んだ。
「ずっと、預かっておいてくれたんですか?えと、基本料金とかは......。」
「お前が気にすることじゃない。...俺が、持っていたかったんだ。」
そう言って、彼はわたしの肩に、おでこを乗せてくる。その髪に、わたしも頭を摺り寄せた。
「まったく......あそこからお前を一目見たとき、心臓が止まるかと思ったぞ。」
「や、やめてくださいよ!折角戻ってきたのに...!!」
「冗談だ。...お前が戻ってきたのに、死んでたまるか。」
そうして、それまで手持無沙汰だった右手が伸びてきて、もう一度、わたしをきつく抱きしめる。
「だから、お前ももう......いなくなるなよ。」
彼の腕の中で、あの時と同じように、幸せを噛みしめる。違うのは、もうなくなることがない、ということ。
meg (2012年4月11日 16:14)
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