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 そろりそろり、と足音を忍ばせて、廊下を歩く。ここは、二階。男子生徒の住む階層。男子禁制となっている三階に比べ、そういった制約はないものの、やはり頻繁に訪れるべき場所ではない。ひたり、と順平と天田君それぞれの部屋の扉に耳を当てる。順平の部屋からは、豪快なイビキが。天田君の部屋からは、特に起きている気配は感じられない。すぅ、と息を吸って、またひたり、ひたりと、目的の部屋へ近づく。真田先輩の、部屋。

 ふぅ、とため息を吐いて、控えめに、コツコツ、と扉を叩く。起きてくる気配は、ない。

(やっぱり、夜這い...に、なるのかな、これって。)

 いくら勇気には自信がある自分でも、これには少しためらう。だって、先輩とわたしはそんな関係じゃないし。少なくとも、自分はこういうタイプではないと思っていた。

(いや、違う、違うから!夜這いとかそういうんじゃなくて、もう、こういうタイプってなに!?)

 ぶんぶんと頭を左右に振る。もしこの光景を誰かが見ていたら、不審に思うこと間違いない。先ほどよりも勢いよく鼻と口から空気を吸い込んで、

(お邪魔、します!)

 と、半ばヤケクソ状態で、それでも可能な限りそうっと、扉のノブを回した。案の定、鍵はかかっていない。とすると、アイギスがこの部屋を出て以降、彼は目覚めていないということだ。扉はいとも簡単に開いた。

 意外と外は明るい。扉の開く角度が広がれば広がるほど、部屋に光が入り込む。今日は新月で月は出ていないはずなのに、窓の外にある街灯に灯が灯っているだけで、こんなにも変わるものか。最低限の隙間から身を滑らせ、静かに慎重に、扉を閉めた。真っ暗な部屋の中。しばらく目が暗闇に慣れるのを待って、ベッドに近づいていく。

 初めて入る部屋。けれど、インテリア等の配置は、つい先日うっかり作戦室から覗いてしまった彼の部屋から変わりなく。ベッド付近にあるだろう、机に特に注意を払って、歩き出す。しん、と静まり返った暗い部屋。すぅすぅと、一定のリズムで繰り返される呼吸音に、ひどく安堵した。

 先輩の匂いが、胸いっぱいに広がる。自分よりも先に、アイギスがこの部屋に入ったことが、少しだけ悔しい。

 ベッドの傍まで行って、へたりと座り込む。さすがに、枕元まで行く勇気は出なかった。

「先輩......。」

 ゆっくりと上下する胸。両肘を折って、そっと、布団の上からその場所に顔を埋める。

「ごめん......なさい。」

 絞り出すように、出した言葉。この言葉を、なんとしても今日中に、伝えておきたかった。たとえ本人の耳に入っていなくても、自己満足でも。そうでもしないと明日、まともに顔を合わせて、もう一度「ごめんなさい」と、「ありがとうございました」を伝えられない気がして。

「......おやすみなさい、先輩。」

 それだけを伝えて、ゆっくりと立ち上がる。立ち上がろうと、した。その瞬間、引き戻されたのだ。右手首を掴まれて、強い力に。まさかと目を大きく見開き、そちらの方を見る。その力の主であろう彼は、ゆっくりと、上体を起こした。視線と視線がぶつかる。

「せ、先輩、まさかずっと、起きて......っ」
「.........。」

 あくまで小声で、でもひどく狼狽気味の声で、そう問いかける、が、返事が返ってこない。よくよく見ると、いつもは澄んでいるその灰色の瞳は、いくらかぼんやりとしていた。
(ね、寝ぼけてる...?)
 出来れば寝ぼけてくれているうちに部屋から出たい。けれど、この腕は容易に払えるほど弱く掴まれていない。

「せ、先輩...?」

 恐る恐る、呼びかける。目と目はあっている。けれど、その視線は、もっと遠くを見ているようで。
 もう片方の手がこちらに伸びてくる。骨ばった手の平に、左頬を包み込まれた。かああっと、頬が上気する。

「あ、あの...。」

 ゆっくりと頬から手が離れる。良かったような、ちょっと残念なような、複雑な気分。彼の顔を改めて見れば、苦しそうに片眉が下げられていた。どこか辛いのか、そう声をかけようとした、その時、

「―――美紀?」

 彼の口から紡がれた名前に、思考が停止した。

 ついこの間、長鳴神社で話してくれた。亡くなった、大切な妹さんの、名前。

「美紀、俺は......。」

 顔を伏せ、その端正な顔を更に歪める。それと同時に私も、顔を伏せた。見られてはいけない。見せたくない、こんな顔。

"俺は...ひょっとしたら、お前に美紀を重ねているのかもしれない。"

 ぎゅっと、唇を噛む。先輩に、妹扱いをされている、その自覚はあった。でも、そうじゃないと、必死に言い聞かせていた。その思い虚しく、突き付けられたあの瞬間。頭の中が、真っ白になった。

 正直あれから、少し先輩を避けるようになっていた。学校の廊下や寮内で会っても、またタルタロスで行動を共にしている時も。自分でも、相当余所余所しい態度をとっていたように思える。そんなわたしを見て、順平とゆかりはしきりに首をひねっていた。

 だからこそ、余計、苦しかった。こんな自分を、庇ってくれた。守られる資格なんて、ないのに。いや、妹さんと重ねているから、守ってくれたのかもしれない。そんな汚い感情が、わたしの心を浸食していく。いやだ、いやだ。こんなわたしは嫌い、嫌いだ。醜い、なんて醜い。

 ぎゅっと、手首を掴む手に、更に力が込められる。痛い、痛いよ。手首も、心も。

「俺は、守れた......のか?」

 伏せていた顔を、思わず上げる。先輩の手の平が、熱い。あの時触れた手は、とても冷たかったのに。

「お前のことを、俺は、守れなかっ...た。でも、あいつは......あいつ、だけは―――っ!」

 つぅ、と、涙が一筋、その綺麗な白い頬を伝う。

 ねぇ先輩。"あいつ"......。"あいつ"って?

 ......ねぇ、自惚れていい?

「―――守ったよ。」

 右手首を掴むその手を、左手の平で上から包み、頬を摺り寄せる。骨ばった、長い指と大きな手の平。わたしを守ってくれた、手だ。

「大丈夫、あなたは、守ってくれた......。わたし、だからこうして、あなたの傍にいるよ。」

 徐々に自分から、距離を詰めて行く。目を見開いてこちらを見る彼。ねぇ、本当はもう、目は覚めているんじゃない?けれどもうそんなこと、どうでも良かった。

「わたし、もう逃げませんから。先輩からも、自分......からも。」

 先輩の顔は、もう目と鼻の先。鼻のてっぺんとてっぺんが、こすれ合う。見据えるのは、その瞳の奥。わたしの紅い瞳だけが、映されている。

「覚悟......しておいて、ください。」

 そして瞼を閉じ、そのまま唇を、彼のそれに押し付けた。ずるり、と、彼の手が、わたしの手首から崩れ落ちた。






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meg (2012年4月18日 11:19)

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